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[転載]日本人の戦争とはこうであった ~祖母の戦争~

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祖母は大正149月、小学校の教員である父と後妻の母との間に生まれた。6人兄弟のうち兄2人は腹違いの兄弟で、祖母は三番目で、下は弟が3人であった。
 
よく晴れた秋の日、幼い祖母は竹の棒を持って木の上に潜んでいた。遠くから来る親戚のおじさんを待っていた。
 
「来たぞ」祖母は歩いてくるおじさんをじっと見つめて、「やあっ」かけ声とともに祖母は木から飛び降り、竹の棒をおじさんの脳天めがけて振り下ろした。バチンといい音がした。「おじさん参ったか」そう言うと幼い祖母は得意げに着物の裾をまくって走って行くのであった。
 
後で単身赴任中の父に代わり祖父にひどく叱られた。
「おれは、男兄弟に囲まれて男みたいだった」と祖母は私にいつも話すのである。
 
当時、小学校は「尋常小学校」と言い、6年制であった。小学校には給食という制度はなかったので、皆、弁当を持って行った。当時はご飯に漬物ばかりで、卵焼きが入っていれば大変上等なお弁当であった。

しかし、中にはご飯と漬物すら持って行けない子供が一つの学級に23人はいた。そんな子供らは昼食時間になると決まって外に出て校庭にいた。当時の日本にはそんな惨めな思いをしていた子供らがたくさんいたのである。
 
祖母の子供の頃の冬遊びは何といってもソリであった。これはとても面白かったという。冬以外では女の子達の間で銀杏遊びが流行っていた。
 
銀杏遊びはセメントの上に銀杏を数個置き、そこに自分の持っている銀杏を投げつけるのである。銀杏同士が上手くぶつかってバチンといい音がすれば、その銀杏は自分のものになる。「おもしろいぞ」祖母はこの銀杏遊びの説明をこう締めくくりながら目を子供のように輝かせるのである。

それに比べ私の幼い頃の遊びはテレビゲームが大半で、単なる画面操作に終わるテレビゲームより、友人と直に触れ合い、笑いあう方が人間の情操を育むことが出来るのは明らかである。

 
祖母の家はその祖父が元税庁の職員であってその恩給があり、父が小学校の教師であったので比較的裕福であったが、父が亡くなってしまってからは厳しい生活を余儀なくされた。
 
夫を亡くし未亡人となった祖母の母に、祖母の祖父母は「子供らは自分らが面倒を見るから他へ嫁いでもよい。これから生活は厳しくなるだろうし」と言ったそうだが、祖母の母は腹違いの二人の兄と祖母、3人の弟を見捨てなかった。祖母の母はとても優しい人だった。
 
米国との戦争が激しくなり、都会に住む親戚が祖母の家に疎開してくることになった。今でこそ親戚が来るといえば賑やかで楽しいが、当時は大変なことであった。食べ物がないのである。旺盛な育ちざかりであった親戚の子供達の食欲を戦争時の少ない食べ物では満たすことが出来ず、子供達は「もっと食べたい」とせがむのであった。
 
十代後半になっていた祖母はそんなわけで疎開については不満があった。いくら親戚で幼い子供とはいえ、家の実情を考えると腹が立つのである。しかし祖母の母は不機嫌な顔一つせず、にこにこしながら食べ物をねだる疎開してきた子供達に食べ物を与えたのであった。しかもそれは実は祖母の母が食べるはずの食べ物だったのである。そんな優しい母を祖母は「母やん」と言って今でも慕っている。

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さて、祖母の小学校生活において欠くことが出来ないものは「教育勅語」である。祖母はこの有難い「教育勅語」が戦前の日本にあったことを私に伝えたいらしく、私が子供の時から「おれの子供の時、教育勅語があった」と何度か言うのであるが、子供の私は全く気にかけず聞き返すことすらしなかった。
 
しかし二十歳を過ぎて改めて「教育勅語」について祖母から教えられた時、これはすごいものだと思った。

その教育勅語を78歳の祖母は暗唱することが出来る。また82歳の祖父は全文を書いて私に渡してくれたのであった。
 
後に私はこの教育勅語について調べたが、祖父の書いた教育勅語は実に一字の誤りもなかった。終戦後、米国の方針で廃止されたが、田舎の日本の老人の心にはずっと教育勅語とその精神が残っていた
 
これは何と凄いことではないか。
 
今、日本の教育は「自由」という言葉に蹂躙され、自分さえよければという心が深く子供達の脳髄に根づいてしまっている。教育という面では米国よりも悪い。
 
人間は、まず道徳教育により、何が悪く何が良いのかを分別させ、社会に適合するように、かつ能力ある者は政治や行政に携わっても社会に有益となるように教えなければならないのであり、国民の道徳が荒廃した時その国は衰退し滅びるのである。故に戦前の日本は子供達に道徳教育に先ず何より重きを置いたのであった。
 
その結果、日本のお年寄りの様な「素直」で「素朴」な日本人が日本中にあふれ、治安のよい日本となったのである。 
(参照:『祖父母たちの大東亜戦争』より)


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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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