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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]【戦争】 ちょっと、ぼやきたいだけです。

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【戦争】 ちょっと、ぼやきたいだけです。

2013年8月13日
 
イメージ 2「ただのぼやきなのですけどね、先日コンビニで雑誌を立ち読みしていたら横に、見た感じ70代後半かそれ以上のお爺さんが戦争関連の雑誌を読んでいたのですよ。偶然、隣に来たおじさんに雑誌を見せて、「私ね、これ見たんですよ!」と、いきなり話し掛けていたのです。ちらりと見たらのような写真を見せていたので、「焼夷弾(しょういだん・建造物や陣地を焼くことを目的とした砲弾や爆弾)のことだと思うのです。実際、「上からバラバラ~っとね…」と語っていたので、多分そうでしょう。」


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イメージ 12「つまり、空襲を体験したということでしょう。細かい部分は聞き取られなかったので何と語っていたか知りませんが、最後に首をかしげながらこう言いました。」
 
 


「勝てるわけないのに、本当に馬鹿なことをしたなぁ~。」


 
イメージ 13「つまり、多分こう言いたいのでしょう?」
 
 
 
 
 


(アメリカに)勝てるわけないのに、(戦争を仕掛けるなんて日本は)本当に馬鹿なことをしたなぁ~。」


 
イメージ 14「……解せぬ。」
 
 
 
 
 
イメージ 15「実際は、「真珠湾攻撃(12月7日午後1時25分に始まった。日本時間では8日)の前の、「12月7日の午前6時33分から6時55分」迄の間(これはハワイ時間)アメリカ海軍が、ハワイ近海において日本の小型潜航艇を撃沈している「日本を二度と戦争に立ち上がられない国」に作り変えようという思惑、アメリカで蒋介石政権が展開する「屑鉄の対日輸出禁止キャンペーン」、これは無資源国の日本が鉄を入手する道を閉ざして、武器、その他の製造を不可能にさせようとの思惑による運動で、この運動の効果を高めるためにでっち上げたのが「南京大虐殺」です。蒋介石らは日本の鉄鋼生産に打撃を加えることによって軍艦、戦車、大砲などの兵器生産を妨害しようと狙っていた。しかも、このプロパガンダは「アメリカ外交」に影響を与え、アメリカは「対日戦争」に舵を切る。「南部仏印進駐」の話し合いが成立し、日本軍部隊は平和裏に南部仏印に上陸を開始した。そしたら日米戦争の主因である「石油禁輸」に踏み切る。オランダのレーリング博士は次のように述べている。(日米交渉に関連して)日本の見地からして、アメリカ(イギリス・支那・オランダ)側のとった行動のうち最も重要なものは、「石油禁輸」であり日本はこの禁輸措置が解かれることを切望すること非常なものがあった。11月26日にワシントンの態度が明確にされたが、それは日本がインドシナおよび支那から撤退する事が経済的譲歩の代償とされるというものであった。しかし、日本政府としては(いかなる政権であっても)そのような代償を支払う意思も能力も持てなかった。ハルが提示した諸条件は端的に戦争を意味しており、そのことをハルは知っていた。彼はスティムソン陸軍長官やノックス海軍長官に「問題は今や貴下の手中にある。」と語った。アメリカ政府は戦争が始まることを確信していたが、それが日本によって開始されることを熱望していた。“我々はあまり多くの危険がもたらされないようにしながら、日本を操って最初の第一撃を発射するようにさせなければならない。”と、確かにハルは言った。』(東京裁判とそれ以後)
 
イメージ 16「日本の「南部仏印進駐」に対してアメリカ・イギリスが神経を尖らせた理由に、アメリカ・イギリスが最も必要とする「ゴム」「錫(すず)などの資源も関係する。日本の進出によって絶たれることがアメリカ・イギリスにとって大打撃だった。アメリカの企図する「アウタルキー(自給自足体制)作りは、必ずしも円滑に進まなかった。中南米には依然としてイギリスの勢力が残っており、それに阻まれたからです。その上、域内で調達できない原材料があった。特に「ゴム」「錫(すず)です。ゴムは急速に発展した「自動車産業」にとって不可欠でした。これは、イギリス領のマレー(現在のマレーシア)の産品。ここから、アメリカの支配階層の間に「対日戦争」の構想が出てくる。動きは「東亜の新秩序」声明が出た翌年の1939年(昭和14年)12月から始まった。ローレンス・H・シュープらの『帝国頭脳集団』によると、老舗のシンクタンク「外交関係評議会」「戦争と平和研究」グループを発足させ、1940年(昭和15年)12月までに《「日本の東南アジア進出を阻止することは合衆国の国家利益であり、日本の行動を待つより主導権をとって行うのが最良である。」》との“お墨付き”をルーズベルトに与える。つまり「ゴム」「錫」、支那の「タングステン(金属元素の一つ)を確保するため、日本に戦争を仕掛けるべきだと言うのだった。(誰が「南京大虐殺」を捏造したか)
 
