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[転載]大阪の陸軍墓地を護る人々

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真田山にある「真田山陸軍墓地」で咲き誇る英霊の桜=大阪市天王寺区


今日の産経新聞記載の「大阪の陸軍墓地を護る人々」に忘れられていく護国の神々に対しての慰霊に献身的に取組む人々に筆者は感銘を受けました。
記事をご紹介したい。
大阪市にある真田山陸軍墓地の保存・整備に関わり、護り続けようとする平成生まれの女性がいる。京都造形芸術大学大学院の永田綾奈さん(23)。明治4年に造られた日本最古の陸軍墓地には、約1万5千平方メートルの敷地に、旧陸軍将兵らの墓碑約5800があり、納骨堂には8200柱が眠る。荒れ放題の全国の陸軍墓地が多い中、大阪には、陸軍墓地を護る人々がいる来春からは、同墓地の保存・整備に民間企業として大きな貢献をしているタカラベルモント株式会社に入社し永田さんは活動を続けられる。

引用始まり

大坂・冬の陣(1614年)で豊臣方の勇将、真田幸村が築いた真田丸があったことから、地名が今も残る真田山(大阪市天王寺区)に陸軍墓地がある。旧陸軍将兵らの墓碑約5300があり納骨堂には8200柱以上が眠る。
 台風27号の影響で雨が降りしきる10月25日に墓地を訪れると、地元自治会やボランティア、陸上自衛隊第36普通科連隊(兵庫県伊丹市)の隊員らが清掃を行っていた。翌26日の秋季慰霊祭に備えるためだった。
 「真田山陸軍墓地維持会」副理事長である花畑暢夫さんの案内で、墓地入り口にある平屋の建物内にある6畳間ほどの史料展示スペースを見せていただいた。
 「旧真田山陸軍墓地の墓石の保存-市民ボランティアによる施工方法の確立」という論文が壁にパネルで掲げられていた。京都造形芸術大学大学院生の永田綾奈さん(23)による研究だった。
 「和泉砂岩製の墓石は、経年劣化により、多くが剥離し、倒壊の危機にさらされている。総合的に保存活動ができるよう、施工方法の確立を目指す」。抜粋すると、その論文にはこのように書かれていた。慰霊祭を手伝っていた永田さんに出会った。「納骨堂の調査でこの陸軍墓地を知り、研究を始めました。戦争遺跡の実物資料として残していかなくては」。平成生まれの若き女性が憂えていた。

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旧真田山陸軍墓地の配置図。豊臣秀吉が大阪城を築いた際、最初に城下町として整備した城南地域(上町台地)に位置している=大阪市西区の市立中央図書館


大阪の陸軍墓地は明治4年に造られ、最大規模で今も残る。明治維新に近代軍創設の祖となった大村益次郎は、陸軍の拠点を東京ではなく、大阪にしようと考えていた。大村自身が「今後注意すべきは西である」との言葉を残しているように、西日本の反維新政府勢力への地政学的考慮だった。
 大村は「大阪開兵」に向けて、さまざまな着想を持ち、明治2年に暗殺された後も結実していった。大阪鎮台(後の第四師団)、東洋一の兵器工場となった砲兵工廠(こうしょう)のもととなる造兵廠、陸軍士官学校の前身といえる兵学寮がそれぞれ創設された。さらに、近代戦の多数の負傷将兵のための陸軍病院、そして、埋葬、慰霊のための陸軍墓地の建設となった。ここには西南戦争、日清、日露、先の大戦などの戦死者や、捕虜となったドイツや清国の兵士らも埋葬されている。
 史料室の壁に新聞記事が貼られていた。東京五輪開催前の昭和39年5月14日のサンケイ新聞(当時の題字はカタカナ)の記事だった。冒頭にこう記してある。「戦没者叙勲で戦争中、亡くなった人たちの霊がようやくなぐさめられようとしている折、納骨堂が倒れかかったり、無数の石碑がくずれたままという荒れ放題の旧陸軍墓地が大阪市のド真ん中にある」
 敗戦で大蔵省管理となり、市に貸与されたものの、整備が行き届かなかった。「お役所仕事怒る遺族」との見出しからも分かる。

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劣化の進む真田山陸軍墓地。何者かに次々と墓石が倒される被害も出ている=平成23年11月、大阪市天王寺区


昭和22年には民間によって、「大阪靖国霊場維持会」(後の真田山陸軍墓地維持会)が設立された。「これで、他の各地の陸軍墓地に比べて荒廃の進行を止められた」(研究家、横山篤夫氏)という。それでも整備が行き届かない時期が続いた。全国に80カ所以上造られた大阪以外の陸軍墓地には現在も荒れ放題が少なくない。
 29年に維持会理事長となった吉川秀信氏が私財を投じて集会所などを建設。理事長職は長男の秀一氏、孫の秀隆氏の3代が継承している。吉川家はタカラベルモント社経営一族で、維持会事務所は同社内にあり民間企業として整備に大きく尽力している。
 靖国神社の英霊へ尊崇の念を払おうとすると、中国や韓国の顔色をうかがう状況がいまだに続く。
 冒頭に紹介した平成生まれの永田さんは来春同社に入社し、陸軍墓地を護り続けていくという。

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日清戦争で捕虜になった清国兵や、第一次大戦のドイツ兵も眠る真田山陸軍墓地。墓碑銘もわずか見える程度の墓石もあるなど戦後、荒れ果てたが、父と二代で尽力する吉岡武さんをはじめ、地元住民の功績は大きい=大阪市天王寺区

引用終わり

このままでよいのだろうか?日本人・・・・
反日活動に傾注する人々、目立たぬ行いではあるが先人への慰霊・報恩への活動をする人々・・・
どちらが尊い行いかは言うまでもないでしょう・・・。
慰霊のこころを忘れたらもはや日本人ではありません。
全国に散在し、朽ちていく軍人墓地・・・
それらを護る人々に感謝の意は言い尽せません。
本当にありがとうございます。



転載元: 美し国(うましくに)


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