「南京大虐殺」は 捏造(ねつぞう)だった
中国負傷兵を看護する日本の衛生兵
(南京占領の7日後 1937.12.2
0林特派員撮影 朝日版支那事変画報1938.1.27刊)
中国兵たちの悪行に辟易していた南京市民たちは、日本軍の入城を歓声をもって迎えた。これは日本軍の入城式の日(1937年12月17日)に、食糧やタバコの配給を受け、歓声をもって迎える南京市民ら。市民がつけている日の丸の腕章は、民間人に化けた中国兵ではないことを証明するために、日本軍が南京市民全員に配ったものである(毎日版支那事変画報 1938.1.11発行)
今迄、本名で南京大虐殺を証言をした者は、
どれも
ことごとく嘘であったことが確認されています
□ 東史郎
一番
有名な捏造者。一番
原本が存在しない創作をバラまいた。 中国は未だに真実扱い。
戦車段列から処刑を見たと吹聴していたが、場所と時間がコロコロ変わったので嘘がばれた。
□ 富永博道
当時は学生だったのに、自分は南京戦に参加し虐殺したと証言。
経歴照会で嘘判明。
□ 舟橋照吉
東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。
□ 舟橋照吉
東の懺悔屋成功に便乗し日記を捏造。
仮想戦記な内容であっさり×。
□ 曾根一夫
野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。
□ 曾根一夫
野砲連隊の二等兵だったのに、歩兵下士官だと経歴と日記を捏造。
経歴照会で嘘判明。
□ 田所耕三
強姦と虐殺を証言していたが、
所属部隊が当該日時南京を離れていた事が判明。
後に捏造を告白。
□ 太田壽男
死体大量埋葬を供述書に書く。
後に捏造を告白。
□ 太田壽男
死体大量埋葬を供述書に書く。
が、梶谷日記 ( 捏造物の数々と違い、原本が確認できる )
により当時証言場所にいなかった事がバレる。
により当時証言場所にいなかった事がバレる。
撫順収容所での洗脳後に書いた捏造だった。
□ 富沢孝夫
海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。
だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は蘇州で入院。
□ 上羽武一郎
「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。
が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。
このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っています。
以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴です。
■ 原本が確認できない。
□ 富沢孝夫
海軍の暗号兵で、「 松井軍司令官の虐殺をいましめる暗号を傍受・解読した 」 と証言。
だが海軍の彼が陸軍の暗号を解読するのは不可能で、しかも証言日時に松井司令官は蘇州で入院。
□ 上羽武一郎
「 上官命令で強姦虐殺放火 」 と証言。
が彼は後方担架運びの衛生兵で、命令が出たとの史料もない。
このように、偽証言 ・ 偽手記 ・ 改竄記録が多く出回っています。
以下は、検証を受けるまでは堂々と真実として喧伝されていた、偽記録等の特徴です。
■ 原本が確認できない。
実物を絶対見せない。
■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。
しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。
■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。
■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。
■ なぜか南京戦前後だけ詳細に記録。
しかも矛盾点や他の一次史料との乖離が異常に多い。
■ 記録者証言者本人の経歴が実際と違う。
■ 「 日本や日本軍は懺悔しろ! 」 と糾弾するが、
自身は償いに私財を投じることはなく、出版や講演で儲けている。