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良識ある日本国民の皆様には、「民団新聞」が従軍慰安婦は被害者証言が十分な証拠で文書は日本側が全て焼却したに違いないと報道したことはご存知だと考えます。
<布帳馬車>「貧すれば鈍する」vs「窮すれば通ず」http://www.mindan.org/front/newsDetail.php?category=8&newsid=17510
日本の為政者は従軍慰安婦問題について、軍の関与と強制性を認めた河野談話があるにもかかわらず、強制性を示す文書(証拠)は存在しないとの立場を間欠的に示してきた。その中心人物の一人である安倍首相は、河野談話の見直しさえ公言してはばからない。こうした奇異な態度が橋下徹大阪市長の「慰安婦は必要だった」などとする妄言につながっている。
文書がなければ犯罪行為は立証できない?まさか!それを裏付ける公の文書などなくとも、被害者の証言と状況証拠があれば十分なはずだ。日清・日露戦争当時から万国公法に通じていたことを自慢してきた日本は、戦時国際法にも熟知していた。それに抵触する行為を示す文書は極力残さず、残っていたとしても焼却したに違いない。
そもそも、文書のなかったことが事実そのものの不在を意味しない。加害の歴史に対する反省は、相手に対して真摯であるのはもちろん、自らの人としての尊厳と名誉に基づくべきだろう。自分を守ろうとして、傷つけた相手を再び貶める言動は見苦しい。
東京新聞によれば、ジュネーブ開催の国連拷問委員会(5月21・22日)で、「被疑者の自白に依存する日本の捜査慣行は中世の残滓」との指摘に対し、日本の人権大使が「日本は世界第一の人権先進国」だと反駁、あわてて「人権先進国の一つ」と言い換えて失笑を買うと、人権大使は「なぜ笑う。黙れ、黙れ!」と叫び、会場を唖然とさせた。
国際的な批判に一矢報いようとする強硬発言が逆に、窮地を広げる日本の姿そのものを見た気がする。「貧すれば鈍する」でなく、「窮すれば通ず」になってほしいものだ。
2013.6.12 民団新聞
>文書がなければ犯罪行為は立証できない?まさか!それを裏付ける公の文書などなくとも、被害者の証言と状況証拠があれば十分
>それに抵触する行為を示す文書は極力残さず、残っていたとしても焼却したに違いない
また「民団新聞」(在日機関紙)の寝言か^^
2月に「民団新聞」は、「安倍首相と河野洋平のいずれがサムライか」という記事を掲載しました。
同記事で従軍慰安婦について、「軍・官憲や業者による強制は巧妙であり、関連資料が残っていたとしてもとうに処分済みだ」と主張しました。
<布帳馬車>どっちがサムライらしいのか
軍・官憲や業者による強制は巧妙であり、関連資料が残っていたとしてもとうに処分済みだ。「証拠がない」などとうそぶく安倍氏と歴史事実に向き合った河野氏といずれがサムライか。悪徳商人からの賄賂を懐手にしながら、「お主もワルよのう」などと高笑いする大名は時代劇の中だけにしてもらいたい。
2013.2.13民団新聞抜粋
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反日無罪の韓国民には理解できませんが、法治国家で犯罪行為を立証し有罪とするには、被害者個人の証言とその状況証拠だけでは無理です。
しかも、韓国人元慰安婦の証言に信憑性はなく、状況証拠さえ存置していません。
仮に日本政府・日本軍が従軍慰安婦の存在を記した資料を焼却したとしても、その命令を軍人などに下したということを証明する義務は韓国にあります。
そもそも、韓国人は「日本軍が性的奴隷(sex slaves)にするために20万人を超える少女らを強制動員した」と主張しているのです。
それならば、日本政府・日本軍が20万人もの朝鮮人女性を性的奴隷にしたと立証できる証拠があるはずです。
大東亜戦争当時は日本国民であった、朝鮮人の人口は約2千万人です。
