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本日地元で、ある慰霊祭が行われました。・・・
昭和19年9月15日、北海道の千歳基地から愛知県豊橋の豊橋海軍工廠に行く途中であった海軍96式陸上攻撃機が茨城県十王町石尊山に激突し、搭乗員8名全員が戦没しました。悪天候の最中、搭載物資が点々と機外に投下された形跡があり、エンジントラブルが原因ともいわれています。
戦後、遺族の方がこの地にお参りに来ました。地元住民の案内で現場に行くと、何もないので大変気の毒でありました。
地元としてもお国のために亡くなられた英霊をそのままにしておくことは出来ず、地元の矢吹武さんを中心に有志の方々が慰霊碑を建立しようということになりました。
当時は50万円もかかる建立費を集めるのは大変なことでした。しかし、地元の方々が理解、協力してくれて、何と100万円以上の浄財が集まったのです。
そしてついに、昭和52年9月23日、「海軍航空隊員殉難之碑」が建立されました。
慰霊碑建立のリーダーであった矢吹武さんは、ご自身も6年以上も戦地を転戦した陸軍軍人であり、弟の矢吹鶴雄さんはパラオ諸島ペリリュー島で水戸第2連隊と共に玉砕散華されていました。その思いも慰霊碑建立へとなったのかもしれません。
慰霊碑建立された矢吹武さんは会社退職後、十王町遺族会会長を務められ、地元の忠魂碑清掃、水戸の護国神社清掃奉仕、農協理事、神社総代、自衛隊協力会ほか数々の要職を歴任、一貫して地域に尽力していました。そして30数年間、英霊八柱の慰霊と石碑のことを案じながらも、平成20年5月、逝去されました。享年92歳。
その後、矢吹さんの意志をついで、地元の有志の方が中心となり、毎年、慰霊祭が続けられています。
昭和天皇の御誕生日(昭和節)の本日4月29日、その海軍航空隊の慰霊祭が行われました。県外、県内の遠くからも多くの方々が来られました。
そして、最後に全員で、英霊八柱も軍歌演習の最後には必ず唱った「海ゆかば」を大きな声で斉唱し、昭和節の今日、日本国の隆盛とご皇室の彌榮と世界の平和を祈念して、天皇陛下万歳を行い、閉会と致しました。
「海軍航空隊員殉難之碑」 英霊八柱
機長 村上義夫海軍中尉 原籍 秋田県由利郡象潟町
隠岐憲一海軍少尉 原籍 兵庫県赤穂郡鞍居村
釘山進海軍飛行兵曹長 原籍 熊本県黒髪町
市野長次海軍整備兵曹長 原籍 新潟県佐渡郡二見村
牟田勝海軍上等飛行兵曹 原籍 佐賀県神崎郡蓮池町
畑添誠二海軍一等飛行兵曹 原籍 鹿児島県出水郡米津町
野螻勤海軍一等整備兵曹 原籍 北海道山越郡長万部町
近藤秀雄海軍二等飛行兵曹 原籍 秋田県南秋田郡船川港町
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