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2009年3月18日、東京の憲政記念館で「シルクロードにおける中国の核実験災害と日本の役割」が日本ウィグル協会主催で行われました。
当日は国会議員の松原仁氏が来て挨拶をしました。後日、シンポジウムの決議文を全国会議員に送ったが、返事が来たのは一通だけでした。その返事の主は平沼赳夫氏で、「あなた方はいい活動をしている。頑張りなさい」といった内容でした。
このシンポジウムはチベット、モンゴル、ウィグルへのシナの核問題を主題とし、核放射線の専門家の高田純先生から提案がありやることになりました。
2009年の早々からこのシンポジウムのパネリストや日程を詰めていきました。
そして、パネリストはイギリスに亡命しているウィグル人医師のアニワル・トフティ氏、高田純氏、櫻井よし子氏に決まりました。
忙しい櫻井氏の都合で3月18日が開催の日に決定しました。
会場は憲政記念館を西村眞悟衆議院議員の厚意で取っていただきました。
この頃から妨害工作が活発になっていきました。
高田先生にところにはメールや電話がかかってきて「参加をやめるように」と強要し、アニワル医師には「極右の政治活動だ」と吹き込んで辞退するように工作してきました。
世界ウィグル会議の各支部には「櫻井よし子は極右である」と宣伝してシンポジウムをやめるように仕向けてきました。
そして、櫻井よし子氏本人にはウィグル人2名が出向いて「ウィグル人はこのシンポジウムを支持していない」と言いに来ました。
しかし、それが事実であれば世界ウィグル会議からシンポジウム中止の要請があるはずで、このウィグル人2人が嘘をついていることは明白でした。
しかし、このような妨害工作の結果、櫻井よし子氏はパネリストから降りてしまいました。
シンポジウム開催は困難に陥りました。準備するスタッフにも動揺が広がりました。この騒動を見て「今回のシンポジウムは延期した方がよい」と言う人もいたという。
こういう状態でありましたが、「アニワル医師と高田先生がいればシンポジウムは成立する」「参加人数は関係ない」という固い意志のもと、世界で初めてのシナの核災害についてのシンポジウム開催の準備が再び動きはじめました。
その後、パネリストにはチベット、モンゴル、ウィグルの三民族連携シンポジウムに来て頂いた藤井厳喜氏が引き受けてくれました。藤井先生は本来の予定を変更されて協力して頂いたのです。
シンポジウムは150名の参加があり無事終了しました。シナ共産党の万が一の妨害を想定してスタッフによる防衛体制を敷いての開催でありました。
また、当日は桐蔭大学教授ペマ・ギャルポ先生とダライ・ラマ法王の甥ケドウープ・トウンドウップ氏も参加され、シナの核開発で同じく被害を受けているチベットの悲劇をあいさつの中でお話されました。
日本人の正義の心は健在でありました。
このシンポジウムの後にシルクロード科学倶楽部が発足し、NHKが日本の公共放送局としてふさわしくない番組制作(「NHK特集 シルクロード」でシナの核実験を知りながらシルクロードへ日本人の観光を誘導し、多くの日本人に健康被害をもたらしたこと)を行ったことを非難し、ウィグル人の健康被害調査、シルクロード楼蘭周辺を観光した日本人の健康被害調査を開始し、保守系の「チャンネル桜」の協力も得て、広報活動を行い、被害者からの情報が寄せられました。
この後、日本会議が講演会「知られざる中国の核実験災害」を行い、8月6日の広島に原爆が落とされたその日に元航空幕僚長の田母神閣下が講演会「ヒロシマの平和を疑う」という“日本も核武装をすべき”という主張をしました。さらには8月9日の長崎に原爆が投下されたその日に高田純先生の地元札幌で、高田・田母神講演会を開催しました。
このように、2009年3月の東京でのシンポジウムから、日本の核問題を冷静にかつ真剣に議論をするようになっていきました。数々の妨害や困難がありながらも、日本の核問題を目覚めさせる先駆けになったことは間違いありません。
今後は政治の場で、国家としてどんどん議論すべきでしょう。
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