日本人よありがとう
マレーシア独立の英雄が作詞した 「日本人よありがとう」 と言う歌です。
ラジャー・ダト・ノンチック作詞
田中舘貢橘作曲
歌 栗間尚彦/橋村輝子
一、みずからもひもじい時に配給の
わずかなパンを持ってきてくれた乙女ら
ああ日本は美しかった
真白き富士の気高さと
歌う黒髪瞳清らか
二、空襲のサイレン鳴れば真っ先に
僕らを壕に案内してくれた若者
日本人はひたむきだった
アジアの為の戦いに
力尽くして彼等は散った
三、戦いに敗れた後の生きるすべ
あてない街で励ましてくれた友らよ
日本人は親切だった
独立のため生き抜けと
握り合う手に涙こぼれた
四、あの頃は苦しかったがアジアには
平和おとづれ民はみな祖国を持った
ああ日本の若人たちよ心を継いで
あたたかく共に栄える明日に進もう
ああ日本の若き友らよ
心と心結び合い
豊かなアジア共に築こう
世界史の中で、大東亜戦争くらい「正しい戦争」はなかった。
アジアから、欧米勢力を追い払う戦争のどこに間違いがあるというのか。
間違いがあるとするなら、日本人がこの理想を否定することである。
ユダヤ民族は二千年の亡国の中にあっても、民族の理想を失わなかった。
大東亜戦争は今も継続していることを忘れないでほしい。と・・・
マレーシア上院議員のラージャ・ダト・ノンチック氏が亡くなられた名越二荒之助氏(なごしふたらのすけ)に常々語られていた言葉です。
かって日本は美しかった・・・
戦後の支配体制にどっぷり浸かり、日本人としての矜持をも失いつつある今日、多くの文献、ブロガーさんが引用されているノンチック氏の言葉を最後に記載します。
かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切でこころ豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。
何千万人もの人のなかには少しは 変な人もいたしおこりんぼや、わがままな人もいた。自分の考えを おしつけていばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。
でもその頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて、おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった。
戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。
学校も ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。
だからアジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている。
そのくせ 経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする。
そんな今の日本人が心配だ。
本当にどうなっちまったんだろう日本人は。
そんなはずじゃなかったのに。
本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくてくやしい思いがする。
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えてこせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか。
自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする。
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか。
どうして、どうして日本人はこんなになってしまったんだ。
田中舘貢橘作曲
歌 栗間尚彦/橋村輝子
一、みずからもひもじい時に配給の
わずかなパンを持ってきてくれた乙女ら
ああ日本は美しかった
真白き富士の気高さと
歌う黒髪瞳清らか
二、空襲のサイレン鳴れば真っ先に
僕らを壕に案内してくれた若者
日本人はひたむきだった
アジアの為の戦いに
力尽くして彼等は散った
三、戦いに敗れた後の生きるすべ
あてない街で励ましてくれた友らよ
日本人は親切だった
独立のため生き抜けと
握り合う手に涙こぼれた
四、あの頃は苦しかったがアジアには
平和おとづれ民はみな祖国を持った
ああ日本の若人たちよ心を継いで
あたたかく共に栄える明日に進もう
ああ日本の若き友らよ
心と心結び合い
豊かなアジア共に築こう
日本の人たちへ
私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた〝自分たちの祖国を自分たちの国にしよう〃というこころを目醒めさせてくれたのです。
私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。
私もあの時にマラヤの一少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた一人です。私は、今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです。
先日、この国に来られた日本のある学校の教師は、「日本軍はマレー人を虐殺したにちがいない。その事実を調べにきたのだ」と言っていました。私は驚きました。「日本軍はマレー人を一人も殺していません」と私は答えてやりました。日本軍が殺したのは、戦闘で戦った英軍や、その英軍に協力した中国系の抗日ゲリラだけでした。そして日本の将兵も血を流しました。
どうしてこのように今の日本人は、自分たちの父や兄たちが遺した正しい遺産を見ようとしないで、悪いことばかりしていたような先入観を持つようになってしまったのでしょう。これは本当に残念なことです。
1988年
クアラルンプール邸にて土生良樹への言葉
ラジャー・ダト・ノンチック
世界史の中で、大東亜戦争くらい「正しい戦争」はなかった。
アジアから、欧米勢力を追い払う戦争のどこに間違いがあるというのか。
間違いがあるとするなら、日本人がこの理想を否定することである。
ユダヤ民族は二千年の亡国の中にあっても、民族の理想を失わなかった。
大東亜戦争は今も継続していることを忘れないでほしい。と・・・
マレーシア上院議員のラージャ・ダト・ノンチック氏が亡くなられた名越二荒之助氏(なごしふたらのすけ)に常々語られていた言葉です。
かって日本は美しかった・・・
戦後の支配体制にどっぷり浸かり、日本人としての矜持をも失いつつある今日、多くの文献、ブロガーさんが引用されているノンチック氏の言葉を最後に記載します。
かつて日本人は清らかで美しかった。
かつて日本人は親切でこころ豊かだった。
アジアの国の誰にでも自分のことのように一生懸命つくしてくれた。
何千万人もの人のなかには少しは 変な人もいたしおこりんぼや、わがままな人もいた。自分の考えを おしつけていばってばかりいる人だっていなかったわけじゃない。
でもその頃の日本人はそんな少しのいやなことや不愉快さを越えて、おおらかでまじめで希望に満ちて明るかった。
戦後の日本人は自分たち日本人のことを悪者だと思い込まされた。
学校も ジャーナリズムもそうだとしか教えなかったから、まじめに自分たちの父祖や先輩は悪いことばかりした、残酷無情なひどい人たちだったと思っているようだ。
だからアジアの国に行ったら、ひたすらペコペコあやまって、私たちはそんなことはいたしませんと言えばよいと思っている。
そのくせ 経済力がついてきて技術が向上してくると自分の国や自分までがえらいと思うようになってきて、うわべや口先では済まなかった悪かったと言いながら、ひとりよがりの自分本位のえらそうな態度をする。
そんな今の日本人が心配だ。
本当にどうなっちまったんだろう日本人は。
そんなはずじゃなかったのに。
本当の日本人を知っているわたしたちは、今はいつも歯がゆくてくやしい思いがする。
自分のことや自分の会社の利益ばかり考えてこせこせと身勝手な行動ばかりしているヒョロヒョロの日本人はこれが本当の日本人なのだろうか。
自分たちだけで集まっては、自分たちだけの楽しみやぜいたくにふけりながら、自分がお世話になって住んでいる自分の会社が仕事をしているその国と国民のことをさげすんだ眼で見たりバカにしたりする。
こんなひとたちと本当に仲良くしてゆけるだろうか。
どうして、どうして日本人はこんなになってしまったんだ。