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[転載]生かされていることへの感謝と和

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伊勢神宮(外宮)



昨今、健康ブームといっても過言ではありません。 無病息災を誰もが願っています。健康な生活をするためには、自分の身体を大切にすることが必要です。これは当然のことですが、昔の日本人、私たちの先祖は、自分の身体を単に自分の体だとは考えませんでした。何故なら、自分の身体は、親からもらった身体、祖先から受けついだ体、だから大切にしなければならないと考えたのです。

「身体髪膚(しんたいはっぷ)之(こ)れを父母(ふぼ)に享(う)く。敢(あ)えて毀傷(きしょう)せざるは、孝の始めなり」という言葉があります。古典『孝経』にある言葉ですが、私たちの身体は、髪の毛から皮膚に至るまで、すべて、両親・祖先から譲り受けたものだ。両親・祖先から譲りうけた体に刺青などもってのほかという考えがありました。
この大切な身体を傷つけることのないように生活することは、親孝行・祖先崇拝の第一歩であるということを意味します。
こうした考え方は、現代の私たちには思いもつかない考え方ですが、しかし実際、明治以前は当然のことながら、昭和初期生まれくらいまでの人々、私たちの祖父や曽祖父の世代は、自分の身体は父母から与えられた体だと考えていました。親が死んだ後も、自分の体は父母が残してくれた体だと考えました。父母は死んでも、自分の身体として生き続けている。だから、自己の身体は、父母の尊体でもある。だから大切にしなければならないと考えたのです。そこには、親への感謝の思いがありました。
大東亜戦争で護国の神となられた神々の、遺書には両親、祖先、兄弟、子孫への感謝、願いが記されています。
また、生命への確かな実感がありました。つまり、生命とは、親から与えられ、自分を通じて、子孫へと受け渡していくものという実感です。過去・現在・未来と、世代をつらぬく生命の連続性と一体性を、少し前までの日本人は、現世の我々よりずっと深くとらえていたのです。

私たち日本人の先祖はまた、自分の生命は、大自然の恵みによって生かされている生命だとも考えました。私たちは、自然というと、自分の身体の外にあるものと考えがちですが、実は最も身近な自然とは、自分の身体そのものです。そして、この身体は自然つまり環境と切り離すことはできないのです。身体と自然環境は、それら全体で、一つの自然を為しています。私たちは、大自然の中の一部として、その自然の恵みを受けて、生きているのです。実際、私たちは、空気や水や光や食物なくしては、生きていけません。私たちの先祖は、こういうことを深く感じ、大自然に対し、感謝の思いを持って生活し、神の存在として崇めてきたのです。
江戸時代の思想家・貝原益軒は、次のように記しています。
 「人の身は父母を本とし天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生まれ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの(御賜物)、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし」(『養生訓』巻第一・総論上)
すなわち、人間の体は父母を本として生まれたが、生命の起源は天地大自然という大父母にある。自分の体は、親である父母によって生み育てられ、また大親である天地大自然の恵みを受けて養われたものだ。自分の体のようであって、自分の私物ではない。天地大自然から賜った物だ。また父母が残してくれた体であり、健康に気をつけて、生活を慎み、体を粗末にせず、長生きできるよう努めなければならない。これが、父母や天地に孝行する根本を為し、自分の体を損ない、健康を損なえば、自分の両親にも天地大自然にも報いることもできず、このように、益軒は説いたのです。益軒の書は、江戸時代広く庶民の間に読み親しまれました。庶民が感じていることが受けいらられたからです。
私たちの生命は、両親から与えられ、大自然によって生かされている生命です。ですから、昔の日本人が、親さらには先祖への感謝と、大自然への感謝をもって生きていたということは、人間の本質に根ざした感情であったわけです。そして、生命を与えてくれたことを、親や先祖に感謝し、健康に気をつけ、子孫の繁栄に努めることは、親孝行であり、また先祖への孝養となります。さらにそれだけでなく、大自然の恵みに感謝し、自然環境を大切にすることは、大自然の恩に報いることともなります。そして、益軒によれば、健康な生き方をすることは、単に自分のためではなく、親や先祖や大自然に恩返しをするために必要な、積極的行動でもあるのです。
大自然というのではわかりにくい人は、神と呼ぶとわかりやすいでしょう。神とは、生命の源であり、実の両親を超えた大親のようなものを人格化して、神と呼んでいるのだからです。

さて、上記のように見てくると、私たち現代日本人は、健康で有意義な生活を送るために、昔の日本人に学ぶ必要があると思うのです。また、地球の自然環境を保全するためにも、大いに学ぶ必要があることもわかります。そして、私たちが最も学ぶべきものとは、「生かされていることへの感謝の心」です。これこそ、西洋化・近代化した後の日本人が忘れているものであり、自然の中に生きる人間として取り戻すべき、最も大切な、根源的な感情ではないでしょうか。
「日本の心」を学ぶとは、「生かされていることへの感謝の心」をよみがえらせることでもあります。また、それは、私たちの先祖が持っていた精神を、現代において実践することにもなります。そして、人間が、健康な生き方をし、また自然環境を保全し、自然と調和した文明を創るうえでも、今日、まさに重要なことです。

