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[転載]国史を学ぶ-3

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※昨日からの続き

もう一つ例をあげます。
平安時代は、日本が鎖国をする事で、江戸時代同様、
日本文化が大変な興隆を見せた時代でした。
そしてその平安時代の最後になって登場したのが、平清盛です。

ではなぜ清盛が、あれだけの
「平氏にあらずんば人にあらず」とまでいわせるだけの
絶対的な地位と名誉と権力を手中にする事ができたのか。

それは、単に源義朝を倒しただけで、
あれだけの政治権力を得る事ができるというのなら、
例えば私が野田◯◯氏や、小◯一◯氏を殺したら、
政治権力を得れるのか、と問えば、答えは自ずと明らかです。
単に敵対勢力を倒しただけでは、絶対的な権力など手に入らない。
そこには、もう一つの別なファクターが必要です。

実は、清盛は、水軍を擁して支那朝鮮との交易を盛んに行い、
その利権を独占する事で巨額の財を成した人物です。
彼はそうして得た輸入物品や、金力を使って、
公家社会に深く入り込み、政治権力を得ました。

そうすると、当然、起こる事があります。
それは、支那人や朝鮮人が、大量に日本に入り込む、という事です。

民族の性格というのは、5百年や千年くらいでは、
そうそう変わるものではありません。
つまり、彼ら支那朝鮮人の残虐性というのは、彼の国では、
千年前も、まるで変わらぬものであったという事です。
(注:当時、日本に帰化した人達の子孫が、
現代日本に沢山いますが、そうした人々は何代もの間、
日本で過ごす事によって、
完全に日本人としてのDNAを持つ日本民族の一員となっています)

要するに、支那朝鮮の本国にいる以上、
彼らのもつ残虐性は、いまも昔も変わらないという事です。
そうした支那朝鮮人が大量に日本国内に入り込む事によって、何が起こるか。
正に、今の民主党政権下の日本と同じです。

全国あちこちで、不当な用地買収が行われ、
女性が強姦被害に遭い、一家が残虐な方法で
殺害されるといった事件が、日本国内で多発する。
当然、こうした治安の悪化は、そうした政治を行っていながら、
一門の繁栄だけを満喫する平家に向けられます。

そうした市中の怨嗟の封印する為に、
清盛は赤禿などといったスパイ工作員を市中に放ち、
国内にいて敵対する勢力者を逮捕投獄した。
そうした逮捕投獄によって、国内の治安が良くなり、
国内景気が上向きになるなら、民は喜びます。
けれど、事実は、正反対だった。

だからこそ、平家一門に名を連ねる北条氏までが、
源氏側につき、源頼朝を押し立てて、
平家政権を倒しにかかったというのが、実際のところだといいます。

ところが、平家追討に際して、その理由が、
不逞支那朝鮮人の悪質な犯行によるもの、
という記録は、どこを探しても出てきません。
ただいえるのは、鎌倉幕府になってから、
日本は事実上の鎖国をしたという事と、
もし、平家の天下に対して源氏がお家再興を夢見て
戦いを挑んだとするならば、同じ事が
鎌倉政権下の日本においても、
平家のお家再興を夢見た大きな戦いが行われていなければ、
辻褄が合わないということです。

なるほど平家の落人狩りによって、平家一門が追討を受けた、
その為に平家一門は隠れ里に住んだというけれど、
でも21世紀の現代社会においても、
平姓を名乗る平家の家系は、未だに健在です。

では、平家の落人というのは、
一体どういう人達だったのかといえば、
実は、帰化人達だった、という説があります。
清盛全盛の時代に、日本にやってきて、
そこここで悪さを働いていた帰化人達が、
全国的に追討の対象となった、という説です。

もちろん、一定の技術職や、
日本社会に明確に溶け込んだ帰化人達には、
そうした追討の刃は向けられていません。
向けられたのは、あくまでも、悪さをしでかした帰化人達、です。
つまり、犯罪者である外国人狩りを、
「平家の(時代に日本にやってきて悪さをした帰化人達の)落人狩り」
と呼んだ、というわけです。