イメージ 17「日本軍による「真珠湾攻撃」、実はその「5ヶ月も前」、1941年(昭和16年)7月23日にルーズベルト大統領だけではなく、当時の陸軍長官、海軍長官などによって承認されていた「JB355」と名付けられた計画、アメリカには既に「日本本土爆撃計画」が密かに存在していた。「日中戦争(支那事変)に対して、アメリカは中立ではなく既に1940年11月30日に、国民党(中国国民党)政府に、一億ドルの借款の提供を約束していた。アメリカ国立公文書館で発見された「モーゲンソー財務長官の回顧録」には、1940年11月ごろ「中国軍を装ったアメリカ海軍を投入して、ビルマルートを防衛する。」という構想があり、1941年7月23日には日本本土爆撃を正式に署名した、と記されている。それの航空部隊は「フライング・タイガース」です。支那事変当時、義勇軍として参加したアメリカ民間人ボランティアのパイロットが中心となっていたという。契約で雇われたアメリカ軍の「正規兵」もいたようです。計画が遅れたのは、欧州戦線に大量のアメリカ爆撃機が必要で、中国輸送を延期したことによるものだったという。中国支援という理由の日本への先制攻撃の本当の目的は、将来の「巨大な中国市場」を確保するための「国益」からであったということが、国立公文書館で発見された「日本空爆計画」の統合計画委員会報告「JB355」という文書に明記されているという。アメリカは日本を戦争に引きずり込もうとしていた(中国・韓国が死んでも教えない近現代史)
 
イメージ 3「ルーズベルト大統領と数名の閣僚は真珠湾に迫る軍事的危機を知っていながら、真珠湾の防衛責任者のキンメル海軍大将やショート陸軍中将にその情報を知らせず、二千有余のアメリカ人将兵を犠牲にしたのです。イギリスの軍需生産大臣オリバー・リットルトンは戦時中の1944年(昭和19年)6月20日、ロンドンの商工会議所で「日本がアメリカを戦争に追い込んだというのは歴史の狂言である。真実はその逆である。アメリカが日本を真珠湾に誘い込んだと見るのが正しいのだ。」という。(世界がさばく東京裁判) 合衆国前大統領ハーバート・フーバーも当時、「もし我々が日本人を挑発しなかったならば、決して日本人から攻撃を受ける様なことは無かったであろう。」という。(東京裁判・日本の弁明) アメリカ・カリフォルニア大学のジョン・W・ダワー教授によれば、(東京大空襲など)日本の都市を火の海に化すという考え方は、「真珠湾攻撃」の少し前からアメリカ軍内部では台頭していたという。当時、マーシャル陸軍参謀総長は「日本の人口密集都市の木と紙で出来た家屋を焼き払う、“無差別焼夷弾攻撃”」を想定した計画を立てるように部下に命じている。(世界がさばく東京裁判)
 
イメージ 4「対ドイツ参戦の口実として、日本を対アメリカ戦争に追い込む陰謀を図ったフランクリン・ルーズベルト。ダグラス・マッカーサー司令官は1951年(昭和26年)5月3日、アメリカ合衆国議会上院の軍事外交合同委員会で次のような答弁を行った。『日本は、絹産業以外には固有の産物はほとんど何も無いのです。彼等は綿が無い、羊毛が無い、石油の産出が無い、錫が無い、ゴムが無い、その他実に多くの原料が欠如している。そしてそれら一切のものがアジアの海域には存在していたのです。もしこれらの原料の供給が断ち切られたら、一千万から一千二百万の失業者が発生するであろうことを彼等は恐れていました。したがって彼等が戦争に飛び込んで行った動機は、大部分が「安全保障」の必要に迫られてのことだったのです。』(東京裁判・日本の弁明)
 
イメージ 5「経済圧迫」に耐えかねた資源なき日本が、「自存自衛」の手段である米とゴムの供給地である仏印が敵の手に陥る前に、これを確保する行為に出たのは当時の国際通念上、自衛措置の範囲内だった。日本と戦争になると知りながら、それを望み挑発を続けていたのはアメリカではありませんか?先の大戦での人道に反する行為の最たるものが、広島と長崎に投下された原爆であり、東京大空襲に代表される、非戦闘員の大量殺戮です。明確な国際法違反だ。どうしてそれで「日本は本当に馬鹿なことをした。」と思えるの?俳優の武田鉄矢さんのラジオ番組で「我々は戦後、戦争のおわびを延々としなければって教育も受けた。」と言う。」
 
イメージ 6「あのお爺さんも、今尚進行する「War Guilt Information Program(戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画)に染まって自虐史観に堕ちてしまったままなのでしょうかね?そこが悲しいのですよ…。戦争を体験した世代なら尚更、どうして戦争になったのか見てほしいなって思いました…。」
 
イメージ 7「…というぼやきでした…。」
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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“何か”を感じてくれたら応援よろしく。イメージ 9
 
 
 

転載元: melancholy


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