
最後の伴天連、シドッティ。

豊臣秀吉の天下統一時、秀吉はキリスト教を認めていましたが、一転して禁止します。スペイン大帝国との対決が見えてきたからといわれています。白人は宣教師を尖兵として非白人の土地を植民地化していくのです。徳川時代に入り、家康も秀吉の政策を継承しキリスト教を厳しく禁止しました。
時を経て1708年、徳川六代将軍家宣の時代。イタリア人のカトリック司祭、ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ(Giovanni Battista Sidotti)が日本にやってきます。フィリピンのマニラから日本に船できたのですが、日本の着物を着て、ちょんまげを結って、日本刀を差して、日本人に変装して屋久島に密入国しています。日本語もマニラの日本人町に住む日本人の子孫に学びました。シドッティは目も黒く、髪も黒かったのですが、当時の日本人からすれば180センチの長身は異様ですし、話すと「その言葉、この国のものにあらず」とすぐバレてしまいました。マニラの日本人の子孫の日本語は代を重ねてどうも怪しかったようです。そして長崎へ送られ、江戸に送られました。
シドッティは過去日本侵略を試みたイエズス会ではなく、1622年にグレゴリウス15世がたちあげた布教聖省に所属する司祭でした。スコラ哲学、地理学、天文学、科学、人文学など多方面の学問をおさめるという優秀な頭脳をもち、そして日本がキリスト教を禁止しているのを知りながら殉教の覚悟で日本にやってきたのです。
シドッティははイタリア人ですからイタリア語ができます。長崎ではオランダ語がわかるものはいてもイタリア語はわかりません。シドッティはラテン語がある程度できたので、ラテン語ができるオランダ人に通訳してもらい、そして日本の通訳(通詞)今村源右衛門はラテン語を猛勉強して、シドッティとともに江戸へ行きました。
このシドッティを尋問したのが、新井白石です。まずはラテン語を通じて尋問をし、シドッティはラテン語と日本語を織り交ぜて話ました。シドッティは家族のことなど素直に話し、地理や天文学のあらん限りの知識を披露します。白石は非常に感心し、さまざまな西洋の事情を聞き出しました。後に白石は「西洋紀聞」を書き上げています。
しかし、宗教の話になると白石はあきれてしまいます。あれほど科学的思考で受け答えしていたシドッティは天地は作られ、川は二つに裂け、男女の道をあずからずに子が生まれ、死んだ人間が生き返る、という聖書の話をしだし、そのあまりにも非科学的説明に白石は落胆しました。
「知遇たちまちに地を易(か)へて、二人の言を聞くに似たり」
「知遇たちまちに地を易(か)へて、二人の言を聞くに似たり」
日本では「神」は人であり、徳性の高い人、尊ぶべき人を「神」というのですが、シドッティがいう「神」(GOD)は全能の神ゼウスで万物を創造したというのです。ゼウスがイエス・キリストになりこの世に生まれたなどとは、西洋紀聞に「嬰児の語に似たる」と書いています。やはりキリスト教は眉唾だと考えたようです。ただ白石はキリスト教は一宗教に過ぎないことを理解しました。
「謀略の一事はゆめゆめあるまじき事と存ぜられ候事」
「謀略の一事はゆめゆめあるまじき事と存ぜられ候事」
白石の尋問が終わると、シドッティをどう処置するかが問題になります、これまでキリシタンは処刑するか、拷問して転ばせる(棄教)のが掟でしたが、白石は幕府に三案提示しました。最も推奨は「本国送還」でしたが、第二案の「拘禁継続」となりました。三案目は「処刑」でしたが、白石はこれを愚策としていました。
シドッティはこの後、キリシタン屋敷に監禁されます。シドッティの世話は"長助"と"はる"というものが行いました。この二人はキリシタン崩れか、その子孫だったようで、シドッティに請うて洗礼を受けてしまいます。二人が役人にこのことを告白したため、即捕らえられ、シドッティともども地下牢へ閉じ込められました。やがて3名は衰弱し死亡しました。シドッティが日本に上陸して6年の歳月がながれていました。この後、明治の足音が聞こえるまで宣教師は日本にやってきませんでした。
参考文献
新人物往来社「最後の伴天連シドッティ」古井智子(著)
平凡社「西洋紀聞」新井白石(著) / 宮崎道生(校注)
PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
「歴史通」2010.1月号『中国五千年の嘘』宮脇淳子
新人物往来社「最後の伴天連シドッティ」古井智子(著)
平凡社「西洋紀聞」新井白石(著) / 宮崎道生(校注)
PHP「日本はどれほどいい国か」日下公人・高山正之(共著)
「歴史通」2010.1月号『中国五千年の嘘』宮脇淳子
参考サイト
WikiPedia「ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ」
WikiPedia「ジョヴァンニ・バッティスタ・シドッティ」
添付画像
カルロ・ドルチ作 聖母像(親指のマリア) シドッティが所有していたもの
「画像提供:東京国立博物館」http://www.tnm.jp/
カルロ・ドルチ作 聖母像(親指のマリア) シドッティが所有していたもの
「画像提供:東京国立博物館」http://www.tnm.jp/