具体的にそういう事実を記した文書がどこかにあるからなのかもしれません。
私も、当時の時代に生きていたわけではないですから、
正確な事実はわかりません。

けれど、そういわれてみれば、「ああ、なるほどな」と納得できる。
話の辻褄が合うからです。

ただ、こうした事を公的記録に残すに際しては、
後々の国交の事も考え、あえて「何々人の追討」などとは書かない。
公式には、あくまで「平家の落人狩り」とした。
だからこそ、平家の本流の人々は、
今も平姓を名乗り、家系も今に続いている。


こういった習慣の片鱗は、実は、今でも残っています。
例えば結婚式で新郎を紹介する際に、誰でも入れる
いわゆるバカチョン大学をやっとの事でカスカス卒業しただけなのに、
「◯◯君は、中央の大学を優秀な成績で卒業し・・・」等と紹介したり、
などという事はよくある事です。

戦後の歴史学者に共通しているのは、
唯物史観(ゆいぶつしかん)と呼ばれるものです。
唯物史観は、「唯物論的歴史観」の略で、
史的唯物論(ドイツ語: Historischer Materialismus)と同義です。

そしてこれを提唱したのが、マルクスです。
基本的には、マルクスの唯物史観は、階級闘争史観ですから、
常にそこには「闘争」即ち、殺人や暴行があったという前提に、
歴史の文書等を解そうとします。

そこがそもそも間違いです。
人の和、民の安寧、ご皇室の弥栄を最大の使命とする我が国の歴史は、
そうした階級闘争史観や、唯物史観では、決して解釈できない。

今日、ここでご紹介した様々な見解は、私自身、
それをそのように信じているという事ではありません。
ただ、そういう説があり、それなりになるほどと思わせるものがある。
一つの事件に関して、そうした様々な解釈を、
自由に進める事ができる日本、
日本がそういう国でいれる事を大事にしたいと思うのです。

これが中共や韓国のような国な大変です。
逮捕投獄されたうえ、拷問をうけた挙げ句、最後は殺される。

自由に意見を戦わせる事ができ、そして互いにそこから学び合う。
なぜなら、大事な事は、何が「正しいか」ではなくて、
そこから私達自身が、今を生きる為に、
また未来を築く為に何を「学びとるか」だからです。

赤穂の説も、光秀の説も、
「人が人を殺すことを嫌う文化」という日本人や、
日本文化の特徴を見事にあらわしていると思います。
実際にどうだったかというよりも、殺さない、
命を奪わないことを大切にするという観点からは、
私はむしろ、それが事実であってほしいとさえ思う。
そして、そういう日本人および日本の文化を、
今も、未来も、ずっと大切にしていかなければならないと思う。

その一方で、平家の落人狩りに関しては、
そうした平和を求める民族を維持する為には、
非道を行う外国人に対して、
断固としてこれを追いつめ、逮捕投獄し、死罪を与える。
施政者が、そういう意思をなくしたら、
それこそ人々の平穏な暮らしが維持できない。

そういう事が学べれば、誰が誰を殺したという事よりも、
もっと多くの事を、私達は気付き、学べると思うのです。

もちろん、支那による南京虐殺とか、
慰安婦問題などの捏造には、断固戦わなければならない。
なぜならそれは、まるっきり嘘、偽りであって、
解釈の問題以前の、デタラメでしかないからです。

ただ、学べる点もある。
それは、支那、朝鮮では、
我々日本人が、彼らにいかに善政をひいたとしても、
彼らは常にそれを逆手にとって、
日本を貶める事にしか利用しないという事です。

学べるものは学ぶ。
そのうえで、しっかりとした未来を築く、
日本主義に求められているのは、そういう点ではないかと思います。




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転載元: 中川昭一氏のような保守を支持します&♡ ときめく人達♡


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