朝鮮人の人口の約1%、朝鮮人の100人に1人もの女性が、日本政府・日本軍により強制的に性奴隷にされれば、その報道や資料など証拠が残っているはずです。
例えば、大東亜戦争終結後の日本で、約100万人の日本人女性がGHQにより強制連行=性奴隷にされたら、その報道や資料などが残ります。
強制連行される日本人女性の親や周囲の日本人は米兵に抗議し、米兵殺傷事件も頻発したでしょう。
つまり、朝鮮人女性が日本軍に強制連行されることを、朝鮮人の親などが黙ってみていたはずがないのです。
韓国の主張する「20万人強制連行」という資料も報道もなければ、当時の朝鮮人が日本政府に抗議をしたという資料も報道もありません。
慰安婦が存在したのは事実でも、日本軍が強制したという証拠はなく、あるのは元朝鮮人慰安婦のコロコロと変わる、または戦後も慰安婦だったという証言だけです。
元朝鮮人慰安婦のイ・ヨンスが、日本軍従軍慰安婦の被害を実名で告発してから約20年になります。
これまで、イ・ヨンスの証言は、慰安婦になった状況や、慰安婦になった年齢もコロコロと変ってきました。
「李容洙」(イ・ヨンス)の嘘だらけの証言!
1.1993「写真記録 やぶられた沈黙」では、1944年夏、友達が家に誘いに来てついて行くと、軍服みたいな服を着た男がおり、ワンピースと赤い靴をもらって感激してついて行く。
2.1993・10「証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち」では、一九四四年、私が満十六歳の秋のことです。川のほとりで見かけた日本人の男の人が立っていました。国民服に戦闘帽をかぶっていました。赤いワンピースと革靴の入った包みをもらって、幼心にどんなにうれしかったかわかりません。もう他のことは考えもしないで即座についていくことにしました。
3.英文中国日報(1998・.8・23)では、1944年のある夜、韓国の故郷から日本軍により誘拐され、日本軍の性奴隷として足かけ3年間従事慰安所に送られた時は、わずか数え年16歳であった。
4.元「慰安婦」へ補償を~日本共産党との会合(2002・6・26)では、14歳で銃剣をつき付けられて連れてこられたこと、拒むと殴られ、電気による拷問を受けて死にかけたことなどを話した。
5.「消せない記憶」~京都での市民集会李容珠(2004・12・4)では、1944年、16歳の時に「軍服みたいな服を着た男」に連行され、台湾へ。日本軍「慰安婦」としての生活を3年間強制された。
6.京都新聞(2004・12・5)では、16歳でわけが分からないまま連行され、1944年ごろ、旧日本軍に拉致され、台湾で約3年間従軍慰安婦として過ごした。
7.証言集会~同志社大学(2005・4・21)では、女性が片手で私の肩を抱いて、もうひとつの手で口を塞いで私を連れて行きました。その時、私は韓国の年齢で16歳でした。
8.朝日新聞(2005・8・11)では、韓国の大邱から15歳ごろ連行された。
9.埼玉上田知事発言に元慰安婦が抗議(JanJan 2006・10・13)では、15歳で韓国・大邱の家から軍人に拉致され、台湾まで連れ去られ、敗戦で解放されるまでの3年間の経過を証言した。
10.中央日報「米議会で初の‘慰安婦聴聞会’韓国・オランダ人女性3人が証言」(2007・2・16)では、1944年の16歳の時に台湾に慰安婦として連行された。
11.イヨンスさいたま公聴会(2007・2・23)では、15歳の時、家で寝ているとき小窓をたたく音に目を覚まして。
12.JANJAN「米公聴会でも証言した李容洙さんが、埼玉で再び「証言・告発」(2007・2・26)では、15歳のとき、小銃で脅され、大連から、台湾に連行され新竹海軍慰安所で特攻隊員の慰安婦とされた。
上記は、「李容洙」(イ・ヨンス)の証言の一部ですが、共通しているのは1944年だけで、慰安婦になった状況や年齢も変わっています。
当初は、「1944年の秋から3年間慰安婦として生活をした」という証言でした。
