人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。
石原都知事が昨日の産経新聞に『天皇陛下の勇気』という感動する記事を書いておりました。
陛下を敬うブログ友のカマちゃんがそのことを取り上げて「涙しました」と書いておりました。
石原都知事の記事の最後の方に「我欲に溺れ・・」とあります。石原都知事はいままでも日本人に対し「我欲」という言葉で警鐘を鳴らしてきました。
春日大社の宮司であられた葉室昭さんは平成21年にご逝去されました。
「生き続ければ続けるほど、我欲をなくさなければいけないのに、なかなかそれができない。肉体があると我欲がなくならない。しかたがないから、神さまは肉体を消滅させる。そして我欲をなくして、神の世界を見させようとする。しかし、死んでも我欲を持っている浮かばれない人がいます。死ぬこともできない。これでは救いようがないですね・・・」
「我」をなくしたら神に近づくといいます。全部なくしたら神と一つになるともいいます。
「戦後の日本人は、祖先が伝えてきた生活の知恵を全て捨ててしまい、民主主義とか自由とかいうことをはきちがえて利己主義の人が多くなり、自分の目先の利益だけを考え、他人のことや、まして日本の国のことなど全く考えないようになりました」と葉室さん。
日本人の根幹となるものを見出したいものです。以下、葉室さんの著書『神道と日本人』から掲載させて頂きます。
--------------------
日本人はどこに神の世界をかいま見てきたのか。それは昼でも夜でもない。そのあわい、はざまの夕方・朝方です。ここに神の世界を見ています。ここに我欲がなくなった世界があるのです。
京都で大文字焼きがあるでしょう。その中に「妙」という字がありますね。あれは少女という意味です。
子供でもないし、大人の女でもない。その中間で少女です。そこに神の命を見るというのが「妙」なんです。
ところが、このごろは少女がいないですね。こまっしゃくれた子供か、愚かな大人しかしない。日本の子供を見てごらんなさい。小さなときからこまっしゃくれていて、少女がいないでしょう。
ところが、このあいだNHKのテレビでモンゴルの番組を見ていて、そこで生きている子供たちが実に素晴らしいと感じたのです。着ているものはきれいとはいえないし、食べているものも、我々から見たら豊かとはいえないようなものですが、眼が輝いている。海を見たことがないということで、映画で海を見させていましたが、みんなびっくりしたような無邪気な顔をして海を見ている。
神様が現れるというのは、本当にこういう顔だと思いました。我欲がない。本当の子供というのは、今はそういうところにしか残っていないんですね。日本の子供はもう子供ではないですね。こまっしゃくれた子供しかいない。本当に我欲がないというのは、もうそういうところでしか見られないんです。これはまさしく人類が滅びる寸前だと思います。
ですから、我欲をなくすために祓(はら)いつくし、それで、本当の姿を持たなければいけない。
これは、いつも私が言っている、理屈でものを考えるなということです。
理屈で考えるからこういう世の中になったのだから、それを一度全部捨てる。神さまというのは理屈のない世界にいらっしゃる。理屈を言っている間は神様は見えないわけですから、理屈を言わず、感謝しなさいと。
けれどいまは感謝もできないんですね。感謝しろと言うと、何にですかと聞く。感謝に理屈なんかないでしょう。だから、「理屈なくありがとうと言いなさい」と言っていますが、それが言えない。
何か目の前に理屈がないと頭も下げられない。本当に滅亡寸前の民族になってしまいましたね。
今の日本人の祈りというのは、もう祈りではなくて、あれは我欲の願いなんですね。
入学祈願でも、お母さんが子供を連れてきて、希望校を絵馬に書いて、お祓いをしてご祈祷をするでしょう。そして、自分の希望通りの学校に子供が入れば、ありがとうございましたと言う母親もいます。
ところが、入らないで子供が浪人して、ありがとうございましたと感謝をする母親は一人もいない。
つまりこれだけ賽銭をあげるから、その代わり子供を希望校に入れてくださいと言うことでしょう。
これは祈りでも何でもない。取引ですよ。
お賽銭をあげるのだってそうですね。お参りに来て、お賽銭を財布から出すとき、百円より千円の方がご利益が多いかな。一万円だったらどんなだろうなって。もう、そんなことでは神様だってうんざりしますよ。
祈りというのはそうではなくて、神様に感謝することです。ありがとうございました、と。
「なぜ?」という理屈をなくして感謝するというのが祈りなんです。そこから全てが始まるのです。
それを今まで日本人はずっとやってきたんですね。
神さまは願いごとなどしなくても、ちゃんとやってくださる。祈りというのは、そういうことなんです。
他の国で見られるような必死になって自分の願いごとを祈っている姿とは異なり、神道では神さまを喜ばせる、感謝するということが祈りなんです。
こちらから頼まなければやってくれないというのは、神さまを冒涜することです。
神さまというのは全部知っておられるんです。だから、神さまを認め、喜んでいただいたら充分なんです。
そうしたら、神さまはこちらに出てきて、お恵みをくださる。
ただ感謝する。これが神道の核心です。
--------------------
「昔からシカと共存し続けてきた奈良の人々の知恵は素晴らしいと思うのです」(葉室さん)
・・・・・・・
人気ブログランキングに参加しています。
まずはここをポチッとご協力お願い申し上げます。