大東亜戦争開戦2日目の12月10日、イギリスの東洋艦隊の旗艦(司令官搭乗)プリンス・オブ・ウェールズと巡洋戦艦レパルスがとともに撃沈した。輝かしい日本海軍の勝利でありました。
プリンス・オブ・ウェールズとは大英帝国の次期国王である皇太子の称号です。
これを早々に日本軍がやっつけてしまったのだ。
この衝撃はチャーチルは勿論のこと、全世界、特に東洋で支配されていたアジアの国々には大きな衝撃となりました。
残る3隻のイギリス駆逐艦は死に物狂いで射撃を続けている。しかし、日本軍はこの3隻の駆逐艦を見逃し、攻撃を途中でやめ、溺れている英国兵士の救出に当たったのです。
これにより、約7割を救助したのでありました。
翌日、日本軍の攻撃隊を指揮した壱岐春記大尉は海戦のあった上空を飛んで行きました。
そして、空から紅色の花束を二つ海に投げました。
ひとつは「戦死した部下の霊よ、安らかなれ」
そしてもうひとつは「戦に敗れた英国軍人の霊よ、安らかなれ」と、念じたのでした。
そして、空から紅色の花束を二つ海に投げました。
ひとつは「戦死した部下の霊よ、安らかなれ」
そしてもうひとつは「戦に敗れた英国軍人の霊よ、安らかなれ」と、念じたのでした。
これぞ日本武士道の精神であります。
このマレー沖海戦は武勇でも道義でも輝かしい日本軍の世界へ誇れる戦いぶりであったのです。
日本人の伝統的な考え方、それは日本精神であります。
その考えは風土、社会、とりわけ身近に生活を共にする人たちの考え方に影響されるのです。
その中心的なものに“武士道”があります。
武士の職分は“奉公”であり、侍奉公と言いました。
また、武士に限らず徒弟や丁稚も“奉公”と言ったのです。
公に奉仕すること、社会、国に尽くすこと、みんなのために働いて責任を分担する。
武士と同じ心構えでいようということの表れであります。
武士は帯刀して武士の体面を保つ。
刀剣は武士の魂と言われる。刀がなければ戦えないからであります。
刀は武士のシンボルでありますが、それは人を斬るためのものではなかったのです。
人に刀を振り回させないためのものであった。
剣は強い人ほど抜かないものです。
心の修養で敵を威圧する、心服させる。それが真の勇者であります。
やむを得ない時以外に人を斬っては”刀が汚れる”と言った。
昔は刀を持たせてもらえるのは危険を知りそれに対処できると認められることを意味したのです。
刀を持てるのは一人前ということであります。
かつて、中学では剣道・柔道・竹刀・長刀、小学生は騎馬戦や棒倒しをやり、木刀を持てる。撃剣を習える。生徒たちは勇み立った。 しかし、まずやるのは板の間に正座をしての講義でありました。
武士の心得、弱気を助け強きを挫く、武士の情け、不時の心得、そして偉人の話を聞かされる。そして木刀を持つ前に刀を抜くなと徹底して教えられたのであります。
年長者を尊び、修身と道徳を熱心に学び、唱歌の時間にも修身を同時に学んだのです。
日本人は平素から貧窮に甘んじながらそれを恥とせず、不満を持たず、不自由を忍び、謙虚で素直で愚直なまでに従順でありました。
そして日本人は、天皇陛下を敬い、国を愛し、誇りと喜びに支えられて、情熱の意欲に満ちて国家に尽くしたのです。
世界を驚かせた日清・日露の勝利も、驚異的な発展も、ひとえに修身と武士道に支えられた若者たちが、愛国心に勇み立って邁進したお陰なのです。・・・
護国の英霊は潔く命を捧げた。
残された者たちはしっかり国を護らねば、先に散った人たちの死は無駄になる。
靖国の英霊たちよありがとう。お陰で我々は今、平和に過ごせています。
しかし、一旦危難が迫れば我々も断じて国を護ります。
立派に奉公してみせますからご安心ください。・・・
こういうことを言える日本人でありたい。
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