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[転載]韓国人がユダヤ系住民に続き「アルメニア人虐殺事件」でグレンデール市のアルメニア系住民・フランク・クィンテーロ市議に取り入り反日活動、米カリフォルニアにまた「慰安婦像」日系住民や日本国内の反対全く通じず

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良識ある日本国民の皆様には、米グレンデール市に「慰安婦像」の設置が決まったことはご存知だと考えます。
 
米カリフォルニアにまた「慰安婦像」 日系住民や日本国内の反対全く通じず

米国・カリフォルニア州の町、グレンデールにいわゆる「慰安婦像」が設置されることが決まった。

これには日本側、また日系人住民からの激しい反発があったものの、決定を覆すには至らず。「強制ではなかった」「日本に限った話ではない」などとする日本側の主張は、現地社会の理解を得ることはできなかったようだ。

市は「静かな善意」のつもりと…

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グレンデール市への「慰安婦像」設置決定を報じた11日のロサンゼルス・タイムズ

グレンデールはロサンゼルス近郊の町で、人口はおよそ20万人。うち1万人が韓国系住民だ。

米国では近年、韓国系住民を中心として各地に「慰安婦の碑」などを設置する動きが盛んになっている。すでにニュージャージー州では複数の例があるが、さらに西海岸としては初めて、このグレンデールにも同様の動きが出始めた。しかもソウルの日本大使館前に設置されている「少女像」のレプリカまで設置するという本格的なものだ。

費用の約3万ドルは現地の韓国系住民団体が負担し、像の制作も韓国側持ち――設置案は2013年4月、「市から韓国人コミュニティへの『静かな善意』として」(ロサンゼルス・タイムズより)すんなり可決された。市では過去にも「韓国慰安婦の日」を制定したこともあり、特に問題になるとは思っていなかった様子だ。

しかし、計画が公になると現地の日系人住民、また日本国内から猛烈な反対の声が出始めた。特に日本のネット上では、グレンデール市への抗議を呼びかける動きが巻き起こり、関係機関のアドレスや「例文」などを公開するサイトも出た。「慰安婦というのは戦時中の日本軍相手の売春業の女性」とした上で、強制連行の事実は確認できていないと主張、また朝鮮戦争やベトナム戦争でも同様の事例があったなどとして、設置に再考を促す内容だ。

日本から大量のメール、しかし効果なし

大量に寄せられたメールに、さすがに関係者もたじろいだ様子だ。現地メディアも、「韓国の『性奴隷』記念碑が日本を怒らせた」などと相次ぎ報じ、騒動に注目が集まった。最終決定のため7月10日(日本時間)に行われた公聴会には、日系人住民が100人以上も殺到、中央日報によれば、「売春婦を記念する都市がどこにあるか」「売春婦は日本の将校よりも多くのお金を儲けた」などと相次いで主張し、少女像設置撤回を要求したという。

しかし、フランク・クィンテーロ市議が、
「14歳の少女が日本軍に奉仕するために、はたして『自発的に』故郷を離れるものだろうか」

と首を傾げるなど、日本側の主張は当局者の理解を得られなかったようだ。結局市議会は賛成4、反対1で、慰安婦像設置を正式に決めた。
除幕式は「慰安婦の日」である7月30日に行われる予定だ。
2013/7/13 J-castニュース
http://www.j-cast.com/2013/07/13179390.html?p=all
 
>米国・カリフォルニア州の町、グレンデールにいわゆる「慰安婦像」が設置されることが決まった
 
グレンデール市については当ブログで取上げていますが、グレンデール市は米国カリフォルニア州南部のロサンゼルス郡に位置する都市です。
 
グレンデール市の人口は約20万人で、ロサンゼルス郡内の都市としては、ロサンゼルス、ロングビーチに次いで3番目に人口の多い都市です。
 
グレンデールの市議会は5名の議員からなり、市長は5名の議員の中から選出されます。
 
2012年にグレンデール市は、毎年7月30日を「韓国慰安婦の日(Korean Comfort Women Day)」に制定しました。
 
この7月30日とは、2007年に米国下院が「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」(下院121号決議)を採択した日です。
 
