2009/6/23(火) 午後 8:13雑感練習用 Yahoo!ブックマークに登録
御来訪感謝申し上げます。
今日は当地福島も30度近くまで気温が上がり夏日となりました。
幸い、まだ室内はエアコンのお世話になるほどでありませんが、時折記録的な暑さになる東北の夏もすぐそこまで来ているようです。
最近、政治関連のネタにこだわらず、気の向くままに思いついたり、気になったりした話題を記事に上梓させて頂いていますが、今日は標題にあるように自民党の古賀選対委員長がわざわざ宮崎県にまで出向いて東国原知事に自党候補として衆院戦への出馬を要請した話題を取り上げたいと思います。
衆院選出馬要請に東国原知事「自民総裁にするなら」
6月23日16時33分配信 読売新聞
自民党の古賀選挙対策委員長は23日、東国原英夫宮崎県知事と同県庁で会談し、次期衆院選に自民党公認候補として出馬するように求めた。
これに対し、東国原知事は、全国知事会が作成したマニフェスト(政権公約)を自民党の公約にすべて取り込むことと、自身を自民党総裁として衆院選に臨むことを出馬の条件に挙げた。
古賀氏は「お聞きしました」と述べ、即答しなかったという。
知事会のマニフェストとは主に地方分権を推し進めることと国の直轄事業の地方分担を廃止することを求める事でありますが、中央政府を担う自民党としては、「それなら地方の直轄事業に対する国の分担も廃止していいのか?」と言いたくなるところであると思います。
地方分権とは、国の事業は国の単独で、地方の事業は地方単独で行うというのが前提であろうと素直に思います。
しかし、現在の中央集権体制の下ではあくまでも地方も含めて国が最終的には直接の責任を負うということだと思います。
そのため、国の事業といえど受益者は地方であるので受益者負担ということで地方へ分担を求めている訳であります。
身近な例でいえば、我々が普段生活道路として使っている国道の整備や国が管理する一級河川などの整備もそうです。
これらの整備によって直接利益を蒙るのはその地域に住む「地方の住人たち」であります。
地方分権を進めるということは「地方のことは地方ですべて責任を持ってやりますよ」ということです。
地方のことを地方でやるということですから、その地方の懐具合と裁量で行うということですから、当然、財政の豊かな地方とそうではない地方との格差が生まれるということにもなろうと考えます。
中央集権体制の良さは、地域間の格差をなくし全国一律に平準的な国土作りをすることができる点にあると思います。
日本の場合、東京~名古屋間の太平洋ベルト地帯と呼ばれる最大の工業地帯を始め、京浜地区、阪神地区、北九州地区が産業の要を成して国家の経済を支えて来ました。
その他の地域はそれらの工業地域とは規模もはるかに小さい工業規模と農業などを主たる産業としており、地域格差の是正の名のもとに大規模な産業地域で得られた税収入のおこぼれを国から頂戴して各地方に分配され、「北は北海道、南は九州沖縄まで」平均的に国勢の発展をさせることができて、世界でも稀な「中産階級の占める割合が圧倒的に多い」先進国家を達成する事が出来たのも紛れも無い事実であると思います。
しかし、全国の各自治体の首長が地方分権を主張する風潮になっているのであれば、これからは地方のことは地方の裁量でやるという覚悟を決めたと考えるべきではないかと思います。
各地方がそれぞれの分に応じて責任をもって地方運営をして行くわけですから、他の地方に○○があるから我が地方にも欲しい、という無いものねだりはなくなると思います
。
どうしても○○が欲しいとなれば国に「融資」を要請することになるのですから、返済できる見込みが無ければ「分不相応」として諦めれば良いだけの話であります。
かくして、明らかに地方格差は生まれていく事になろうと思います。
それでも良いのではないかというのが私の考えであります。
地方には地方の特色や良さがあるのですから、金太郎飴のように全国一律的な地方である必要は全くないと思います。
「地方のことは地方で」を標榜するなら、地方に住む住民たちが国に甘えずそれなりの覚悟と自信を以って、自分たちの住む地域のグランドデザインを構築していけば良いだけの話であると考えるのです。
『地方格差はあって当たり前』が大前提の「地方分権の推進」であれば誰も反対する者はいないとも考えます。
国からお金をもらうという意識があるから、地方分担を求められるのであって、国からお金を借りるという意識であれば、貸し手の国も借金返済中の地方に無理な負担を要求する事は出来ない筈であります。
国と地方のあり方を互いの「甘えの構造」から脱皮することが日本の再生に繋がると思うのです。
せっかく、宮崎県庁にまで古賀選対委員長が出向いたのであれば、東知事とそこまで突っ込んだ議論を行えばまだ見込みがあるのですが、足元を見られて実質恐喝されたも同然の会談では全く不毛なものだったとあえて申し上げたいのであります。
選挙の議席数しか頭になく国家観も持たない自民党が、情けなくも「自身を総裁として・・・」と足元を見られてあしらわれているようでは、政権与党としても情けない限りであります。
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