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Channel: 電脳工廠・兵器(武器,弾薬)庫
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[転載]今の日本は先人たちのお陰であると感謝できる日本人になりたい…

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       インドネシア独立記念日には子供たちが自国の国旗とともに日の丸も掲げる
 
インドネシア独立宣言には「17・8・05」と記されています。これは神武天皇即位起点の皇紀です。皇紀2605年8月17日、つまり1945年8月17日に独立したということです。西暦に660年を足すと皇紀になるのはインドネシアでも知られていたのです。
 
1602年、オランダはインドネシアを侵略して、ヨーロッパで高く売れる香辛料を独占しました。支配した土地ではコーヒーや砂糖を強制的に栽培させ、ただ同然でオランダ本国へ持ち去っていったのです。
それによってインドネシアの住民は自給自足が出来なくなり、食料は無くなりました。これにオランダがやったことは、食料を住民に高く売りつけることでした。当然、収穫のない住民にはお金もないので、オランダは住民に借金をさせて食べ物を売ったのです。当然、収入がないから借金は返せません。返せないのをわかって住民の土地を奪いました。食べ物がなくなりお金もなくなる、しかも土地まで奪われてはこの先どうするのか、ついに住民たちはオランダのやり方に怒り、独立のための闘争を行います。しかし、すべて制圧されてしまいます。
それから300年後、アジアの小国・日本が大国・ロシアを打ち破った日露戦争を見て、「同じアジア人が白人に戦って勝ったんだ。我々もやればできる」、と日本から大きな勇気を与えられました。
 
そして1941年。あの小さな強国・日本が今度は大国・アメリカに戦争を挑んだのです。たとえ国は小さくとも、理不尽な白人の言い分に唯々諾々とするのではなく、正義のために、そして自国を白人の植民地支配にされぬよう戦ったのです。
さらにその日本がインドネシアにやって来たのです。350年間どうやっても勝てなかったオランダ軍を日本軍はたった7日間で打倒したのです。
インドネシアの人たちは日本軍を大歓迎しました。日本はインドネシア語を公用語にし、教育を施し、現地人に独立の力をつけるために防衛軍ペタを訓練しました。
 
日本の終戦後の1945817日、初代大統領スカルノは独立を宣言しましたが、イギリス軍がスラバヤに上陸します。しかし日本軍の武器を持って日本軍に訓練されたインドネシア軍は強かく、イギリスはインドネシア軍に敗れ、撤退しました。
 
しかし、オランダは強い日本軍がいなくなったインドネシアの再植民地をあきらめませんでした。1947年、警察行動と称したオランダ軍は軍事攻撃をします。そしてジャワやスマトラの油田地帯を占領しました。しかし、このオランダの行動に世界中から非難されます。
それでもオランダは第二次警察行動と称して都市を無差別攻撃します。これ以上やるとマーシャル・プラン打ち切ると宣告され、遂にオランダは和平交渉に応じました。
 
このオランダの身勝手な軍事占領でインドネシアでは80万人の死者が出ました。
これに対しオランダは謝罪ひとつせずに、インドネシアに戦費を要求、恩給の支払いも要求し、インドネシアはすべて飲んだのです。
 
194912月、独立を勝ち取ったインドネシアでは戦争で困窮し、年金も支払えず、遂に独立軍を整理しわずかばかりのお金を引き換えに退役を迫りました。
当然、ともに戦ってくれた残留日本兵部隊にも解散を命じました。日本兵はみなインドネシア名を持っていました。祖国を離れてインドネシアのために命をかけた日本兵もわずかなお金で退役させなければなりませんでした。インドネシアのサンバス長官は日本兵に対し、涙を流しながら、一人一人に敬礼し除隊を命じました。
しかし、日本の先人たちのインドネシアでの献身的な貢献をインドネシアの人々は忘れず、語り継いでくれていたのです。
 
インドネシア独立宣言の達成に際し、真摯かつ誠実にわれわれを援助してくれた日本の友人がいたことを、私は死ぬまで忘れるものではありません。
~ 初代インドネシア外相のスバルジョ
 
1973年、石油ショックが起きました。アラブ石油輸出機構(OAPEC)が中東戦争を有利にするために石油供給を削減、日本の産業には大きな打撃となりました。
この時、日本政府はOAPECのリーダーであったサウジアラビア国王のファイサルに、日本向け石油供給の増加を依頼します。これを仲介したのがインドネシアのアラムシャ副首相などの指導者たちでした。彼らはこう言いました。
「キリスト教(オランダ)の支配からイスラムの民を救い、独立まで支援してくれたのが日本であり、日本はイスラムの味方だ」とファイサル国王を説得してくれました。
現在も日本の石油の9割はイスラム諸国から輸入されています。
 
誰のお陰で今の日本があるのか。
先人たちは亡くなっても、その肉体は失っても、その精神と偉業は今も生きているのです。
 
・・・・・・ 
インドネシア・タイムスのジャマル・アリ会長はかつてこう言いました。
「我々には日本を批判するだけの中国や韓国と違って歴史とプライドがある。
お金を出せなどとは350年間わが国を支配したオランダにさえ要求しない」
日本も正しい歴史を共有できる国と友好すべきだ、
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転載元: さくらの花びらの「日本人よ、誇りを持とう」


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