☆続きです。
そもそも日本の最高神といえば、アマテラスですが、
アマテラスも登場した時には、
天の岩戸にお隠れになるという、今でいうなら
さながら登校拒否の引きこもりとなっています。
それが努力し、成長し、最後には立派な最高神となられる。
スサノオも、登場した時には、
ポセイドンのような海神ですが、
亡くなったお母ちゃんが恋しいと、
毎日泣いてばかりいて、ちっとも仕事をしない。
あげく、仕事をほっぽり出して、
アマテラスのもとにドスンドスンと地鳴りを響かせて
やってきて大暴れをしています。
さながら暴走族です。
けれど、そうした神々が、
様々な経験を経て、立派な大人となり、日本の神となられる。
そしてその神々の直系の子孫が、私達日本人だ、
というのが、日本人の基礎にある考え方です。
つまり、私達日本人は、産まれてこの方、
凡夫の身にあって様々な間違いをし、失敗を繰り返し、
親や同僚や周囲の人達にさんざん迷惑をかけてきているけれど、
それでも常に心をあらため、日々ちょっとずつでも勉強し、
成長し、進化し、人々のお役にたてる人間になろうと努力する。
そういう過去に謙虚に学び、今を努力をする人々が、
互いに協力し、互に助け合う事で、
今よりもっと良い世の中を造る。築くろうとします。
日本では、こうした地に足の着いた考え方が、
日本建国以来ずっと日本人の意識の根底に流れ続けています。
では、なぜそういう思考が、
意識の根底に流れるかと言えば、
それが日本建国の理想であるからです。
どういう事かというと、今から2700年前、
神武天皇が即位された際に、
そもそも日本の最高神といえば、アマテラスですが、
アマテラスも登場した時には、
天の岩戸にお隠れになるという、今でいうなら
さながら登校拒否の引きこもりとなっています。
それが努力し、成長し、最後には立派な最高神となられる。
スサノオも、登場した時には、
ポセイドンのような海神ですが、
亡くなったお母ちゃんが恋しいと、
毎日泣いてばかりいて、ちっとも仕事をしない。
あげく、仕事をほっぽり出して、
アマテラスのもとにドスンドスンと地鳴りを響かせて
やってきて大暴れをしています。
さながら暴走族です。
けれど、そうした神々が、
様々な経験を経て、立派な大人となり、日本の神となられる。
そしてその神々の直系の子孫が、私達日本人だ、
というのが、日本人の基礎にある考え方です。
つまり、私達日本人は、産まれてこの方、
凡夫の身にあって様々な間違いをし、失敗を繰り返し、
親や同僚や周囲の人達にさんざん迷惑をかけてきているけれど、
それでも常に心をあらため、日々ちょっとずつでも勉強し、
成長し、進化し、人々のお役にたてる人間になろうと努力する。
そういう過去に謙虚に学び、今を努力をする人々が、
互いに協力し、互に助け合う事で、
今よりもっと良い世の中を造る。築くろうとします。
日本では、こうした地に足の着いた考え方が、
日本建国以来ずっと日本人の意識の根底に流れ続けています。
では、なぜそういう思考が、
意識の根底に流れるかと言えば、
それが日本建国の理想であるからです。
どういう事かというと、今から2700年前、
神武天皇が即位された際に、
日本は「家族国家」と宣言されました。
天の下、全ての国民が家族として、互に助け合い、
協力しあい、互に成長してよりよい国(家)をつくる。
これが日本の建国の理念です。
そしてそれが日本人の理想でもあるわけです。
つまり「家族として、互に助け合い、協力しあい、
互いに成長してよりよい国をつくる」事が
日本人の根本思想であり、その中心にあるのが、
本家の中の総本家としてのご皇室という姿となっています。
つまり、「日本主義」です。
日本主義には、その先にある未来像としての
ユートピアもなければ、
過去の理想郷としてのエデンもありません。
あるのは、過去に学び、今を改善し、
互いに協力しあって未来を創造するという
具体的な地面に足のついた思考であり、
全ての家が家族として、互いに結びつき、
協力しあうという姿勢だけです。
ある程度社会経験をもった人なら、
誰でもわかると思うけれど、
単なる空想の世界にある理想社会を夢見た所で、
それはただの見果てぬ夢でしかありません。
会社でも、そりゃあ、儲かって儲かって、
社員の全員が仕事をしなくても
高給取りになれるような会社は理想かもしれないけれど、
そんな夢みたいな事ばかり言って、日々の仕事をしなければ、
会社なんて簡単に潰れてしまいます。
つまり、あえて誤解をおそれずに直言するならば、
西欧で生まれたエデンに還ろうという「保守主義」にしても
誰もみた事もないユートピアを目指そうという
