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[転載]国民を飢えから救われた昭和天皇陛下

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先帝陛下 御尊影


大東亜戦争終戦の年、昭和20年、戦後の混乱のなかで、国民は塗炭(とたん)の苦しみを味わっていました。特に食糧難は深刻でした。この年、成人に必要なカロリーは、配給ではわずか半分しか摂取できず、残りはヤミ市で補うという状況でした。人々は、テレビドラマ等でも見られる金になるものは何でも売って食いつなぐ、いわゆる「たけのこ生活」を強いられていました。
 
しかもこの年は、明治43年以来最悪の不作の年となりました。天候不順、戦争による労働力不足、粗末な農機具、そして肥料や農薬生産の減少により、米の収穫が例年より40パーセント近くも減少していました。
しかも、終戦により国家機能が低下、混乱していたため、農民は収穫した穀物を政府に供出せずに、闇のルートに横流ししました。その結果、ついに政府からの配給米が底をつく事態となりました。大蔵大臣はマスコミに対して「食糧がすぐに輸入されなければ、1千万人の日本人が餓死するであろう」と述べました。国民は迫りくる飢餓の恐怖に陥っていました。
 
このようななか、国民の食糧事情に最も胸を痛めあそばされたのが、先帝陛下であられました。戦後、農地改革や日中友好に活躍した政治家・松村謙三は、当時を次のように回想しています。
昭和20年12月、宮城からお召しがあり、天皇からお言葉がありました。
「戦争で苦しんだ国民に、さらに餓死者を出すことは堪(た)え難い。皇室の御物(ぎょぶつ)の中には国際的価値のあるものもあると聞く。その目録を作製させたから、米国と話してこれを食糧に替えたい」との叡慮であられました。

幣原喜重郎首相が、連合軍司令官マッカーサーに面会してこれを伝えると、感動したマッカーサーは「自分としても、米国としても、その面目にかけても御物を取り上げることはできない。断じて国民に餓死者を出すことはさせないから、ご安心されるよう申し上げて下さい」と答えたといいます。

 
食糧を求める国民の声は、ますます高まっていました。昭和21年5月19日には、「食糧メーデー」が行われました。共産党に扇動された参加者は25万人といわれ、坂下門から宮城内にも群集が押し入りました。教科書にも載っている「国体は護持されたぞ。朕はたらふく食っているぞ。汝、臣民飢えて死ね。御名御璽」というプラカードはこの時のものです。プラカードを持った者は、不敬罪に問われました。プラカードの表現は、共産党によるものでした。

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宮城前広場では、トラックを3台並べ、その上にテーブルをのせて演壇がつくられました。演説が続き、最後に、共産党の指導者・徳田球一が演壇に立ちました。徳田はおもむろに宮城を指さし、「オレたちは餓えている。しかるに彼らはどうだ」と叫んで、群集をアジりました。

翌20日、マッカーサーは、「規律なき分子がいま開始している暴力の行使は、今後継続を許さない」と警告し、「食糧メーデー」はGHQ(連合国軍総司令部)の命令で収拾されます。そして、21日、マッカーサーは吉田茂をGHQに招き、「自分が最高司令官であるかぎり、日本国民は一人も餓死させない」と約束しました。

その約束通り、GHQは6~7月にかけて20万トンの輸入食糧を放出しました。8~9月には、それぞれ20万トンの食糧が放出されました。これによって、日本国民は、大量餓死という最悪の危機を乗り越えることができたのです。
 
戦後の数年間、世界の食糧事情は悪化しました。中国・インドでは飢餓が起こり、ヨーロッパでさえ飢餓が囁(ささや)かれました。当時の世界の風潮として、降伏した我国は、懲罰として飢餓を強いられても不思議ではない状況でした。それにもかかわらず、国民が餓死から救われたのは、先帝陛下の叡慮が大きかったのです。
先帝陛下は、餓えに苦しむ国民を思い、皇室財産を差し出して食糧に替え、国民を餓死から救いたいと申し出ました。その無私仁愛の心が、マッカーサーの心を揺り動かし、GHQによる食糧放出が行われたのです。当時の国民はこのことを知る由もありませんでした。今日も多くの国民は、ただ米軍が食糧を供給してくれたと思っているようです。実はその陰には、国民の身の上を思う先帝陛下の存在があったのです。
こういう真実をこそ、私たちは語り継いでいかなければならないでしょう。

昭和天皇は、昭和21年2月より実に9年間にわたって、全国411個所、総行程にして3万3千キロの巡幸を行いあそばされた。
先帝陛下の巡幸は、敗戦によって廃虚の中にあった国民に大きな力を与えました。この世界史に類例のない出来事は、先帝陛下自身の発意で行われたものでした。
上述していますが、当時共産党が各地で国民を扇動していました。
労働争議が各地で吹き荒れていましたが、とにかく陛下がお出でになられる工場では、ストライキがことごとく解決していきましたし、これは調べれば分かると思いますが、物資や食糧の生産が、陛下のおいでになるところことごとく向上していくのです」元宮内次官の加藤氏は、実話を伝えています。

我が国には、天皇陛下と国民が深い家族的な感情で結ばれてきたという伝統があります。それは、君民一体ということもできます。
先帝陛下のお御心は、終戦直後、塗炭の苦しみにあった国民を力づけられ、国民の飢えを救くわれたのです。
このことが戦後日本の復興に大きな力となったのです。





 


転載元: 美しい国


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