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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]定説を疑うことを教える学校教育。

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国民のかまどから炊事の煙が立っていないことをお嘆きになられた仁徳天皇は課税と役務を3年間やめて、自らも国民と同じ困窮した生活を送りました。仁徳天皇が聖帝(ひじりのみこと)と言われるゆえんであります。
その「仁徳天皇陵」をいまや学校では「大仙古墳(だいせんこふん)」と教えるようになったのです。これは通常の遺跡と同じように所在地の名前にしているのです。
 
また、以前、教科書で書かれていた聖徳太子は「冠位十二階を定め」「十七条憲法を制定し」「法隆寺を建て」「遣隋使を派遣した」として教えられていました。しかし、来年度(平成26年)に改定する日本史の教科書(清水書院)には「聖徳太子は実在したか」と書いてあり、「憲法十七条や冠位十二階、遣隋使の派遣についても、厩戸王(うまやとのおう)の事績とは断定できず、後世の偽作説もある」と教えるのです。
清水書院の編集部はその理由をこう述べています。
「聖徳太子の実像については多くの疑問が提起されています。定説を疑うことを考えてもらうために掲載しました」
しかし、定説を疑いたいならばなぜ「南京大虐殺」や「従軍慰安婦」や「強制連行」や「日本は侵略した」ということを疑わないのか。こちらはまったくなかったことが明らかになっているのです。
 
25年前の山川出版社の教科書には、「聖徳太子(厩戸皇子)を摂政とし、国政を担当させた」と書かれていたのを「厩戸王(聖徳太子)らが協力して国家組織の形成を進めた」と書かれているのです。
「聖徳太子」という呼び方を消そうと「厩戸王」と呼ばせようと教え、さらに聖徳太子は「国政を担当」から「協力者」にされてしまったのです。
つまり戦後の自虐史観をどんどん進化させて定説を疑わせて歪曲した歴史を教えようとしているのです。
やがて日本は韓国の反日歴史教科書を使うようにならないことを祈るばかりであります。
 
戦前の尋常小学校「国史」では聖徳太子のことをこのように教えていました。
「(聖徳)太子は、また使いを支那にやって、外国とのつきあいをおはじめになった。その頃、支那の国は勢いが強く、学問なども非常に進んでいたから、日頃高ぶって、他の国々を皆属国のように取り扱っていた。けれども、太子は、少しもその勢にお恐れになることなく、かの国に送られた国書にも『日出づる処の天子、書を日没する処の天子にいたす。つつがなきか』とお書きになって、どこまでも対等のつきあいをなさった。支那の国王は、これを見て腹を立てたが、ほどなく使いをわが国に送ってきた。そこで、太子も、あらためて留学生をお使わしになった。その後、引きつづいて互いに行き来をするようになったから、これまで朝鮮を通ってわが国に渡ってきた学問などは、これからは、すぐ支那から伝わることになった」
 
当時の大国・隋に対して別の手紙では「東天皇、つつしみて西皇帝に申す」と述べています。国力や文化ともに大帝国の隋とは格段の差にあった日本でありながら、聖徳太子は主権国家としての意識がしっかり持っていたのです。しかも「日本」という国号を初めて使ったのも聖徳太子であります。
日教組はじめ親中派の反日勢力がなぜ聖徳太子を消したいのか、ここらあたりに理由がありそうではないか。
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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