古くより「天下無双の大廈(たいか)」と称えられてきた御本殿の修造には、震災被害にあった東北地方の木材なども使用されており、銅板などは130年ぶりに「ちゃん塗り」と呼ばれる特殊な塗装を施されました。約70万枚もの膨大な檜皮(ひわだ)が敷き詰められた大屋根は見る者を圧倒します。
島根県出雲市、国津神、縁結びの神様がいる として知られている出雲大社にて 5月10日、大国主大神が修造の終わった御本殿にお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われました。
雲大社で「本殿遷座祭」 全国から1万2,000人が訪れる(13/05/11)
出雲大社 平成の大遷宮 準備
島根県出雲市、国津神、縁結びの神様がいる として知られている出雲大社にて 5月10日、大国主大神が修造の終わった御本殿にお還りになる「本殿遷座祭」が執り行われました。
雲大社で「本殿遷座祭」 全国から1万2,000人が訪れる(13/05/11)
出雲大社 平成の大遷宮 準備
出雲大社の創建は神代の時代に遡ります。
出雲国造が代替わりした際には、はるばる朝廷にまで参向し、宮中において天皇の御代を言祝ぐ「出雲国造神賀詞」が新しい国造によって奏上されました。
国造(くにのみやつこ)というのは全国にたくさんいたわけですが、この神賀詞の奏上を行うのは出雲国造のみで、特別な扱いをされていたことがわかります。
また、現在も、皇室といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。
日本は古来より、「大和の国」と言われ、日本人は「和」を重んじる国民です。そのことを、私たちは、日本の神話や歴史の中に見出すことができます。日本神話には、天照大神の子孫がこの国を治めるようになる前に、大国主命(おおくにぬしのみこと)が国を治めていたことが書かれています。
「豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに)」と呼ばれ、豊かで住みよい国でした。大国主命とは、天照大神の弟で出雲に住みついた須佐之男命の子孫であり、神話「因幡のしろうさぎ」の主人公でも知られています。
天照大神は、この国は自分の子の天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)が治めるべきだと考え、大国主命に国を譲るよう求めましたが、大国主命はこれに従い、「国譲り」が行われます。この日本の国の起源を伝える話に、古来より日本人の「和」の精神を見ることができます。
天照大神は、話し合いによる「国譲り」を試み、建御雷神(たけみかずちのかみ)を使者として送ります。これに対し、大国主命は「私の一存では決められません。子供の事代主命(ことしろぬしのみこと)に聞いてください」と言います。親である大国主命は独断で物事を決めずに、子供の意見を尊重しました。
長男である事代主命は、国譲りを承諾しましたが、しかし、弟の建御名方命(たけみなかたのみこと)は反対し、建御雷神に力比べを挑みます。結局、建御名方命は諏訪湖まで逃げたところで敗れ、国譲りに同意します。
建御名方命はそのまま、諏訪の地にお鎮まりになり、諏訪神社のご祭神として祀られておられます。また、建御雷神と、建御名方命との「力比べ」が日本の国技となる相撲の起源となったと伝えられています。
子供たちが同意したと聞いた大国主命は「私には何の異存もありません。この国を高天原の神にお譲りしましょう」と、「国譲り」は行われました。
このように、「国譲り」は、話し合いを主として行われ、「力比べ」などの部分的に抵抗はありましたが、双方の合意という形で実現したと描かれています。しかも、単なる併合ではなく、譲り受けた側が譲った側に対し、最高の礼を尽くしています。国を譲ったとはいえ、おそらく大国主命には恨みが残ったことでしょう。それに対し、天照大神は、天日隅宮(あめのひすみのみや)という大宮殿をつくり、自分の第二子の天穂日命(あめのほひのみこと)を大国主命の霊に仕えさせます。この宮殿が、出雲大社の起源です。そして天穂日命の子孫である出雲国造が代々の出雲大社の祭祀、宮司を務め、現在まで続いています。現在の宮司は、84代国造千家尊祐氏。
皇室同様、万世一系の家柄であり、80代国造千家尊福は司法大臣・東京府知事等を歴任。唱歌「一月一日」の作者としても知られています。
皇室同様、万世一系の家柄であり、80代国造千家尊福は司法大臣・東京府知事等を歴任。唱歌「一月一日」の作者としても知られています。
出雲国造が代替わりした際には、はるばる朝廷にまで参向し、宮中において天皇の御代を言祝ぐ「出雲国造神賀詞」が新しい国造によって奏上されました。
国造(くにのみやつこ)というのは全国にたくさんいたわけですが、この神賀詞の奏上を行うのは出雲国造のみで、特別な扱いをされていたことがわかります。
また、現在も、皇室といえども本殿内までは入れないしきたりを守り続けている。
現在は大社と名乗る神社はたくさんありますのが、平安時代の「延喜式」の神名帳には式内社と呼ばれる全国で2,861社の神社の名前が掲載されていますが、大社を名乗るのはただ一つ出雲大社だけです。
また、明治時代より、大東亜戦争まで続いた神社の近代社格制度においても、大社を名乗れたのは出雲大社だけでした。
