「天皇制」という言葉を使っている人がいます。また、ある意図をもって使っている人もいます。
しかし、日本人として、この「天皇制」という言葉は使うべきでないでしょう。
『天皇制という呼称を使うべきではない理由』という谷沢永一氏の著書があります。
ここから一部抜粋して記事とさせて頂きます。・・・・・
世には、皇室に反感を抱いている方もある程度は見かけます。
その方々の信念を尊ぶこと決してやぶさかではありません。
単に見解の相違として袂を分かつのみに終わります。
しかし、皇室を敬愛することひとかたならぬ人なのに、事情をご存知ないものだから、胸中に崇信の念を持ちながら、「天皇制」という呼称を無意識で、何の気なしに使っておられる方々が少なくありません。
「天皇制」という言葉はもともと日本にはない言葉であります。
この言葉をはじめて使ったのは1922年(大正11年)11月22日、コミンテルンが日本の労働者階級に呼びかけた次のような挨拶でありました。
「武力干渉と天皇制の政府とに対する日本の広範な労働者大衆のますます高まりゆく憤激の結果であった」
このソ連のコミンテルンというの、世界共産主義革命の実現を目的とする共産主義者の国際組織で、日本に対しては天皇を否定し、制度として解体することを目論んでいました。
そして、大正12年3月15日の日本共産党の秘密会議で討議された革命運動の行動綱領にはじめて「天皇制」と書き込まれたのです。
この呼称を共産党は決して外部に漏らしませんでしたが、昭和8年前後の一時期だけ、非合法のプロパガンダに用いましたが、さっぱり効果はなかったのです。
共産党員でない日本の一般国民は、昭和20年10月20日の『赤旗』第一号に「我々の目標は天皇制を打倒して」と記されるのを見るまで、「天皇制」という言葉があることも知らなかったのです。
我が国は日本神話の天地開闢以来、「天皇制」という不敬な呼び方を使ったことはありませんでした。日本人が言い出したのは昭和の戦後以降であります。使わせようとしたのは共産主義者、左翼と、我が国体破壊を目論んだ連中でありました。それを何も知らない国民は自然と使うようになってしまったのであります。
これを見てもわかる通り、この「天皇制」という言葉はソ連共産党が指導して、世界革命を目指すコミンテルンによる造語であり、共産主義の天皇抹消の闘争目標である「天皇制打倒」、「天皇制廃止」と言い切る時に使われた言葉であり、天皇陛下を罵り、辱しめ、貶め、いやしめ、憎むための言葉であります。
天皇陛下は制度によっているものでもなく、機構に属しているものでもありません。ゆえに「天皇制」という呼称は事実に即していない間違いであります。しかし、保守の振りをした転向者は、この「天皇制」は使うことは間違いではないと言います。決して惑わされることないように注意したい。
我が国の皇統が確立して以来、天皇という尊称は揺るぎなく一貫して続いているのです。
『古事記』、『日本書紀』、『万葉集』、『続日本紀』、いずれも等しく、天皇(すめらみこと)、または天皇(てんのう)と読み慣わしていました。
北畠親房は『神皇正統記』の冒頭に、「大日本者神国也。天祖(あまつみおや)・・・・」と記し、皇統一系、皇胤一種である伝統は唐天竺(からてんじく)よりも優れた文化を保持している事実を強調しており、天皇を崇敬することは日本人として途絶えぬ本性であったわけでありました。
天皇陛下を、そして皇室を、「天皇制」などと、天皇抹殺の意図した共産党、コミンテルンの悪意に基づく呼び方は二千年を通じてもどこにも見当たらないのであります。
我が国は、天皇陛下と申し上げる以外、他に呼称はあり得ません。
真っ当な日本国民はこの言葉の意味することを理解し、断じて「天皇制」という言葉を用いるべきではありません。
・・・・・・・・・