続き 臣籍降下の伝達
・伏見宮(4名)・山階宮(1名)・賀陽宮(8名)・久邇宮(10名)・梨本宮(2名)
・朝香宮(6名)・東久邇宮(7名)・北白川宮(4名)・竹田宮(6名)・閑院宮(2名)
・東伏見宮(1名) (詳細省略)
・朝香宮(6名)・東久邇宮(7名)・北白川宮(4名)・竹田宮(6名)・閑院宮(2名)
・東伏見宮(1名) (詳細省略)
もともと皇族に戸籍はない。戸籍に代わるものとして「皇統譜」と称する宮内
大臣の所管に属するものがあった。臣籍降下が実施されるに当たり昭和22年
9月に新たに公布された「皇族の身分を離れた者及び皇族となった者の戸籍に
関する法律」の規定に従い、臣籍降下した五十一人は各役所において、
宮号を姓として新たに戸籍を作成した。
竹田宮恒徳は著書で、臣籍降下は総司令部の指令によるものであると述べて
いる。しかし、既に述べたとおり、「直宮以外の皇族を全て臣籍降下させる」と
いう総司令部の意向が事前に宮内省に伝えられ、宮内省が・主導する形で
皇族の整理が進められた。
最終的には十一宮家の皇族五十一人が自らの意思によって皇籍を離れる
という形が取られたのだが、実際には総司令部の強い意向によるものであり、
一定の圧力がかけられたと考えるべきである。しかもダイク意見書からは
「天皇を残す代わりに皇族の大半を整理する」といったようなニュアンスが
読み取れるため、総司令部はアメとムチを使って皇室改革を推し進めたと
見てよい。
10月18日、皇籍を離れる五十一人は午前中に皇居の賢所(かしこどころ)を
参拝し、午後-時には朝見の儀があり一同参内し、順次両陛下に拝謁した。
そしてその日の夜は赤坂離宮で 天皇陛下御主催のお別れの晩餐会があった。
天皇、皇后、皇太后三陛下、秩父宮、高松宮、三笠宮の御出ましがあり、
十一宮家一同と、既に王公族の身分を離れた李王家の面々が出席した。
席上 昭和天皇から「身分は変わるようになったけれども、自分はいままでと
まったく同じ気持ちを持っている。どうか今後もいっでも会いにきてくれるように」
との御言葉を賜い、十一宮家を代表して梨本宮がこれに奉答した。
お別れの会があった二日後の10月20日、梨本宮は盗難に遭った。新聞には
次のような見出しで報じられた。「ぬかった梨本氏お蔵の衣類をごっそり」
(『読売新聞』、昭和22年月22日付)、
既に臣籍降下を済ませているため、「梨本宮」ではなく「梨本氏」と表記されている
。10月26日には、三陛下御主催の送別御茶会が赤坂離宮で催された。先日の
晩餐会は正式な会であったが、御茶会では余興や福引なども行なわれ、
出席者一同は大いに歓を尽した。だが、残念なことに服を盗まれた梨本宮は、
この日着ていく服がなく、宮妃だけの出席となった。
皇族方と旧十一宮家の交流は、菊栄親睦会という会を通じて現在も続いて
いる。この会は、昭和22年に皇籍離脱をした旧十一宮家の当主が会員資格
を持ち、宮内庁の中には現在も親睦会専用の部屋が存在する。
平成17年11月27日、黒田慶樹氏と、黒田清子様の結婚をお祝いする
天皇皇后両陛下御主催の御茶会が、皇居の宮殿で開かれた。この席には
天皇皇后両陛下御主催の御茶会が、皇居の宮殿で開かれた。この席には
菊栄親睦会の会員である当主らも招かれてご夫妻の前途を祝福した。
ちなみに「菊栄親睦会」の名は昭和天皇が御付けになった。
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より