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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]日本兵とともに戦った日本人慰安婦たちがいた。

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                   日本人慰安婦は決して名乗り出ない。
 
 
「慰安婦はいたが、従軍慰安婦というのはなく言葉すらなかった」
これは日本兵だった方に聞けばすぐわかることであります。
当時、慰安婦を「ピー」と呼び、「ピー屋」と呼んでいたと答えるでしょう。
なぜなら、慰安婦というのは軍属ではないので「従軍」という言葉がつくわけがないからです。
 
従軍慰安婦を初めて使われたのは戦後しばらく経った昭和48年、元毎日新聞記者の千田夏光が書いた『従軍慰安婦』の中で作った造語でありました。
その後、日本共産党の吉田清治が朝日新聞としんぶん赤旗で、自身の戦争体験で従軍慰安婦を書いて「勇気ある告白者」ともてはやされましたが、後に「人権屋に騙された」と白状して従軍慰安婦は嘘であったのがバレてしまいました。
さらに、朝日新聞の韓国特派員の植村隆が従軍慰安婦の記事を書き、この記事を韓国の新聞に取り上げられ、韓国で従軍慰安婦に火がつき、それが従軍慰安婦問題となりました。しかし記事には辻褄の合わない誤りだらけにもかかわらず朝日新聞は訂正もしなかったのであります。ちなみに植村隆の妻は韓国人で、その母親は太平洋戦争犠牲者遺族会の常任理事で日本政府から補償金の詐欺容疑がかけられているほどの人物でありました(上写真)。
 
これほど明確な嘘である“従軍慰安婦”を日本政府の公式見解として談話を出し、しかも学校の教科書で教えるとは、一体何を考えているのか、ということであります。
どうせ教えるならば、慰安婦も戦地で日本兵とともに日本のために命を捧げたことを教えるべきでありましょう。
 
パラオのペリリュー島の戦いは日本軍が全滅の壮絶なる戦いでありました。
この戦いの前に400人ほどの島民と慰安婦たちをパラオ本島へ疎開させており、その中に沖縄出身のある日本人女性の慰安婦がいるはずでした。
彼女は親に身売りされコロール島で美人で評判の22歳の慰安婦・久松でした。
彼女は独立歩兵第346大隊長と恋仲となり、ついに部隊がペリリュー島へ行く時に、「ともに死にたい」と言い、疎開せずに、髪を切り、軍服をまとい、サイズの合う軍靴がなかったので地下足袋をはいて同行したのでありました。
 
しかし、ペリリュー島北部で水戸山陣地を守った約600人の独歩346大隊は全滅。そして彼女もついに孤立し、三方から米軍に包囲され追い詰められました。女性とわかれば輪姦されて殺されるのは見えています。
その時、彼女は機関銃を乱射して抵抗し、米軍の死傷者は86名となったという。
手を焼いた米軍は決死隊を募り、戦車の援護射撃で彼女の注意を引いている間に背後に迂回してやっと射殺したということであります。
米兵が死体を見ると乳房が確認され女性であることに気づいたのでした。
その後、島民の証言で久松、本名・梅田セツであることが確認されました。
 
ペリリュー島で最後まで戦った彼女はお国のために命を捧げたともいえる死に方をされましたが、慰安婦であるために靖国神社に祀られることもなかったのであります。
 
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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