また、明治時代より、大東亜戦争まで続いた神社の近代社格制度においても、大社を名乗れたのは出雲大社だけでした。
如何に歴代皇室が、「出雲」に対して、礼節を重んじてこられたかがよくわかります。
84代国造千家尊祐宮司が遷宮を迎えるにあたり、コメントを出されています。
以下に引用します。
以下に引用します。
本殿遷座祭を迎えるにあたり
出雲大社は現在、皆様方の格別のご高配を賜りながら、昭和の御遷宮以来60年振りとなる「平成の大遷宮」を平成20年度から平成27年度にかけてお仕え申し上げております。
この度の「平成の大遷宮」は、平成18年の出雲大社御遷宮奉賛会の発会を皮切りに、平成20年の仮殿遷座祭を中心とする諸祭儀、また御本殿をはじめ瑞垣内 諸建宇の御修造を、現在までそれぞれ順調にお仕え致してまいりました。これも全国の多くのご崇敬の皆様方のお力添えの賜物と、改めまして衷心より深謝申し 上げる次第でございます。
いよいよ本年5月10日には、麗しく蘇った御本殿へ大国主大神様にお還りをいただく本殿遷座祭を、また翌11日には奉幣祭を、それぞれ御勅使の参向を仰いで斎行致します。
本年2月6日には、畏くも天皇陛下より平成の大遷宮に対する「御下賜金」を、また、各宮家及び旧宮家よりも本殿遷座祭に対する「神饌料」を賜り、翌7日に は「御下賜金御献進奉告祭」を斎行し、大神様にご奉告を申し上げました。出雲大社、そして「平成の大遷宮」へ、深く御心をお寄せいただいておりますこと に、身の引き締まる思いが致しますとともに、改めて御遷宮の完遂を心に誓った次第でございます。
出雲大社の創建以来、大神様にお仕え申し上げてきた天穂日命の裔とその一族を始め多くの人々と、大神様を慕われます数限りない人々の尊い祈りによって悠久 なる出雲大社の歴史は支えられ、幾度となく御遷宮を繰り返して現在まで守られてまいりました。こうした先人たちの祈りをしっかりと受け継ぎ、60年に1度 の御遷宮にお仕えすることが出来なかった方々の思いを胸に抱きながら、本殿遷座祭をご崇敬の皆様と心一つにお仕えさせて戴く所存でございます。
私どもは、この「平成の大遷宮」を通じ、大神様への信仰や祭祀、日本の精神文化、御社殿とそれを保存するための技術、そうした祖先より受け継いだかけがえ のない宝を次世代に伝え、同時にそれが地元島根をはじめ広く我が国の蘇り、文化・経済・社会の不断の醸成に結ばれ、全国の皆様方に取りましても益々の弥栄 の契機となりますことを祈念致しております。
出雲大社 宮司 千家尊祐
そのため生産、繁殖、繁栄といったものが成長する力を尊んできたわけです。
ですから、人間も子孫を残して繁栄するということを重要視してきましたし、また世の中も成長していき、よりよい社会を作り上げていく、ということが必要と考えてきました。一人の人間としても成長してより優れた人間になるよう日々努力する、たとえ老人になっても、ということが神道では大切なのです。
永遠の命が欲しくて、不老不死の薬を探し求めた中国の始皇帝などの権力者がたくさんいましたが、今まで生きている人はいません。やはり初めがあるものは必ず終わりがあります。では神道における「永遠」とはなんでしょうか。それは「世代をつないでいく」ということです。伊勢神宮や出雲大社といった神社も木造であり、古代のものがそっくりそのまま残っているわけではありません。本ブログ神社のお話(十二)神宮でも述べていますが、伊勢神宮では二十年、出雲大社では六十年と定期的に遷宮や立替え、修復を行い、新たに清新な力を得て、後代へ引き継いでいきます。
日本の「木の文化」に対し、西洋は「石の文化」といわれます。古今東西の建造物を見ていただければお解りいただけるでしょう。
エジプトのピラミッドやギリシャの神殿などのように、ヨーロッパや中近東では、石を用いて建築物や工芸品を作りました。建てたときは永久不滅のものだったのでしょうが、しかし、その多くが今では廃墟になっています。しかも、建物が壊れて廃墟になっただけではなく、それを作った技術は勿論のこと、さらには、信仰や精神も消滅しているのです。
しかし、我民族は、物も心も有限であるという考え方を基底にもっており、有限であるがゆえに、たえず新しいものに更新し続け、確実に後世に伝えていくという努力と作業を繰り返してきました。つまり、命の継承といえます。
人間も同じように祖父母、父母から得た命を子や孫に伝えて、引き継いでいく、これが神道においての「永遠」です。しかし、我民族は、物も心も有限であるという考え方を基底にもっており、有限であるがゆえに、たえず新しいものに更新し続け、確実に後世に伝えていくという努力と作業を繰り返してきました。つまり、命の継承といえます。
【祭事日程】5月
10日 金 午後 7時 本殿遷座祭
11日 土 午前10時 本殿遷座奉幣祭
12日 日 午前10時 本殿遷座奉祝祭
13日 月 午後 8時 例祭前夜祭
14日 火 午前 9時 的射祭
14日 火 午前10時 例祭・本殿遷座奉祝祭
15日 水 午前 9時 二之祭・本殿遷座奉祝祭
15日 水 正午 神輿渡御祭
16日 木 午前10時 三之祭・出雲屋敷感謝大祭・本殿遷座奉祝祭
18日 土 午前10時 御神楽祭・本殿遷座奉祝祭
19日 日 午前 9時 本殿遷座奉祝祭
21日 火 午前10時 本殿遷座奉祝祭
23日 木 午前10時 本殿遷座奉祝祭
25日 土 午前10時 本殿遷座奉祝祭
26日 日 午前10時 本殿遷座奉祝祭