Quantcast
Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

[転載]ネットで誰も書いていない「莞達嶺事件」。日本人女性への「強制連行」と「性奴隷」。

$
0
0

気ブログランキングに参加しています。 
まずはここをポチッとお願いします。 イメージ 2


イメージ


ネットでは誰も書いていないので書き残しておきたい。それは「莞達嶺事件」(かんたつれい事件)である。
 
満州の莞達嶺は黒竜江省東北部にある。中山茂子氏は大正12年生まれで、満洲饒河県(じょうがけん)で警察官をしていた千坂幸雄の夫人として、この事件に巻き込まれる。
 
日本の終戦を知りながらソ連軍は満洲の国境を破って侵入し、手当たり次第、日本婦女子に一斉に機銃射撃を浴びせていた。
 
満洲饒河県から脱出した県長の新井は千坂幸雄夫妻と宝清県四合屯に到着した時、ソ連軍の攻撃を受けた。
 
「もはや、これまで」と思った県長は自ら家族を手にかけて自決。同じく千坂夫妻も自決寸前までいったが、宝清の郊外まで逃げた。
 
しかしソ連軍の手先であった白系ロシア人に捕らわれて、千坂夫妻はソ連軍の手に落ちた。
 
捕まった男子はソ連に送り、夫人は苦力小屋のような場所に収容され、ソ連兵の鬼畜の性欲の前に晒された。この性的襲撃はソ連兵が撤退する昭和21年春まで続いた。
 
筆舌に尽くし難いその一部を書く。中山茂子著『莞達嶺の挽歌』にはこのように書かれている。
 
「私のそばに美しい母娘がいた。母娘は逃げたが捕まった。よく彼らの標的にされた。それをかばう母親の姿が哀れだった。気が狂ったように反抗するが及ばない。娘はとうとう「助けて、助けて」との声を残して引きずられて行く。その助けての声と同時に300名の悲鳴は物凄かった。


この世の出来事とは思えぬほどの残虐極まりない暴虐が繰り広げられた。最悪の事態に明日の命さえ知れない婦女子の群れに襲い掛かるソ連兵。反抗すれば上へ向けた銃で威嚇する。尚も反抗すればモンペの両側を下まで切り裂く。

悔しさに睨めつければ、そこには十人もの兵が順番待ちに立ち並んでいる。耐えかねて自決した女性が宝清には多かった。あの母娘も空しく宝清の地で自決したと聞く」・・・。
 
この事実こそ直視してほしい。
終戦直後から日本人女性は「強制連行」されて「姓奴隷」にされていたのだ。
 
にもかかわらず、ついこの間まで日本国は国家として朝鮮人慰安婦に「姓奴隷」「強制連行」と言われて謝罪と賠償をした。しかしこれは嘘であることがバレた。

「強制連行」「姓奴隷」された国が自国民の被害者女性には触れずに、「強制連行」「姓奴隷」されていない国に謝罪と賠償をするとは、いかれているとしか思えない。
 
ここに今も継承している「日本政府の公式見解」を書いておく。
 
従軍慰安婦として多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。
我々はこのような歴史の真実を歴史の教訓として直視して、歴史研究や歴史教育を通じて永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さない固い決意を改めて表明する。
 
真実の歴史を知ると、この“談話”が如何に頓珍漢であるかがよくわかる。
歴史を知らないということは、こういうことなのだ。

・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。 
日本人は真実の歴史を知るべきだ、と思った方はここをポチッとお願いします。
                    イメージ 2 

転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


Viewing all articles
Browse latest Browse all 8971

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>