「共産主義」にしても、私達日本人からみれば、
それらは地に足の着かない空理空論でしかないという事です。
更にいえば、自由平等博愛主義、或いは民主主義も、
私達日本人には理解し難い面があります。
どういう事かというと、自由平等博愛主義というのは、
自由は放縦を招き、平等は努力しないで
分け前だけよこせという欲得を招き、
博愛は時に心を鬼にして戦わなければならない事を
否定して人々の弱さを招くという事です。
努力しない仕事をしない社員が、俺は自由だ、
社員なのだから一生懸命努力して頑張っている社員も、
さぼっているオレも、同じだけの給料をよこせ、
会社のカネを横領しても博愛主義で許せ、などと主張しても、
それで会社がよくなるかといえば、絶対によくならない。
という事は、国家も、果は人類さえも、
自由平等博愛主義の先には、
放縦と我がままと不正の横行する社会が
待っているという事にしかならないのです。
欧米型民主主義も同じで、欧米型民主主義は、実は
「民衆は神の意思のもとにある」という原点に立脚しています。
ですから米国における大統領選挙も、
大統領を選ぶ国民は、神の意思に基づいて投票しているのだし、
選ばれた大統領も就任に際して、
神の祝福を得て、はじめて大統領となります。
けれど、こうした価値観は、
そこに「神を敬う」意思をもたないもの達が多く入り込むと、
全く別なろくでもない社会を招きます。
典型が、昨今の民主党で菅◯人が選ばれた代表戦で、
外国人にカネを渡し、組織的に指揮された外国人票を
大量に入れる事で、選挙に勝つという、
とんでもない現実が起こる。
カネも神のうちだという考え方もあるかもしれませんが、
そんな事が庶民の為にならない事は、歴史が証明しています。
嘘と偽りで地位を得た者は、
結果として偽りの世界しか招かないのです。
しかし、振り返ってみると、日本という国は、
古来、様々な政治体制をひき、都度、
色々な矛盾を抱えながらも、つねに成長し、
進化し、その矛盾をできるだけ極小にしながら、
人々の暮らしを靖んじてきました。
けれど、みんなが家族となる事によって、
国法を保管している正倉院さえも、
入り口にある鍵は、封印の紙一枚だけで済む。
紙切れ一枚で、誰も泥棒にはいろうなどと思わない。
ザビエルが指摘したように、
日本は最高に優れた民族であり、親しみやすく、善良で
悪意がなく、誰もが名誉を重んじる理想国家を築いています。
おそらく、今日本の保守、
とりわけ真正保守を自認する人々の中で、
江戸幕藩体制に還りたいとか、
明治の薩長政権国家に還りたいとか、
或いは律令国家に戻りたいとか考えている人は、
まずいないし、理想のために人を殺したいとか、
他国を侵略したいとか、
その為の戦争をしたいと思う人も、誰もいません。
何とかしてみんなで助け合い、仲良くして、
共に学び、共に笑い、共に助け合い、
手を携えてより良い未来を築きたいというのが、
多くの日本人の本音です。
つまり、大多数の日本人は今でも「日本主義」なのです。
「戦後保守」は、その日本を壊そうとする勢力と、
真剣勝負で剣を抜いて戦いました。
そしてその戦いは、反共、反米、反中、反韓等と、
様々に進化してきています。
けれど、私達が戦い、護ろうとしているものは、
その「戦い」そのものにあるのではありません。
「剣を持って戦い、エデンに回帰しよう」という思考でもない。
私達は、私達の国と歴史と、
そこにある文化と伝統を「学び、活かす」という
日本文化の奥底にあるものを大切にしたいと願っているだけです。
私達は、それを「保守」と呼んできましたが、
どうしても保守主義というと、それが
エデンの園の西洋的保守主義と混同されてしまいがちです。
そこで「保守主義」という言葉にかえて、
「日本主義」という言葉を提唱したいと思います。
そして今の日本に必要なのは、保守の大同団結です。
それは、日本の歴史、伝統、文化を大切に育み、
日本文化の深みを学び、より良い未来を築く、
日本を大切に思う日本人の
「日本主義」の覚醒という事なのではないかと、私は思います。
日本主義というのは、
ご皇室を尊崇し、
祖国日本を愛し、
現代を生き、より良い未来を築く為に
日本の歴史、伝統、文化に学び
和を大切にして、
日々成長し進化していこうとする主義です。
日本主義に「理想の楽園」は存在しません。
あるのは「過去、現在、未来」と続く「流れ」だけです。
現在は過去の結果であり、未来は現在の結果です。
一生懸命勉強し、仕事に励み、
家族を大切にしてコツコツと努力を積み上げれば、
きっと良い未来がやってくると考えます。
けれどそれは、「可能性が高まる」というだけで、
