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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]私たちの国 日本

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下に終戦後の日本と昭和天皇の貴重なカラーの動画があります。
本日、1月7日です。・・・
 
日本はかつて白人が覇権を握る世界で明治維新を成し遂げ、西洋を学んで近代化し、日清、日露戦争に勝ち、第一次欧州戦争でついに一等国となっていきました。これはアジアの中でも日本だけが行えたことでした。
このような偉業を成し遂げたのは、日本人の質が高かっただけではなく、真面目で、信義に厚く、忍耐強く、負けじ魂があり、我欲を抑え、倹約し、公を重んじ、ルールを守り、約束を守り、和を尊び、恩を忘れない、家族を尊び、友を大切にし、力を合わせて心を一つにし、思いやりの心を持ち、忠君愛国で、皇室を尊ぶなど、社会の質もすぐれていたからでありました。
特に天皇陛下こそ日本の国柄をあらわし、偉業を成し遂げた源泉でもあります
支那の歴代皇帝や朝鮮の国王は、人民の窮状をよそに、民衆から欲しいままに収奪して贅沢にふけることが多かったのです。しかし日本の天皇陛下は節度を守ってきたのです。
明治天皇は『五ヶ条の御誓文』で「上下心を一にして・・」とし、
『軍人勅諭』で「朕と一心になりて・・」とし、
『教育勅語』では「朕、なんじ臣民とともに、けんけんふくようして、皆その徳をいつにせんことをこい願う」と呼びかけています。
これが支那の皇帝や朝鮮の国王ならば民衆と心や徳を一つにして、ともに心を合わせて国を守ろうと述べること自体考えられないことであり、民衆もそんなことは信じられなかったのです。
 
昭和天皇は日露戦争の3年前の明治34年に、明治天皇にとって初の皇孫であり、皇位を継承すべき皇太孫として生まれました。これが裕仁親王であります。御称号として迪宮(みちのみや)と命名されました。裕と迪という字には「広く大きな心で国を治め、人類の幸せのために尽くすように」という意味がこめられています。
 
その昭和天皇はいつも天気予報を聞かれていました。
終戦後の昭和20830日にも天気予報を聞かれ、報告を受けると陛下は「では、稲は大丈夫だね」と、窓の外を見られながらおっしゃりました。
 
昭和63年、長雨が続く中、昭和天皇は病床から、白いレースのカーテン越しに小雨が降っているのをご覧になりながら、「長雨にたたられた今年の稲の実りはどうなっているか」と言われました。
天皇陛下は常に日本国民の安寧と繁栄を祈り、農作物の出来具合をお心配なされてきました。
そして同じ年の919日、昭和天皇は吐血され、病床につかれましたが、回復されることなく、翌年17日に崩御されました。
 
昭和天皇は吹上御苑の小さな水田でゴム長靴をお履きになり稲を育てられました。
そして、今上陛下も同じ水田で田植えをなされ、刈入をなされているのです。
 
 
 
 
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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