しかし、3年間の慰安婦をしたのであれば、大東亜戦争終結後も従軍慰安婦を続けたことになります。
2007年2月23日に埼玉で行われた「イ・ヨンスさんのお話を聞く会」の配布資料では、「戦後も慰安婦を続けたのは嘘だ!」と非難されていたので訂正をしました。
1991年12月、日本政府に慰安婦補償を求めた初の損害賠償請求が提訴され、「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」として裁判が開始されました。
「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」で、韓国人元慰安婦の金学順・文玉珠らが原告でした。
ビルマで慰安婦をしていた「文玉珠」(朝鮮人)は、「文原玉珠」名義で野戦郵便局に貯金をしていました。
文玉珠は、贅沢品を消費する生活をしながら、約2年半で2万6145円の軍事郵便貯金をし、貯金から5000円を朝鮮の大邱の実家に送金していました。
文玉珠は裁判で、1940年に16歳で日本人と朝鮮人の憲兵に呼び止められ、朝鮮人の刑事と一緒に列車で、朝鮮人の運営する満州の慰安所へ強制連行されたと証言しました。
<ヽ`∀´> ザパニーズ!
文玉珠は、慰安所経営者は給料を支払わなかった、慰安婦みんなで抗議したら月に数10円程度くれるようになったと証言をしました。
文玉珠は、チップなどと合わせ貯めて郵便預金を作ったこと、つまり2万6145円は性交の代償ではなく軍人からのチップなどであると主張しました。
しかし、文玉珠が強制連行されたという事実を証明することもできなければ、軍人からのチップなどで2万6145円もの大金を郵便預金はできません。
2004年11月、最高裁棄却により「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」は原告敗訴が確定しました。
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韓国人元慰安婦の吉元玉は、1928年生まれで「1940年に11歳から慰安婦を始めた」と証言しました。
しかし、慰安婦は17歳以上(18歳以上)しか募集されていません。
11歳(数えの13歳)の慰安婦の存在が発覚すれば、慰安所の関係者は厳しく処罰されたはずです。
吉元玉は、「(1945年)終戦後に解放されたが、南北分断で北朝鮮になった故郷には戻れないまま、韓国で暮らしている」と証言しました。
しかし、南北が分断されたのは1945年でも、1950年~1953年の朝鮮戦争までは南北の往来ができたので、「北の故郷に戻れなかった」ということはありません。
韓国人元慰安婦の金福童は、「14歳のとき村の班長と軍服のような服を着た男に軍服工場で働きなさい。そうしないと財産が没収されると言われた」と証言しました。
しかし、慰安婦は17歳以上(18歳以上)しか募集されておらず、14歳の慰安婦の存在が発覚すれば関係者は厳しく処罰されたはずです。
金福童は現在87歳で、「14歳のころから8年間慰安婦を強いられた」と証言していますが、1939年頃から1947年頃まで慰安婦をしていたことになります。
しかし、大東亜戦争は1945年に終わっており、1947年頃まで慰安婦を強いられたということは絶対にありえません。
こんな嘘つき慰安婦らの証言があれば、従軍慰安婦という日本の犯罪が立証できると主張しているのが韓国人です。
韓国の最高検察庁でさえ、韓国の偽証は日本の671倍に達し、韓国は「嘘を大したことと思わない社会の風潮がある」と指摘しています。
「民団新聞」が従軍慰安婦の文書は日本側が全て焼却したに違いないと報道しましたが、これも日本へ難癖をつけているだけです。
良識ある日本国民の皆様、慰安婦についてご考慮下さい。
日本を侮辱する韓国人は母国へ帰れ!
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