2009/3/30(月) 午後 8:38最近の記事練習用 Yahoo!ブックマークに登録
御来訪感謝申し上げます。
私は、かねがねマスコミやメディアの一般大衆を完全に馬鹿にした「世論の印象操作」に腹を立てて来ましたが、自分なりにどういう切り口で本ブログの記事として上梓しようかという迷いがあったため、記事として正面から取り上げることを躊躇していました。
この手の話(マスコミの世論誘導)は他の優秀なブロガーの方々が隻眼を持って多々記事にされていますので、私如きの出る幕はないという思いもありました。
しかし、軽佻浮薄、ミーハーの典型でもある不肖敬天愛人でも記事の題材として取り上げる格好の話題が、昨今、巷を賑わしているのでこの話題を取っ掛かりにお話させて頂きたいと思います。
冒頭写真にあるように、週刊誌最新号の見出し及び目次ですが、陣内智則と藤原紀香の離婚騒動にまつわる「典型的な印象操作」の例であります。
本ブログは政治関連ブログであり、芸能ネタは番外のものでありますが、マスコミの醜悪な印象操作の例の一つとして今回引用させていただきます。
詳細はむしろ御来訪の皆様の方が御承知でしょうから、割愛致しますが、要は、今回の離婚に至った原因は「陣内にすべての非がある」という視点で記事を書いております。
私は、陣内智則も藤原紀香のファンでもありませんし、どちらに与する立場ではありませんが、今回のマスコミの報道に相も変らず国民を愚弄する悪意を持った報道姿勢に、麻生首相へのネガティブキャンペーンと「同じ根」を見たのです。
このような「印象操作」の背後にある「作為的な意図」を感じるのです。
つまり、国民を自分達の意図する方向に導きたいとする作為的な思惑であります。
陣内の浮気がどうの、DV(家庭内暴力)がどうのという陣内を完全に悪者に仕立て上げて、一方の藤原の離婚によるイメージダウンを食い止め、むしろ「同情を買う」という形のイメージアップを図ろうしているのがミエミエなのであります。
詳細を検証するまでも無く、私のように50年以上人生をやって来たオッサンにしてみれば、陣内の顔を見て巷間伝えられているような男かどうかの判断は出来ます。
それだけ、「男の顔」は重い存在なのです。
陣内が悪で、藤原が虐げられた悲壮な犠牲者という図をマスコミを操っている者が描きたいのでしょうが、あにはからんや、そんなに国民は馬鹿ではありません。
藤原にしても結婚前から何かと噂があり、結婚に至る経緯も不自然なものがあったという話は結構聞かれていました。
素人ではなく芸能人ですから、それはそれで当たり前といっても過言ではありません。
陣内もレッキとした芸人でありますから、そんなことは百も承知の上で結婚に踏み切ったのだと想像致します。
陣内は吉本興業、藤原は何かと噂されるバーニングプロ傘下の所属であります。
綺麗事だけで二人が結婚したというのは、小沢一郎が真底から国を憂いて政治活動を行っているというくらい「あり得ない」話であります。
今回のこの離婚騒動も、女優としてイマイチパッとしなかった藤原を芸能界で格下のお笑い芸人と結婚させるという「格差婚」の美談に仕立てて、女優としてのステップアップを図りたい所属事務所の悲願と、一方の吉本にしても「紀香の旦那」として陣内を継続的に安定した芸人として売りたいという利害が一致した賜物だったのでしょうが、如何せん「サゲマンの演技力の乏しい」大根女優でありますから、陣内も逆にせっかくの才能をスポイルされてしまう最悪の結果に終わった事が両所属事務所の思惑はずれだったというのが真相だったと思います。
男は悪者になってもそれほど致命的な傷になりませんが、藤原は善玉にしておかないと今後の芸能生活に大きな影響がありますから、そういった事情もあって世論の印象操作を躍起になって行っているのだと見ています。
ここで考えるのは、麻生首相が一般的に(村山談話の踏襲を除いて)特に政治的失点も不可もないのに、マスコミのネガティブ攻撃に晒されるのは何かという事と類似していると考えるからであります。
つまり、保守本流の最後の政治家とも言える麻生首相では困る勢力がマスコミを牛耳っているからであります。
具体的に麻生首相の失点を挙げてみろと言われてもマスコミはなにも答えられないはずであります。「漢字の読み違え」や「ホテルでの飲食」等々は失点にもなり得ません。
マスコミのただのさもしい小姑的なイジメに過ぎません。
小沢の巨悪の前には、清廉潔白そのものであります。
しかし、そんな麻生首相でもさも歴代首相の中でも最悪の資質の首相であるかのような印象操作をされてしまうのであります。
そうすると、陣内智則如きの「ポット出の芸人」などは事務所の力関係もありますが、良い様に操作されてしまうのも仕方ない事なのかも知れません。
結局、攻撃する側に悪意に満ちた作為があり、さらに巨悪な汚点があり、それを悟られまいとする攻撃側の弱みが過剰な反応を起しているという現実が往々にしてあるのです。
物事の見方や判断の材料として「一つのヒント」になればと思い、今日のような記事を上梓させていただきました。
マスコミに言論の自由や公正なジャーナリズム精神は全く無いという我が国の悲惨な現状があることを思い知らされるのも今のマスコミの姿を見てのことなのです。
何が真実なのか、何が嘘・捏造なのかを判断できる見識を持つことも我々国民の大事なことではないかと考えます。
また、その事が自分達の幸せを守るためにも必須条件なのだと思います。
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