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[転載]朝鮮通信使の見た日本■通信使一行の中には・・・・・

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朝鮮通信使の見た日本
朝鮮通信使の見た日本について
最初に記録されているものは
第8次通信使の李邦彦が
鞆の浦・福禅寺にある客殿からの
仙酔島の景観を高く評価し、
”日東第一形勝”
(朝鮮より東で一番美しい景勝地という意)と称え、
 
続いて第10回朝鮮通信使の正使であった
洪啓禧が
この場所を対潮楼と名付け
賞讃し書を残す。
 
また第11次朝鮮通信使では
来日した金仁謙は
当時の日本社会の様子と
自身の率直な心情を書き残した。
 
朝鮮通信使
金仁謙の著書『日東壮遊歌』より
大坂での記述より
(多くの船が)一斉に行き来する様は
驚くばかりの壮観である。
その昔、楼船で下る王濬が
益州を称えた詩があるが、
ここに比べてみれば間違いなく見劣りするであろう。
 
 
流れの両側には人家が軒を連ね、
漆喰塗りの広い塀には
鯨の背のような大きい家を
金や紅でたくみに飾り立てているが、
三神山の金闕銀台
(きんけつぎんだい:仙人の住処のこと)とは、
まことのこの地のことであろう。
 
 
 
本願寺に向かう道の両側には
人家が塀や軒をつらね、
その賑わいのほどは
我が国の鍾絽
(チョンノ:ソウルの繁華街)の万倍も上である。
 
 
館所に入る、建物は宏壮雄大、
我が国の宮殿よりも大きく高く豪華である。
 
 
我が国の都城の内は、
東から西にいたるまで一里といわれているが、
実際には一里に及ばない。
 
富貴な宰相らでも、
百間をもつ邸を建てることは御法度。
 
屋根を全て瓦葺にしていることに
感心しているのに、大したものよ倭人らは
千間もある邸を建て、
中でも富豪の輩は
銅を以って屋根を葺き、
黄金を以って家を飾り立てている。
その奢侈は異常なほどだ。
 
 
天下広しといえ
このような眺め、またいずこの地で見られようか。
北京を見たという訳官が一行に加わっているが、
かの中原(中国)の壮麗さも
この地には及ばないという。
 
この世界も海の向こうよりわたってきた
穢れた愚かな血を持つ獣のような人間が、
周の平王のときにこの地に入り、
今日まで
二千年の間世の興亡と関わりなく
ひとつの姓を伝えきて、
人民も次第に増え
このように富み栄えているが、
知らぬは天ばかり、嘆くべし恨むべしである。
 
 
この国では
高貴な家の婦女子が厠へ行くときは
パジ(ズボン状の下着のこと)を
着用していないため、
立ったまま排尿するという。
 
お供のものが後ろで、
絹の手拭きを持って立ち、
寄こせと言われれば渡すとのこと。
聞いて驚きあきれた次第。
 
 
京での記述より
沃野千里をなしているが、
惜しんであまりあることは、
この豊かな金城湯池が
倭人の所有するところとなり、
 
帝だ皇だと称し、
子々孫々に伝えられていることである。
 
この犬にも等しい輩を、
みな悉く掃討し、
四百里六十州を朝鮮の国土とし、
朝鮮王の徳を持って、
礼節の国にしたいものだ。
 
 
倭王は
奇異なことに何ひとつ知ることなく、
兵農刑政のすべてを関白にゆだね、
自らは関与せず、
宮殿の草花などを愛でながら、
月の半分は斎戒し、
あとの半分は酒色に耽るとか。
 
 
尾張名古屋での記述より
その豪華壮麗なこと大坂城と変わりない。
夜に入り灯火が暗く、よくは見えぬが、
山川迂闊にして人口の多さ、
田地の肥沃、家々の贅沢なつくり、
沿路随一とも言える。
 
中原にも見当たらないであろう。
朝鮮の三京も大層立派であるが、
この地に比べればさびしい限りである。
 
 
人々の容姿の優れていることも 沿路随一である。
わけても女人が 皆とびぬけて美しい。
 
明星のような瞳、 朱砂の唇、白玉の歯、 蛾の眉、
茅花(つばな)の手、蝉の額、氷を刻んだようであり 雪でしつらえたようでもある。
 
趙飛燕や楊太真が万古より美女と誉れ高いが、
この地で見れば色を失うのは必定。
越女が天下一というが、
それもまこととは思えぬほどである。
 
 
 
(復路にて)女人の眉目の麗しさ、
倭国第一といえる、
若い名武軍官らは、
道の左右で見物している美人を、
一人も見落とすまいと、
あっちきょろきょろこっちきょろきょろ、
頭を振るのに忙しい、
まるで幼児のいやいやを見ているようであった。
 
 
 
江戸での記述より
楼閣屋敷の贅沢な造り、
人々の賑わい、男女の華やかさ、城郭の整然たる様、橋や船にいたるまで、
大坂城、西京(京都)より三倍は勝って見える。
女人のあでやかなること 鳴護屋に匹敵する。
 
 
(将軍との謁見について)
堂々たる千乗国の国使が
礼冠礼服に身を整え、
頭髪を剃った醜い輩に四拝するとは何たることか。
 
 
(将軍家治について(著者は直接見ていない))
細面で顎がとがり、気は確かなようだが、
挙動に落ち着きが無く、
頭をしきりに動かし、折り本をもてあそび、
やたらにきょろきょろとして、泰然としたところがない。
 
 
通信使一行の行列見物は
庶民にとって大きな娯楽であった反面
 
通信使の往来路であると否とにかかわらず、
武蔵・相模以西の東海道・畿内・西国の農民には
労役の提供や費用の負担が求められ、
 
通信使の来朝は
農民達にとっては臨時に重い
負担を強いられるものでもあった。
 
そして、文化の違いや
日本人に対する侮りから、
 
通信使一行の中には、
屋内の壁に鼻水や唾を吐いたり
小便を階段でする、
酒を飲みすぎたり門や柱を掘り出す、
 
席や屏風を割る、
馬を走らせて死に至らしめる、
供された食事に難癖をつける、
夜具や食器を盗む、
日本人の下女を孕ませる
魚なら大きいものを、
野菜ならば
季節外れのものを要求したり、
 
予定外の行動を希望して
拒絶した随行の対馬藩の者に
唾を吐きかけたりといった
乱暴狼藉を働くものもあった。
 
 
警護に当たる対馬藩士が侮辱を受けることは
しばしばあり、
 
1764年宝暦14年)には
大阪の客館で
対馬藩の通詞・鈴木伝蔵が杖で打ち据えられ、
通信使一行の都訓導・崔天崇
夜中に槍を使って刺殺するという
事件まで起こっている。
 
 
これは朝鮮の
下級役人が鏡を紛失したと聞いた
崔天崇が
「日本人は盗みが上手い。」と言ったのを
鈴木伝蔵が聞きとがめ、
かねてよりの朝鮮人の窃盗行為を
非難したのが発端であった。
 
江戸時代後期の儒学者菅茶山
「朝鮮より礼儀なるはなし と書中に見えたれど、
今時の朝鮮人威儀なき事甚し。」と、
朝鮮人が伝聞とは異なり
無作法なことに驚いている。
 
 
現在も変わらずw
 
 

転載元: RCボトル潜水艦/RC潜水艦/RC艦艇/水生ロボット


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