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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]大日本国者神国也 (おおやまとはかみのくになり)

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かつて大東亜戦争のとき、多くの日本人は、「神風が吹く」と信じていました。しかし、神風は吹きませんでした。そんな迷信など最初からあるわけがない、と現代人は考えるでしょう。しかし、筆者の両親や祖父母の世代の多くは、神風を信じていました。それだけに、敗戦は、それまでの価値観の全面的な崩壊をもたらしました。ですから、今日、多くの人は、日本のもつ歴史的な役割についてなど、否定的に考える人が多いのです。
 
 そこで神風なるものを、「時の流れ」と考えてみましょう。

しかし、戦後、神風は吹いたのです。その証拠にわが国が、焼け跡のがれきの中から、短期間に奇蹟的復興を遂げ、世界一、二というまでの経済大国に発展できたことです。
  「わが国は国防にお金をかけなかったから経済大国になれた、GHQ憲法、九条が経済大国にした」という方が時折みかけますが、これは寝言です。


国防の経済効果は公共事業と全く同じ効果を産みます。
国民が消費をせずにひたすら貯蓄に終始すれば、消費は低迷し経済は停滞します。公共事業とは、そういった国民から税金という形で無理矢理徴収し、消費を代行するものです。経済的な観点から見ると。
要するに公共事業には経済活性化の効果があるのです。(だからと言って筆者は現行の公共事業の全てを肯定するものではなく、狂った「平和記念館」などに膨大な税金がつぎ込むのは反対です。そういった施設による大赤字を少しでも償還するために、一刻も早く展示物を廃棄し民間に売却もしくは適当な価格で賃貸するべきだと考えます)
国防も同じです。きわめて高い経済活性化の効果が期待できるのです。はっきり言って軍需産業において、米国などに後れを取っている現状による経済的損失はきわめて大きいのです。
また軍事技術とは最先端技術である。民需系の技術への応用も期待できます。

 「日本は国防にお金をかけなかったから経済大国になれた」のではない。全く逆なのです。「日本は国防を産業として発展させてこなかったのに経済大国になれた」が正しいと筆者は思うのです。もう少しかみ砕くと、「日本は国防に関わる物産の輸出をせず、ビデオや自動車など民需系の物産の輸出しかしてこなかったのに経済大国になれたのです。仮に国防に関わる物産をも開発し輸出してきたのであるのなら、更なる経済大国になれた可能性がある。」のです。
日本以外の全ての先進国にとって、軍事機器は極めて重要な輸出品目です。

 

 また、他を見ると、戦後、世界に起こった出来事は、日本に都合の良いように働き、幸運、好機が続いてきたといえましょう。例えば、ブレトン=ウッズ体制の確立は、ほとんど資源のない貿易立国のわが国に経済的活路を開いてくれるものとなりました。また昭和25~28年の朝鮮動乱や、40年代のベトナム戦争の拡大等による世界戦争の危機は、日本にとっては戦争特需による発展の機会となり、昭和48年のオイルショック(石油危機)は省エネによる日本経済の体質強化と技術革新の機会となり、1980年代のハイテク革命を促進したように……。

 
※「天の時」と「地の利」
 
 戦後、振り返ってみた時には、戦争に敗けたわが国の方が、かえって勝った国々より良い結果を得ることとなりました。まさに追い風の勢い、「神風が吹いている」とはこのことです。これは神風、言い換えると「時の流れ」が、その方向へ流れているからなのです。近年わが国の援助を下に発展した支那、似非戦勝国を名乗る朝鮮半島の両国はどうだったでしょうか?

 「時の勢い」というものが自然界にはあります。春がくれば、雨の日や風の日があろうと、いやおうなく日増しに温かくなっていくように。既に流れは、西洋から東洋へと移ってきています。過去約700年、西洋に中心がめぐっていた時代が過ぎ、今度は東洋人が「天の時」「地の利」を得て、活動大発展する時期に入っていると筆者は思います。

 
 わが国は「時の流れ」に乗って、戦後、奇蹟的に復興し、旭日が昇るように今日の繁栄へと至りました。また隷属から立ち上がったアジアは旭日の光を受けるように成長発展してきました。
 
※下がった波はまた上がる
 
 こんなことをいうと、バブルの崩壊はどうなんだ、マネー敗戦はどうなんだ、ヘッジファンドに荒らされたアジアの経済は、デフレ・スパイラルはどうなのか、という疑問が出てくることでしょう。確かに、ここのところ、日本は凋落と低迷に陥っています。

