「日本人も韓国人も知らない歴史の事実」
ということは日本がよいことをした歴史である、ということはすぐに理解されることと思います。現代の歴史はあることないことすべて日本が悪いことになっており、日本のやったよいことや偉人は消し去られ、韓国はその被害者であるような“物語”になっています。
明治14年、李氏朝鮮の時代、朝鮮は日本の近代化を学ぼうと、軍の近代化のために日本から堀本礼造少尉を招いて新式の軍隊を編成しようとしました。これにより朝鮮兵士の待遇も改善され、新しい国軍となっていきました。これに対し旧式の火縄銃装備の朝鮮兵士たちは給与(俸給米)は1年以上も支払われず、不満がくすぶっていました。
ようやく俸給米の一部支給がはじまると、役人が米の中に腐った米や砂利が混ぜられていたのです。これに怒った兵士たちが役人に暴行を加えたため、捕えられた兵士たちが死刑に処されました。この兵士たちの暴動に庶民も加わり全国的な暴動になりました。
これが「壬午の乱」といいます。この乱と同時に清国軍が行動を開始し大量の軍を派遣してきました。そして日本公使館が破壊され、堀本礼造少尉や日本の学生や巡査が殺されました。これにより日本と朝鮮で済物浦条約が結ばれ、朝鮮は日本に賠償金として50万円の支払いが決められました。
ここまでは知っている方は多いと思います。しかし、日本人も韓国人も知らないのはここから先です。
この賠償金50万円は5年間の分割払いでしたが、朝鮮の財政が苦しいために10年間に延期しました。そして10万円の支払いを終わったところで、日本政府は残りの40万円は近代化資金に充てるために朝鮮政府に寄付し、さらに小型汽船1隻と山砲2門を朝鮮に贈ったのです。
こういう事実は韓国人は知りません。教えると「捏造だ」と言うでしょう。自分が知らない歴史はすべて捏造にして認めないのです。しかし、肝心の日本人も知らないのですから、日本も韓国も歴史教育はまったく正しい事実を教えていないのです。
我々が学ぶべきはこの後のことです。日本がこれほど施しても朝鮮というのは清国が強いニダ、と勘違いして清国にくっつき、やがてロシアが朝鮮に出てくると今度はロシアが強いニダ、と思ってくっついていくのです。朝鮮は常に大国に翻弄され、結局、尻拭いをするのは日本なのです。
「我は心においてアジア東方の悪友を謝絶するものなり」、と福沢諭吉のこの『脱亜論』の「悪友」を「敵国」に置き換えれば今においてもよく理解できるでしょう。
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