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神々に感謝




我国は皆さんご存知のように、稲作文化の国です。
 日本人は、米を作り、米を主食としてきました。日本人の生き方、また日本文化は、稲作なしではありえません。
日本人の民族性、祭祀、生活様式、伝統芸能等の多くが、米と関係があります。稲作文化は、各地の民話、民謡から絵画や詩歌、工芸品そして建造物や衣服、日用品に至るまで、日本人の生活のすみずみにまで浸透しているのです。ですから稲作を語るということは、日本人の心を語ることであり、日本文化の土台と特徴を語り知ることにも繋がるのです。稲作を通じて日本人の心、日本の文化を知ることができ、健康な生き方をし、自然と調和した文明をめざす「こころ」が得られるのです。
 日本の心は、よく「和」の精神といわれます。この「和」の精神の発達において、米作りは大きな役割を果たしてきました。
 欧米の白人種と違い、日本人は農耕民族です。そして米を主食としてきました。稲は連作が可能な作物です。一定の土地で、何代にもわたって水田を続けることができ、一つの土地に先祖代々にわたって生活すると、その土地にたいする強い愛着が生じ、同じ土地に住む村の人々は、先祖以来の知り合いであり、血縁・地縁による強い結びつきをもつことになります。そして、社会全体が、村を単位とした共同体の集まりとなっています。こうした日本社会を特徴づけているものが、稲作なのです。
 日本の稲作は、集約的灌漑水田稲作です。灌漑水田稲作は、個人労働ではは賄えません。開墾や灌漑、そして水の管理等、すべて協同労働で行なわなければ、不可能なのです。田植えから稲刈りまで、労働は集団的・組織的に行います。水田の所有権は各戸別であっても、営みは共同的な営みで行なわれます。こうした協同労働を通じて、団結心が育まれました。また、米作りは、家同士が争っていては、大切な協同労働ができません。そこで、相手との協調性が発達しました。
 灌漑水田稲作で、一番重要なのは水です。水は共有のものであり、共同の営みの中で全体で管理します。水を田に、いつ、どれくらいの量や割合で入れるか、は勝手に決められません。同じ水系の上・中・下流の人たちが、何度も話し合いながら全体を調整しました。そこから話し合いによる合議が重んじられることになります。
 日本の水田は海外の水田とは違い、狭く、また水田と水田が互いに接しています。ある田で病虫害が発生したり、雑草が生えたまま放置すると、その影響はすぐ周りに及びます。昔は、今日のように食糧が豊かではありません。乏しい食糧を家族みなで分け合って生きてきました。もし稲が病虫害でやられると、多くのの生命に関わり、自分の家だけでなく、村の他の家にも及びます。自分の田を荒らすことは、よそ様に申し訳ないことになります。自分勝手なことをして、人に迷惑をかけてはいけのです。まさに命懸けで、他人に気配りをすることや、相手の立場を考える思いやりの大切さを、日本人は稲作を通じ学んできたのです。
 このように、日本人は米作りを通じて、勤勉性、団結心、協調性、合議、迷惑を掛けない意識、気配り、思いやりなどを、身につけてきました。それゆえ、米作りによって、日本人は「和」の精神を発達させてきたということが言えるでしょう。

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今上陛下 御田植え  御尊影

畏くも今上陛下におかせられましては、神代の御神勅を、現在に体現あそばされておられます。
 
宮城で陛下自ら田植えや稲刈りをされています。そして、神に収穫を感謝し、神の加護を祈っておられます。これは先帝陛下が始められ、平成になってからは今上陛下が引き継がれたものです。今上陛下は、5月末ころに宮城内の水田で、五穀豊穣を祈る「お手植え」を行いあそばされ、稲の苗を植えられます。そして、10月初め頃、「お稲刈り」をされます。収穫された稲は、新嘗祭に使われます。
 このように今上陛下におかせられましては、自ら稲作をすることによって、人間と自然との調和のために、本来の日本人があるべき姿、あるべき精神をお示しなられているのです。

今日の我国は、我欲が横行し、他人様の迷惑も顧みず、権利を要求し、平和を乱す輩の行為は目に余るものがありますが、一部の劣化した愚民にしかすぎません。
これらはまっとうな方々への迷惑になるだけです。
「一所懸命」という言葉があります。一生懸命ではありません。「一つの場所、この土地に命を賭けて働く」ことです。田に米が出来なければ、人は食べるものがなくて死ぬのです。幼い子どもや年寄りが死ぬのです。そういう命がけの真剣さで家族・一族が働くとき、小さな土地に労働が集約されます。そこで、一所懸命にやれば水田の生産量は目に見えて上がるのです。このことが、日本人の勤勉さや真面目さ、几帳面さ、また郷土愛の強さを醸成しました。

今一度、祖先がもっていた精神、「生かされていることへの感謝と和」の精神に立ち返ってみることが重要ではないでしょうか?



転載元: 美しい国


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