 しかし、これは、一時的な現象に過ぎぬと筆者は思います。下った波は、また上がるのが、ものの道理です。もちをつくのでも、きねがうすの底をつけば、今度は上へ向かうのです。安倍政権発足後、少しづつではありますが、景気は改善しつつあります。

決して、日本と東洋の季節が過ぎ去ったのではありません。「時の勢い」は、明瞭です。その、時のおもむく勢いを感知するならば、方向を見失うことはありません。「20世紀から21世紀へと、神風は吹いてきた」と言うことができます。そして、この21世紀には、一層この勢いが明瞭になっていくでしょう。

 世界は、西洋の時代から東洋の時代へ、物質文明の時代から精神文明の時代へ、対立・抗争の時代から共生・調和の時代へと、大きく変化していくのは、間違いのないことです。
 
※求められるのは「人の和」、日本精神
 
 ただし、いくら「天の時」「地の利」に恵まれていたとしても、「人の和」がなければ、その条件を生かすことはできません。実は、バブルの崩壊も、マネー敗戦も、平成大不況も、この「人の和」の乱れが、大きな原因となっています。
 振り返ると、戦後の日本人は、敗戦のドン底から立ち上がって、食うや食わずの中で必死に働いてきました。政治指導者の数々の誤りにもかかわらず、教育勅語世代の懸命な努力があったればこそ、復興と発展が実現成されたのです。
 「天の時」「地の利」に加えて、そこに「人の和」があったので、この奇蹟が起こったのです。

 しかし、日本人は、国際環境の僥倖(ぎょうこう)と他国に依存した安全保障の中で、自主独立の精神を忘れ、国民としての品性を失ってきていまいました。ものの豊かさに目がくらみ、物欲と利己主義に走って、「人の和」を失い、我利我利亡者の集まりになってしまいました。経済競争と受験競争の中で、人々の心は、バラバラになっています。政治家も、官僚も、経営者も、銀行家も、学者も、マスコミも、日本人としての精神を失い、国民は道徳的にはむしろ退化しているほどです。その結果、「第二の敗戦」「第二の占領」といわれる惨状を招いたのです。

 
※再び、日本丸に帆をあげよう
 
 しかし、神風は終わってはいません。日本をここまで復興発展させてきた神風は、依然として吹いているからです。ここで、日本人は、他者依存の愚を改め、物欲と利己主義を反省し、「人の和」を取り戻すべきでしょう。

今日、日本の再生のために、さまざまな改革が唱えられています。しかし、いかなる改革も、国民の精神が変わらなければ成功しません。政治・行政・経済・税制・教育・医療等、どのような改革も、結局は国民の精神の改革にかかっています。この国民の精神改革は、失われた「日本の心」を取り戻すことから、始まります。すなわち、日本の精神文化の伝統を回復し、わが国の歴史に基づいた、固有の国柄を尊重することです。

そして、改革の中心課題は、国家の根幹をなす憲法を破棄、改正することです。憲法の破棄、改正なくして、国家・社会の根本的な建て直しはできません。戦後、外国から押しつけられた憲法を破棄、改正し、わが国の歴史・伝統・国柄に基づいた新しい憲法を制定することが、日本の再生の中心課題です。次に、憲法と一体となっている教育を、根本的に改革することが急務です。

このように、わが国の改革を推進することができれば、日本は必ず再生することができます。そして、世界の平和と繁栄に寄与し、地球の再生に貢献ができます。日本はそれを実現できる巨大な可能性を持っていると、私は思います。
 20世紀から吹き出した神風は、吹き続けています。21世紀の世界の海を進む日本丸。そのマストに、心を一つに結び、日章旗を掲げ、白く大きな帆をあげましょう。



大日本者神國(おほやまとはかみのくに)也、天祖(あまつみおや)ハジメテ基(もとゐ)ヲヒラキ、日神(ひのかみ)ナガク統ヲ傳給フ。我國ノミ此事アリ。異朝(いてう)ニハ其タグヒナシ。此故ニ神國ト云(いふ)也。」


明治大帝は、日露戦争の開戦時に次のお歌を詠まれた。

 しきしまの大和心のをゝしさは
 ことある時ぞあらはれにける

 国難に遭遇するたびに日本国民は皇統を心の支えとして力を注ぎ歴史を刻んできました。
これを忘れることなく、民族の柱とするならば、神風は吹き続けるのです。

転載元: 美し国(うましくに)


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