
支那の虐殺手口は残忍無比。

昭和25年(1950年)より中華人民共和国(中共)はチベット侵略を開始します。当初、中共人民解放軍はチベット人に対して親切にふるまいましたが、やがてその本性を現していきます。世にも無残な手口で大虐殺へと発展していったのです。
52歳の農民の証言によると、彼が住むパタン、アガ村で、裕福な男たちが磔にされるのを見るよう支那人に命じられたといいます。25人の男たちが磔にされ、その下には火が焚かれます。火は磔にされた男たちの身体に燃え移り、生きながらにして焼かれました。さらに彼は24人が眼球にクギを打ち込まれて殺されるのを目撃したと言います。
アムド・レコン出身の商人は次のように証言しました。
「数多くの人々が財産を公開しなかったという理由で処刑された。新しいリーダーたち(多くは元乞食たち)は、人々の中に武器や財産を放棄していない者がいることを知っていた。これらの人々は逮捕されて6人が殺され、残りのものは鉄道工事現場に送られた・・・ある男はたったままの姿勢がいいか、横になったままの姿勢がいいかと尋ねられ、立ったままの姿勢がいいと答えた。すると穴が掘られ、男は穴のなかに入れられた。穴には泥が入れられ、泥は男が死ぬまで続々と押し込まれた。男の顔から眼球が飛び出すと、中国人はその眼球を切り取った・・・」
「数多くの人々が財産を公開しなかったという理由で処刑された。新しいリーダーたち(多くは元乞食たち)は、人々の中に武器や財産を放棄していない者がいることを知っていた。これらの人々は逮捕されて6人が殺され、残りのものは鉄道工事現場に送られた・・・ある男はたったままの姿勢がいいか、横になったままの姿勢がいいかと尋ねられ、立ったままの姿勢がいいと答えた。すると穴が掘られ、男は穴のなかに入れられた。穴には泥が入れられ、泥は男が死ぬまで続々と押し込まれた。男の顔から眼球が飛び出すと、中国人はその眼球を切り取った・・・」
中共は「富裕層」「地主」「地域の指導者」に属する人々を続々と処刑していきました。そして次のターゲットは宗教破壊でした。僧侶は捕らえられ次々と処刑されていきました。カム地方で最も有名な高僧の一人であるドゾルチェン・リンポチェは、四股に杭を打たれて身動きできないようにされた上で、腹を上から下まで切り裂かれたといいます。60歳の牧畜業者は同じ村出身の75歳の「活仏」といわれる高僧が逮捕され、多額のカネを所持していた罪で告発された場面を目撃しました。
「中国人は彼の髪を引っ張り、頭に煮えたぎる湯を浴びせかけた。その結果、彼は死亡した。また、もう一人の僧侶が撲殺される様子も目撃した。僧侶たちは大便を食べたり、尿を飲むように強制され、人々はその様子を見るように強要された」
僧侶は生きたまま焼き殺されたり、生体解剖されたという証言もあります。また、「奇跡を起こせるなら皆の前で飛んでみろ」と言われて、高い場所から蹴り落とされた僧侶もいました。
尼僧は繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ちにされます。尼僧との性交を強いられたりします。売春婦をつれてきて僧に性交を強要し、僧が拒否すると腕を叩き切られ「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたといいます。大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されました。
尼僧は繰り返し強姦され、特に尊敬されている僧は狙い打ちにされます。尼僧との性交を強いられたりします。売春婦をつれてきて僧に性交を強要し、僧が拒否すると腕を叩き切られ「仏陀に腕を返してもらえ」と嘲笑されたといいます。大勢のチベット人が手足を切断され、首を切り落とされ、焼かれ、熱湯を浴びせられ、馬や車で引きずり殺されました。
性的暴力のひどさを尼僧でインドに亡命したケンサン・ペモさんは以下のように話しています。
「つかまった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされました。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。そして、大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けました。やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げまわりました。そしてついに気絶したのです。気付くと水をかけられてびしょ濡れになっていました。再び拷問が始まりました。電気棒を口や肛門、女性器に押し込んできました。私はあまりの痛みとひどさに再度気を失いました」
「つかまった尼僧たちがひとつの部屋に集められ、服を調べられました。顔を伏せたままでいると、服を一枚一枚脱がされ裸にされました。その部屋は窓が多く、外には大勢の一般囚が見ていました。そして、大勢の見るなか、警官の一人が頭を、もう一人がお尻を棒で殴り続けました。やがて、あまりの痛さに恥ずかしさも忘れ、私は床に転げまわりました。そしてついに気絶したのです。気付くと水をかけられてびしょ濡れになっていました。再び拷問が始まりました。電気棒を口や肛門、女性器に押し込んできました。私はあまりの痛みとひどさに再度気を失いました」
電気棒は家畜に用いる電気ショック棒です。80年代から使われたようです。民族浄化作戦で女性が子供を産めないようにする目的でも使われたようです。
28年間獄中で過ごしたアマ・アデ女史
「私が逮捕されたのは26歳のとき。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられました。しかし、実際には看取の性欲処理係でした。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えました。でも思いとどまりました。豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来たからです。私たちの行為がなかったら、彼らは一ヶ月と生きられなかったでしょう。刑務所内の食糧事情はひどいものでした」
「私が逮捕されたのは26歳のとき。300人ほどの女性が一緒に連行されましたが、その中から私を含めて4人が豚の世話をし、看守の服を洗濯する役を言いつけられました。しかし、実際には看取の性欲処理係でした。私たちは舌を噛んで死ぬことまで考えました。でも思いとどまりました。豚の世話係という立場上、盗んだ豚の餌を独房にいる活仏や高僧のところにこっそり持っていくことが出来たからです。私たちの行為がなかったら、彼らは一ヶ月と生きられなかったでしょう。刑務所内の食糧事情はひどいものでした」
日本のメディアはケンサン・ペモさんの証言を報道したことがありますが、性的暴力のところは隠蔽して報道しました。朝日新聞と岩波書店の月刊誌「世界」です。このチベットの事実を女性の人権問題として声を上げようとすると妨害をうけるといいます。
参考文献
オークラ出版「チベット大虐殺の真実」
『チベット人権弾圧クロニクル』岩田温
『私が見た真実のチベットの姿』大高未貴
『シナチズムという民族浄化』若杉大
文藝春秋「アジアの試練 チベット解放はなるか」櫻井よし子(編)
『国境あり人権団体のチベット女性見殺し』酒井信彦
祥伝社「チベット問題を読み解く」大井功(著)
扶桑社新書「中国が隠し続けるチベットの真実」ペマ・ギャルポ(著)
参考サイト
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所
「テールズ・オブ・テラー チベットでの拷問」- 電気ショック http://www.tibethouse.jp/human_rights/human25.html
添付画像
パルデン・ギャツォがチベット脱出の際、持ち帰った拷問器具 http://www.tibethouse.jp/human_rights/human25.html より
パルデン・ギャツォがチベット脱出の際、持ち帰った拷問器具 http://www.tibethouse.jp/human_rights/human25.html より
【醜い中国人】チベット抗議デモ者を笑いながら個人攻撃【気味悪い】
www.youtube.com/watch?v=2ztWwTyGTps
