続き 皇族特権の剥奪
皇室財産の解体に着手したのである。総司令部は昭和20年9月22日付
「降伏後における米国初期の対日方針」の中で、皇室財産についての方針を
初めて明らかにした。それによると、「日本の商工業の大部分を支配した産業上
及び金融上の人コンビネーションの解体を指示すべきこと」と、財閥の解体に
言及した上で「皇室の財産は占領の諸目的達成に必要な措置から免除せられる
ことはない」と、皇室財産についても財閥と同様に解体されるべきであると示したのだった。
昭和20年10月に始められた皇室財産の調査は、皇室財産解体の第一歩だった。
調査は現金・土地・株式から、宝飾品や漆器に至るまで換金性のあるもの全てに
及び、詳細なリストが作成された。調査を終えた総司令部は10月30日、皇室財産
を発表した。
現金、有価証券、土地、森林そして建物の総額は15億9061万5500円だった。
なおこの数字には美術品、宝石、金銀塊などは含まれず、また十四宮家の
財産も計上されていない。11月20日、総司令部の指令により皇室財産は凍結
された。総司令部の事前の承認のない限り、経常費を除く全皇室財産の取引を
封鎖すること、8月15日にさかのぼり、これまでの皇室財産の移動を無効と
することなどが指令された。
総司令部は昭和21年5月23日、皇族の財産上における特権の剥奪を指示する。
これまで皇族は 天皇から歳費および特別賜金を賜わり、日々の生活が保障
されていた。加えて必要な邸地は 天皇から賜ることになっており、皇族付職員も
宮内省から派遣され、さらに免税特権など、数々の経済的な特権も与えられて
いた。しかも終戦後は宮内省からの食糧配給もあり、皇族は食糧難による生活
苦もある程度緩和されていただけでなく、不足していた自動車用のガソリンの
特別配給も受けていた。
しかし総司令部の指令により、それらの特権が剥奪されてしまったのだ。歳費も
打ち切られた。昭和22年(1947)5月3日に新憲法と同時に施行されることになる
皇室経済法で新たに皇族の歳費が規定され、歳費は国庫から支出されること
になった。だがこの皇室経済法は十二宮家が臣籍降下することを前提として
組み立てられたもので、残る少数の皇族に対して定額を支給することになった
ため、皇族費の総額は著しく減額されることになった。
皇族への邸地賜与については、既に皇室財産が凍結されており、また新憲法の
第八条で 天皇が財産を賜与することが禁止されたため、終戦後は行なわれ
なくなった。また皇族付職員については、御附武官と別当が廃止され、宮内官の
人数は人きく減じられた。そして皇族の免税特権にも変更が加えられ、特別の
規定がない限り皇族であっても原則課税されることになった。
総司令部の指令は皇族の立場と生活を大きく変化させた。皇族特権の剥奪、
特に歳費の打ち切りは、皇族としての存在を経済的に困難にさせることに
なった。皇族という名目上の地位は残ったものの、これは臣籍降下を要求
されたのに等しかった。
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より
竹田恒泰著 「皇族たちの真実」より