上の画像は熊野那智大社の雅楽奉納のものです。
奉納とは、神仏に感謝し、喜んで納めてもらうために物品を供えたり、その前で芸能・競技などを行ったりすることを言います。
江戸時代の思想家・貝原益軒は、次のように述べ説いています。
「およそ人となれる者は、父母これを生めりといえども、其の本をたづぬれば、天地の生理を受けて生る。故に天下の人は皆天地の生み給ふ子なれば、天地を以て大父母とす。尚書にも天地は万物の父母と言へり。父母はまことにわが父母なり。天地は天下万民の大父母なり。其上生れて後、父母の養を得て成長し、君恩を受けて身を養ふも、其本をたづねれば、皆天地の物を用ひて食とし、衣とし、器として身を養ふ。
故におよそ人となれる者は、初めて天地の生理をうけて生まるるのみならず、生れて後、身を終るまで、天地の養を受けて身を保てり。然れば人は万物にすぐれて、天地の窮りなき大恩を受けたり」
大意は、人間は、父母から生まれたものですが、遡ると、天地大自然から生まれており、人はみな天地の子であり、天地は実際の父母に対して大父母なのだ。人間は生まれてから、親に養ってもらって成長し、主君や天皇陛下の恩を受けて生活しているが、そのもとを考えると、人はみな、衣食住すべて自然のものを用いて生活している。だから、人間は、天地大自然の恵みを受けて生まれるだけでなく、生まれてから死ぬまで、天地大自然の限りない恩恵を受けていると・・・・
私たち人間は、誰もが健康を願います。健康な生活をするためには、自分の身体を大切にすることが必要なのは当然のことですが、昔の日本人、私たちの先祖は、自分の身体を単に自分の体だとは考えませんでした。
自分の身体は、親からもらった身体であり、大切にしなければならないと考えたのです。
「身体髪膚(しんたいはっぷ)之(こ)れを父母(ふぼ)に享(う)く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という言葉があります。儒教の古典『孝経』にある言葉ですが、私たちの身体は、髪の毛から皮膚に至るまで、すべて、両親から譲り受けたものだ。この大切な身体を傷つけることのないように生活することは、親孝行の第一歩であると捉えていたのです。
現代人の我々には思いもつかない考え方でが、実際、明治生まれくらいまでの人、私たちの祖父や曽祖父の世代は、自分の身体は父母から与えられた体だと考えていました。親が死んだ後も、自分の体は父母が残してくれた体だと考えました。父母は死んでも、自分の身体として生き続け、だから、自己の身体は、父母の尊体でもある。だから大切にしなければならないと考えたのです。そこには、親への感謝の思いがありました。また、生命への確かな実感があったのです。つまり、生命とは、親から与えられ、自分を通じて、子孫へと受け渡していくものという考えです。過去・現在・未来と、世代をつらぬく生命の連続性と一体性を、少し前までの日本人は、私たちよりずっと深くとらえていたのです。
昨今、公務員の刺青問題が社会問題となっていますが、少し前の日本人の考えでは、論外なのです。
我々の先祖はまた、自分の生命は、大自然の恵みによって生かされている生命だとも考えていました。我々、自然というと、自分の身体の外にあるものと考えがちですが、実は最も身近な自然とは、自分の身体そのものでもあるのです。この身体は自然つまり環境と切り離すことはできません。身体と環境は、それら全体で、一つの自然を為し、我々は、大自然の中の一部として、その自然の恵みを受けて、生きているのです。実際、私たちは、空気や水や光や食物なくしては、生きていけません。私たちの先祖は、こういうことを深く感じ、大自然に対し、感謝の思いを持って生活していました。
朝に祈り夕べに感謝の気持ちを神々に捧げていた光景は筆者の子供の頃には珍しくありませんでした。
前述した、貝原益軒は、次のように記しています。
「人の身は父母を本とし天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし」(『養生訓』巻第一・総論上)
すなわち、人間の体は父母を本として生まれたが、生命の起源は天地大自然という大父母にある。自分の体は、親である父母によって生み育てられ、また大親である天地大自然の恵みを受けて養われたものだ。自分の体のようであって、自分の私物ではない。天地大自然から賜った物だ。また父母が残してくれた体だ。だから、健康に気をつけて、生活を慎み、体を粗末にせず、長生きできるよう努めなければならない。これが、父母や天地に孝行する根本だ。自分の体を損ない、健康を失ったら、自分の両親にも天地大自然にも報いることもできないのだ。このように、益軒は説かれています。
益軒の書は、江戸時代広く庶民の間に読まれ、親しまれました。
そして、生命を与えてくれたことを、親や先祖に感謝し、健康に気をつけ、子孫の繁栄に努めることは、親孝行であり、また先祖への孝養となります。さらにそれだけでなく、大自然の恵みに感謝し、自然環境を大切にすることは、大自然の恩に報いることともなります。
健康な生き方をすることは、単に自分のためではなく、親や先祖や大自然に恩返しをするために必要な、積極的行動であるわけです。
大自然というのでは理解できない方々は、神と呼ぶとわかりやすいでしょう。神とは、生命の源であり、実の両親を超えた大親のようなものを人格化して、神と呼んでいるのだからです。
我々現代人は、健康で有意義な生活を送るために、昔の日本人に学ぶ必要があることに必然と至ります。地球の自然環境を保全するためにも、大いに学ぶ必要があることもお解りいただけるでしょう。そして、私たちが最も学ぶべきものとは、「生かされていることへの感謝の心」です。
このことこそ、西洋化・近代化、我欲にとりつかれた日本人が忘れているものであり、自然の中に生きる人間として取り戻すべき、最も大切な、根源的な感情です。
「日本の心」を学ぶとは、「生かされていることへの感謝の心」をよみがえらせることでもあります。また、それは、私たちの先祖が持っていた「天地父母のこころ」を、現代において実践し、人間が、健康な生き方をし、また自然環境を保全し、自然と調和した文明を創るうえでも、今日、まさに必要なことであり、先人・先祖のみ教えであり、日本人として大切なことなのです。