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建国神廟鎮座祭
9月18日は柳条湖事件が起きた日です。昭和6年でした。
これが満州事変となり、翌、昭和7年に満州国建国となったわけです。
建国当初、元首を“執政”と呼び溥儀は執政としていました。
しかし、溥儀を皇帝にして帝国にしなければ国家として整わないという声が出てきて、ついに昭和9年3月1日、即位の礼をもって満州帝国と皇帝溥儀が誕生しました。
満州帝国が創建されると「建国廟」の創設が必要であると考えられました。
関東軍も建国廟は必要であると考えました。ただその御祭神はどうするかが問題となりました。
これまで日本統治の「台湾神宮」や「朝鮮神宮」は天照大御神や明治天皇をお祀りしていましたが、満州国は日本の統治下にあるわけではなく独立国です。
当時の米内首相も閣僚も宮内省も日本の神を祀るのは反対でありました。
しかし、溥儀皇帝は「御祭神を天照大御神としたい」と強く主張されました。
天照大御神を祀る『建国神廟』は『伊勢神宮』にあたるもので、満州建国に尽くした英霊を祀る『建国忠霊廟』は『靖国神社』にあたるものです。
溥儀はこれを創建しようと決めました。
溥儀は訪日し「満州帝国の元神として天照大御神を奉斎する」ことを日本側に了承してもらおうとしました。しかし、日本側は反対しました。
しかし、諦めきれない溥儀はご神体である鏡を製作し、溥儀自身が伊勢神宮でお祓いを受けることにしました。そして溥儀は天皇陛下に天照大御神奉斎の意志を伝えると、陛下からは『太刀一振り』と『屏風』が贈られました。
溥儀は帰国して建国神廟の鎮座祭が行われ、そこで溥儀は「満州国の今日あるのは、天照大御神と天皇陛下のお陰であり、惟神(かんながら)の道をもって建国の精神とする」と宣言しました。
そして、9月18日、「建国忠霊廟」の鎮座祭が行われ、陛下から拝受した刀は忠霊廟の神宝となったのです。ここには満州国の理念である五族協和、つまり五族の英霊24141柱が祀られたのです。
このように、満州帝国は日本の傀儡なんかではなく、満州国と溥儀の意思で建国され、天照大御神を御祭神とされたのです。
尚、陛下が御贈進された刀は終戦直前に満州に侵攻したロシアが所蔵しています。
これらのことは今では語られることなく、教えられることがないため、ここに残しておきたいと思います。
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満州帝国当時の建国忠霊廟(日本でいえば靖国神社)
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