当時の市長、フランク・クィンテーロ市議は宣言文で「旧日本軍従軍慰安婦は日本政府に強制された売春」として、日本を批判しました。
 
月14日、フランク・クィンテーロ市議はソウルの日本大使館前の「少女像」に行き、まさに韓国慰安旅行を楽しみました。
 
 
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画像はブログ「東アジア黙示録」より。
 
 
>これには日本側、また日系人住民からの激しい反発があったものの、決定を覆すには至らず
 
当ブログで告知しましたが、なでしこアクションは「カルフォルニア・グレンデール慰安婦記念碑反対!メッセージを送ろう!」と抗議メールなどを呼びかけました。
 
7月10日(日本時間)、グレンデール市に設置予定の「慰安婦像」をめぐる公聴会が開かれ、韓国系住民を上回る日系住民約100人が出席しました。
 
日系住民は、「慰安婦問題は歴史の捏造だ」「慰安婦は売春婦だった」「市は日韓外交問題から手を引くべきだ」などと述べ、「慰安婦像」設置に反対しました。
 
 
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しかし、市議の投票結果は4対1で「賛成」が上回り、「慰安婦像」設置が決定しました。
 
反対票を投じたのは、ウィーバー市長だけでした。
 
 
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ウィーバー市長
 
グレンデール市の「慰安婦像」は、ソウルの日本大使館前に違法設置している「少女像」のレプリカで、韓国国外での設置は初めてのことです。
 
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在米韓国人はユダヤ人に対するナチスドイツを利用し、ニューヨークなどのユダヤ系住民・団体に取り入っており、米国内で従軍慰安婦の反日活動を拡大しています。
 
2012年10月4日にニューヨークの繁華街、タイムズスクエアに、従軍慰安婦問題で日本政府に謝罪を求める「DO YOU REMEMBER?(覚えているか?)」という看板を韓国系団体が設置しました。
 
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在米韓国系ロビー団体は、「日本軍が性的奴隷(Sexual Slavery)にするために、20万人を超える少女らを強制動員した」と捏造しています。
 
在米韓国人・在米韓国系ロビー団体は、数々の慰安婦の悲劇もでっち上げていますが、これらはユダヤ系住民・団体からの同情をかうために行っているのです。
 
元慰安婦の李守山は、旧日本軍に焼きごてによる拷問を受け、妊娠発覚後に子宮を摘出させられ、子宮を奪われた後も慰安所に戻されたと証言しています。
 
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>グレンデールはロサンゼルス近郊の町で、人口はおよそ20万人。うち1万人が韓国系住民だ
 
2010年のグレンデール市の人口は19万1719人で、アジア系住民は3万1434 (16.4%)、このうち韓国系5.4 %・日系 0.4 %となっています。
 
ユダヤ系住民に続き、在米韓国人やグレンデール市の韓国系住人が狙ったのは、グレンデール市のアルメニア系住民です。

グレンデール市は、2000年の国勢調査当時の総人口は19万4973人で、このうちアルメニア系住民は27.6%を占めています。

2012年当時の市長、フランク・クィンテーロ市議もアルメニア系で、アルメニア系住民は政治にも影響を及ぼしています。
 
 
2000年の国勢調査によると、グレンデールには53,860人のアルメニア系住民が住んでいる。これはロサンゼルスに次いで全米で2番目に多い数である。アルメニア系住民がグレンデール市の当時の総人口194,973人に対して占める割合は27.6%にのぼり、また国勢調査にて判明しているアルメニア系住民385,488人のうち14.0%がグレンデール市内に住んでいることになる。

グレンデールへのアルメニア系住民の移民は1920年代に既に始まっていたが、急増したのは1970年代に入ってからであった。グレンデール市内におけるアルメニア系住民の結束は固く、起業したり、アルメニア系学校を設立したり、民族・文化組織がサポートをしたりしている。

