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故・加東大介さん
今年も8月15日がやってきます。『南の島に雪が降る』はチャンネル桜の水島聡さんによってリメイクされ、今、靖国神社の遊就館で放映されています。
戦前、歌舞伎の子役であった加東大介さんは津川雅彦さんの叔父さんに当たります。加東さんは昭和18年10月8日、大阪道頓堀中座の楽屋で召集を知らされました。衛生伍長として西部ニューギニアのマノクワリに行くことになりました。
すでに戦況は日本軍にとって厳しい状況でしたが、前線はフィリピンとなっていました。しかし、戦地であることは変わりなく、兵士は常に死と向かい合わせでありました。
ある日、死の淵をさまよう兵士たちの心を癒すために、「演芸分隊」をつくるように命じられました。映画評論家の大尉の理解もあり、演芸員を集めて、「マノクワリ演芸分隊」が誕生し、定期的に公演が開かれました。
ニューギニアでは大規模な戦闘はほとんどなくなっていましたが、飢えとマラリアに苦しめられていました。加東は極限の状態にあっても上官たちが部下たちの心のよりどころを見つけて、人間的に接しようとした心のおおらかさには感服していました。
この時、加東さんは内地送還を勧告されました。日本に帰ることが出来たのです。
しかし、「これだけの観客を捨てていけるか」と言って、加東さんはこのジャングルに残り、演芸分隊の座長を勤め上げる決意をしました。上官の気持ちを無にしたくない思いだったのでしょう。
「公演を見たい」といった生きがいを得て、島の遠い地から演劇場までやってくる兵たちがいました。見終わると次の演目を楽しみにし、
「次はこの中で誰が来れるだろうね」
「まあ、お前はモタんだろうな」
「いやあ、お前が先さ」
とニコニコ笑いながら言い合う日本人らしさが戻ってきました。
ある時、舞台に雪を降らせる演出をしました。一瞬、歓声がわきましたが、すぐに静まり返ってしまいました。この兵たちは東北出身の国武部隊の兵300人でした。
“雪”を見た兵たちは、自分の故郷を思い出し、胸をふるわせて泣いていたのです。
「生きているうちに、もう一度、雪がみられるなんて・・・」
末期の病人兵は目に涙を浮かべ無表情で、紙の雪をつまんだり離したりしていました。
加東さんはその時の様子をこのように記しています。
加東さんはその時の様子をこのように記しています。
「見てはいられなかった。三角に小さく切った、ただの紙っきれじゃないか。『紙じゃねえか。紙じゃねえか』と。私は訳のわからないことを叫びながら、宿舎へかけ戻った・・」。
病や飢餓を押して観に来る兵達。快方に向かう兵もいましたが、そのまま「思い残すことはない」と絶命する兵もいました。これを見た加東さんは、役者稼業を一生続けようと、決心します。
病や飢餓を押して観に来る兵達。快方に向かう兵もいましたが、そのまま「思い残すことはない」と絶命する兵もいました。これを見た加東さんは、役者稼業を一生続けようと、決心します。
大東亜戦争でのニューギニア戦線の異常なる過酷さは言語に絶します。
加東さんは日本に復員して「ボクはニューギニアで芝居をしていた。ボクはしあわせだよ、あれほど皆に喜んで貰える芝居が出来たんだから」と言っていました。
加東さんは日本に復員して「ボクはニューギニアで芝居をしていた。ボクはしあわせだよ、あれほど皆に喜んで貰える芝居が出来たんだから」と言っていました。
戦後、加東さんは映画界からスカウトを受けます。その際、共に復員した各地の戦友たちからも声があり、俳優に踏み切ったと語っています。
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