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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]「日本パラオ友好の橋」

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「日本パラオ友好の橋」と名付けらたこの橋は、パラオの旧首都コロールからバベルダオブ島にかけられています。
 

とはいえ、この橋が建設されるまでには別の橋が架けられておりました。1977年に韓国建設会社(SOCIO)が日本の鹿島建設の半額で入札し工事を請け負い完成させたのですが、完成直後から中央部が凹み崩落の可能性が高かったのです。日本のJICAやイギリスの調査会社が「このままでは陥没が進行する」といった結論が出たために補修や補強などが行われたのですが「基本的な手抜き建設」でしたので、手の付けようがなかったのです。


そして1996年9月26日、案の定、橋は真っ二つに折れて崩壊しました。ここは空港へ向かう唯一の道路で、橋には電気、水道、電話などのライフラインも設置埋設されていた為、崩壊と共に全てが切断されたのです。コロールの町の機能は完全に麻痺し、当時の大統領「クニオ ナカムラ」は国家非常事態宣言を発令し「暗黒の9月事件」と言われる程、深刻な状態に陥りました。

保証を求めようにも韓国企業は、すでに「解散」しておりました。困り果てた大統領は韓国政府に救いを求めたのですが「関係ない」と突き放されてしまいます。パラオでは再建築の費用を捻出するのは不可能です。


そこで手を差し伸べたのが日本です。1997年、日本の無償援助で鹿島建設が請け負い、工事が始まりました。低品質コンクリートが使われた旧橋の残存土台などは一切使わずに工事が始まり2002年1月に完成。「日本パラオ友好の橋」と命名され、日の丸と、パラオの日本に似た国旗が描かれました。


パラオの人々は「日本に助けられた。日本に感謝している」と口々に言ってくださってます。日本人としてとても誇らしい事であると改めて思います。



韓国に仕事をさせると、この始末・・・

責任も取らなければ

お片付けもできません




転載元: 幸福メンタルクリニック


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