また、アルメニア系住民は政治にも影響を及ぼしている。2009年現在、グレンデール市議会の市議員5名のうち1名はアルメニア系である。また、歴代の市長にもアルメニア系住民が就任した例が複数回ある。

グレンデールを含むカリフォルニア第29選挙区から当選した連邦下院議員アダム・シェリフは、この地域のアルメニア系住民の影響力を反映し、アルメニア系アメリカ人に関する諸問題のリーダー的存在となっている。シェリフは19世紀末から20世紀初頭にかけてのアルメニア人虐殺を認知し、事後処理を進めさせる下院第106号法案を推し進め、2007年10月11日に採択へとこぎつけた。
 
韓国系住民は、グレンデールで政治的に影響力の強いアルメニア系住民に取り入り、日本が数十万の性的奴隷の大罪を認めないと、アルメニア人虐殺と同じとしたのです。
 
日々ご訪問を頂いていたブログ「かつて日本は美しかった」一部転載
 
山田寅次郎が見たアルメニア人虐殺事件

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トルコを語るとアルメニア人虐殺事件の話は避けて通れないでしょう。一般には第一次世界大戦中の事件を指しますが、19世紀後半からオスマン帝国内でアルメニア人の民族運動が盛んになって明治23年(1890年)、アルメニア人革命グループ「フンチャク党」が暴動を起こしています。

 明治27年(1894年)7月、アルメニア人とクルド人・トルコ人が衝突し、9月にはイスタンブールでも衝突しています。このときイスタンブールには茶道・宗偏流(そうへんりゅう)の第七世山田宗寿の養子・山田寅次郎がいました。寅次郎はトルコの軍艦エルトゥールル号の遭難事件をきっかけにイスタンブールにやってきて第一次世界大戦時まで滞在しています。寅次郎はこのときの暴動を雑誌「太陽」に寄稿しています。

 明治29年(1896年)にもイスタンブールで暴動が起こり、寅次郎はその渦中にいました。寅次郎は日本製品販売所にいましたが、外の様子が騒がしくなり、やがてダイナマイトの音とピストルの音が聞こえ、男女が寅次郎の店に飛び込んできました。寅次郎は日本刀を抜いて、男女を追い出し店を閉めています。

(中略)

 この後、多くのアルメニア人がトルコを脱出したので、沈静化するかに思われましたが、明治38年(1905年)7月21日のアブデュルハミト2世暗殺未遂事件、明治42年(1909年)4月13日アダナの虐殺でアルメニア人キリスト教徒1万五千から三万人がムスリム住民(イスラム教徒)に殺害される事件が起こっています。

 第一次世界大戦になるとトルコのアルメニア人の中からロシア軍に参加するものが現れ、アルメニア人のゲリラが活発化し、オスマン帝国にとって悩みの種となり、アルメニア人を強制移住させました。このときに大虐殺が行われたとし、アルメニア側は「オスマン帝国のアルメニア人住民が組織的に大虐殺された。死者数は百万から百五十万に達した。オスマン帝国の継承者であるトルコ共和国はこれを認め、その責任をとるべきだ」と主張し、トルコ側は「第一次大戦中、ロシアの侵攻によって戦場と化したトルコ東部で、およそ三十万人のアルメニア人と、少なくとも同数のトルコ人が紛争の中で死んだ。組織的虐殺というものではない」と反論しています。

 アルメニア人虐殺論争という果てしない論争を決着させようと、トルコ政府は協同の調査委員会を作ろうと提案していますが、アルメニア側は拒否しています。第二次世界大戦後もアルメニア人によるトルコ要人の殺害は頻繁に起こり、平成3年(1991年)のアルメニアのソ連邦からの独立後もトルコとの国交は直ぐには正常化できませんでしたが、近年になり歩み寄りが行われ、平成21年(2009年)には正常化が実現しています。
 
 
韓国人の嘘により海外在住の日本人の子供たちは韓国人女性を強姦した子孫だと白眼視されており、今回のように民間人の抗議には限界もあるのです。
 
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転載元: 近野滋之・民族主義者の警鐘


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