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相変わらずバランスに欠けた参加者のNHK。こんな議論は100年やっても無意味です。
5月3日は「憲法記念日」とされています。
日本国憲法(占領憲法)を認める方は“記念日”と呼べるかもしれませんが、今や占領憲法は無効であり、破棄すべきである、という声も増えています。
そうであればこれはまさに「屈辱記念日」と言うべき日でありましょう。
その日に合わせてNHKでは憲法特集として「激論」という番組をやっていました。
憲法をどうするのかということであります。しかし、こういう議論はまったく意味のない議論であるのです。
日本国の憲法が、占領下の日本において、日本国の歴史を建国から学びもしない外国人が、間違った暗黒史観を聞いた上で、しかも日本を再びアメリカの脅威とならないように作られた憲法など日本人に合わないのは当然であります。
本来は日本の「慣習」と「歴史」で憲法を作るべきであり、憲法によって日本の慣習が変えられていくというのは実に恐ろしいことであり、日本人らしさが憲法によって失われていくことになるのです。
それに比べて明治の憲法の制定を見れば、いかに我が国に合致しているか理解できます。
明治9年9月、明治天皇は憲法草案の起草を命じました。
「朕ここに我が建国の体に基き、広く海外各国の成法を斟酌し、以て国憲を定めんとす。汝等それ宜しく之が草案を起草し、以て聞せよ。朕将に撰ばんとす」
この勅語はこれだけの短いものですが、我が国にとって非常に大切なことが書かれております。それは「我が建国の体に基き」であります。
憲法というのは伝統的な国柄に基づき、海外の憲法も調査した上で定めるものである、ということであります。
これを受けて、明治15年3月に伊藤博文は憲法調査のためプロシャに行きます。
伊藤がオーストリアでシュタインに学んだ時に「日本人は日本の歴史によって日本自らの憲法をつくれ」、つまり憲法はその国の歴史と伝統・国体に立脚して成立するものであると言われたのです。伊藤は「我が意を得たり」としたのでありました。
憲法起草した井上毅は古事記、日本書紀、六国史、万葉集、令義解、古語拾遺、類聚国史、延喜式、禁秘抄、神皇正統記、大日本史、日本政記、講道館記述義、新論などなど日本の代表的古典や国典をほとんど網羅して学んでおりました。
そこで気付いたことが万世一系の男系男子の皇統であり、これを成文させる皇室典範の制定でありました。
そして、明治22年2月11日に大日本帝国憲法が発布されました。
2月11日。この日は神武天皇が大和橿原の地に即位された日であり、「紀元節」であります。この日をお選びになられたのは明治天皇の思召しでありました。
これは明治維新の時の明治天皇の「諸事神武創業の始めにもとづく」からきているものであり、初志貫徹する明治天皇の強い御意志の表れでもあります。
そして明治天皇が帝国憲法発布と同時に真っ先に行ったのが、伊勢神宮、神武天皇御陵、孝明天皇御陵、全国の官国幣社や靖国神社に勅使を差遣され、憲法発布を奉告されました。
さらに明治天皇は幕末・維新で賊名とされていた西郷隆盛に正三位、藤田東湖、佐久間象山、吉田松陰に正四位を賜り、彼らの名誉を回復させたのであります。・・・
「憲法記念日」と言わされている屈辱の日にこそ、本来、国民がこぞって議論すべきであります。もちろん議論すべきことは憲法の中身などではなく、占領憲法の制定過程であり、その正当性があるのかも含めて広く周知させるべきであるのです。
その上で憲法というのは国の歴史や伝統や文化、そして国柄、國體をしっかり学んで知った上で制定しなければ、その国民に合わないどころか、憲法に国民が合わせる、おかしなことがおきてしまうのです。
我が国はまさに、そのおかしなことを60数年も続けているのです。
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