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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]安重根は当時朝鮮では英雄ではなくテロリストで、安重根の息子は伊藤博文の息子に謝罪していたのです。

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「義士」なのか「犯罪者」なのか 安重根の評価巡り対立深まる
東洋平和のために、韓国と日本、そして中国は手を携えるべきだ―― 伊藤博文を暗殺したことで知られる安重根(18791910)は、処刑直前の遺著にこう書き残した。没後100年、その安重根の評価をめぐり日本・韓国・中国が対立を深めている。きっかけは韓国の朴槿恵大統領が20136月、伊藤暗殺現場である中国・ハルビンに、安の記念碑を建てる計画を中国・習近平国家主席にもちかけたことだ。

さらに朴大統領はダメを押すように1118日、訪韓した中国高官に対しわざわざこの話を持ち出し、建造計画が順調に進んでいることに感謝の意を述べた。菅義偉官房長官もさすがにカチンときたのか、「我が国はこの安重根については『犯罪者である』(との立場を)、韓国政府に対してこれまでも伝えてきております」と、不快感を露骨ににじませた。
この「犯罪者」発言が韓国に伝わると、即座に「我が国の独立と東洋平和のために命をかけた人物だ。『犯罪者』と表現することは極めて残念」(韓国外務省)とかみつかれた。中国もこれに参戦、「安重根は歴史上有名な『抗日義士』であり、中国でも尊敬を受けている」との声明を発表する。菅官房長官も同日、「まあずいぶんと過剰反応だな、という風に思いますよ」と冷ややかに切り返し、さらに議論が過熱することになる。

安は1879年、現在の北朝鮮にある海州市に生まれた。実家は裕福で、カトリックの洗礼も受けている。20代半ばから民族運動に身を投じ、愛国的教育活動、そしてのちに武装闘争に身を投じ、最終的に1909年に伊藤暗殺を決行、翌年処刑される。30歳だった。韓国では最新鋭の潜水艦に「安重根」の名が付けられるなど、まさに国民的な英雄となっている。ただし当時の韓国皇室では、日本への配慮から、「伊藤氏が我が国の人間の『凶手』にかかった」(当時の皇太子による電報、「純宗実録」所載)と安をテロリスト扱いにしている。首都での歌舞音曲を禁止するなど、日本への徹底した配慮を見せており、韓国にとっては「気まずい」(朝鮮日報の記事より)事実だ。


同じく半ば「なかったこと」になっているのが、安の遺児・安俊生の存在だ。実業家となった俊生は1939年、満州で伊藤の位牌に手を合わせ、伊藤の息子に「謝罪」した。韓国独立の英雄・金九はこれに激怒し、俊生殺害まで図っている。俊生は戦後間もなく、不遇のうちに死去した。安の孫たちは追悼式典などのためにしばしばメディアに登場するが、俊生の存在は無視されがちだ。(2013.11.20 J-CASTニュース)

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朴槿恵が伊藤暗殺現場ハルビンに安重根の記念碑を建てる計画を習近平に持ちかけ習近平は応じる形でしたが、これは韓国に応じたというよりは日本を意識して応じたのでしょう。シナは韓国など本気で相手にするはずもなく、韓国もシナを信用してはいない。つまり日本から相手にされなくなったシナと韓国が“対日共闘”しているということでしょうか。
 
それが証拠にシナの言うことには信ぴょう性が欠けるからです。それは<中国もこれに参戦、「安重根は歴史上有名な『抗日義士』であり、中国でも尊敬を受けている」との声明を発表>と上の記事にありますが、レコード・チャイナ(2013.11.21)には「現代中国では、安重根に対する評価は高くなく、その事績も広く知られていない」と書いてあります。今のシナでテロリストを評価できるわけがないのに「尊敬」とはしらじらしいものであります。
 
また、安重根は伊藤博文を暗殺できていないのです。伊藤博文のハルビン訪問に同行した貴族院議員の室田義文は『近代日本世相史』の中で「伊藤公の傷あとを調べると弾丸はいずれも右肩から左下へ向かって走っている。これはプラットホームの上の食堂あたりから撃ったものと想像される。しかも弾丸を調べてみるとすべて十三連発の騎兵銃のもので、蔵相ココフッオフ伯があとでその前夜騎兵銃を持った韓国人を認めたと言っているのと思い合わせると安重根の他以外のところに別の犯人がいるのではなかろうか」とに書かれています。
 
韓国は日清戦争によって日本に独立させてもらって大韓帝国となりました。それまでの「李氏朝鮮」はシナの冊封国で、シナから使者を迎え入れるときには迎恩門で「三九叩頭(さんききゅうこうとう)の礼」をしていました。しかし独立させてもらうとさっそく「独立門」と名前を変えました。この独立で面白くなかったのは「両班」という特権階級の人たちでした。なぜなら日本が朝鮮で奴隷階級をなくして両班は特権を失ったため日本に恨みを持ったのです。つまり朝鮮人の自分勝手な「恨(はん)」なのです。自国がロシアから狙われているにもかかわらず国のことより自分の利権ばかりしか考えられずひたすら農民などから搾取し続けていたのです。安重根も「両班」で日本に恨みをもっていたので抗日運動に投じていくのは当然でした。
 
その安重根は当時韓国から英雄ではなくテロリスト扱いされており、安重根の息子は伊藤博文の息子に謝罪していたのです。これも今の日本も韓国も教えない事実です。
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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