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学校で絶対教えない歴史がある。
神功皇后の朝鮮征伐である。
朝鮮に都合の悪い事実は「作り話」にして、神功皇后も「実在しない」と消そうとする。そこまで朝鮮に配慮する必要があるのか。
朝鮮に都合が悪くても、日本の誇りになる歴史は知っておくべきだ。
「やまとは国のまほろば たたなづく青垣山こもれる やまとしうるはし」という有名な歌を詠まれながらおかくれになられた日本武尊(やまとたけるのみこと)。
日本の国はなんと美しい国であるか、と言われた。
この日本武尊の御子(みこ)が仲哀天皇で、皇后は神功皇后である。
当時、九州で反乱が起きると仲哀天皇は神功皇后と九州征伐をされたが、仲哀天皇は勝利を得ずに急病で崩御された。
すると神功皇后は民心の動揺を防ぐため崩御を秘匿し、「九州動乱の原因は朝鮮半島にある」と喝破した。
当時、朝鮮半島では高句麗が強く、高句麗は百済と新羅を押さえようとしたが、これを恐れた新羅は高句麗につき、共同して九州で反乱を起こしていた。
孤立した百済は高句麗の侵略を食い止めようとしたが、独力では出来ず、日本に助けを求めてきた。
神功皇后は男装して三軍を率いて朝鮮を攻めて新羅を討って九州反乱の元を断った。
この時、降参した新羅王は日本に誓いを立てて「服属を約束します」と言った。
このことは朝鮮の古い歴史書『三国史記』にも同じように書いてある。
また高句麗の広開土王の碑には「日本軍が朝鮮半島に攻め入ると、百済や新羅が日本の勢力下に入り、やがて高句麗の平壌に迫って来て高句麗と激戦した」と書いてある。
百済王の使いが日本に貢物を持って来て、新羅の害を除いてくれたことに、「この大恩を忘れません」と七枝刀と七子鏡を献上した。
この七枝刀は奈良県天理市の石上神宮に「神宝」として伝わっている(下画像)。
そこには銘文が刻んであり、百済王父子は「命を助けて頂いたご恩に報いるために、謹んで日本の天皇陛下にこれを献上いたします。どうぞ、永久に御受納下さい」と記されている。
こういう事実はよく覚えておこう。
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