現実に「良い未来」となるかどうかは、わからない。
わからないから過去に学び、
みんなで協力して一層努力し、
少しでもよい未来を「創造」しようとする。
つまり、日本主義は、
家族として過去に学び
現在を努力し改善し
未来を創造します。
この「家族として学び、改善し、創造する」のが、日本主義です。
いま、私達は「日本主義」の旗を高らかに掲げ、
新たな未来の建設の為に大同団結して、
一歩を踏み出すときがやってきた。
私はそう思います。
日心会メルマガより
天の下、全ての国民が家族として、互に助け合い、
協力しあい、互に成長してよりよい国(家)をつくる。
これが日本の建国の理念です。
そしてそれが日本人の理想でもあるわけです。
つまり「家族として、互に助け合い、協力しあい、
互いに成長してよりよい国をつくる」事が
日本人の根本思想であり、その中心にあるのが、
本家の中の総本家としてのご皇室という姿となっています。
つまり、「日本主義」です。
日本主義には、その先にある未来像としての
ユートピアもなければ、
過去の理想郷としてのエデンもありません。
あるのは、過去に学び、今を改善し、
互いに協力しあって未来を創造するという
具体的な地面に足のついた思考であり、
全ての家が家族として、互いに結びつき、
協力しあうという姿勢だけです。
ある程度社会経験をもった人なら、
誰でもわかると思うけれど、
単なる空想の世界にある理想社会を夢見た所で、
それはただの見果てぬ夢でしかありません。
会社でも、そりゃあ、儲かって儲かって、
社員の全員が仕事をしなくても
高給取りになれるような会社は理想かもしれないけれど、
そんな夢みたいな事ばかり言って、日々の仕事をしなければ、
会社なんて簡単に潰れてしまいます。
つまり、あえて誤解をおそれずに直言するならば、
西欧で生まれたエデンに還ろうという「保守主義」にしても
誰もみた事もないユートピアを目指そうという
「共産主義」にしても、私達日本人からみれば、
それらは地に足の着かない空理空論でしかないという事です。
更にいえば、自由平等博愛主義、或いは民主主義も、
私達日本人には理解し難い面があります。
どういう事かというと、自由平等博愛主義というのは、
自由は放縦を招き、平等は努力しないで
分け前だけよこせという欲得を招き、
博愛は時に心を鬼にして戦わなければならない事を
否定して人々の弱さを招くという事です。
努力しない仕事をしない社員が、俺は自由だ、
社員なのだから一生懸命努力して頑張っている社員も、
さぼっているオレも、同じだけの給料をよこせ、
会社のカネを横領しても博愛主義で許せ、などと主張しても、
それで会社がよくなるかといえば、絶対によくならない。
という事は、国家も、果は人類さえも、
自由平等博愛主義の先には、
放縦と我がままと不正の横行する社会が
待っているという事にしかならないのです。
欧米型民主主義も同じで、欧米型民主主義は、実は
「民衆は神の意思のもとにある」という原点に立脚しています。
ですから米国における大統領選挙も、
大統領を選ぶ国民は、神の意思に基づいて投票しているのだし、
選ばれた大統領も就任に際して、
神の祝福を得て、はじめて大統領となります。
けれど、こうした価値観は、
そこに「神を敬う」意思をもたないもの達が多く入り込むと、
全く別なろくでもない社会を招きます。
典型が、昨今の民主党で菅◯人が選ばれた代表戦で、
外国人にカネを渡し、組織的に指揮された外国人票を
大量に入れる事で、選挙に勝つという、
とんでもない現実が起こる。
カネも神のうちだという考え方もあるかもしれませんが、
そんな事が庶民の為にならない事は、歴史が証明しています。
嘘と偽りで地位を得た者は、
結果として偽りの世界しか招かないのです。
しかし、振り返ってみると、日本という国は、
古来、様々な政治体制をひき、都度、
色々な矛盾を抱えながらも、つねに成長し、
進化し、その矛盾をできるだけ極小にしながら、
人々の暮らしを靖んじてきました。
けれど、みんなが家族となる事によって、
国法を保管している正倉院さえも、
入り口にある鍵は、封印の紙一枚だけで済む。
紙切れ一枚で、誰も泥棒にはいろうなどと思わない。
ザビエルが指摘したように、
日本は最高に優れた民族であり、親しみやすく、善良で
悪意がなく、誰もが名誉を重んじる理想国家を築いています。
おそらく、今日本の保守、
とりわけ真正保守を自認する人々の中で、
江戸幕藩体制に還りたいとか、
明治の薩長政権国家に還りたいとか、
或いは律令国家に戻りたいとか考えている人は、
まずいないし、理想のために人を殺したいとか、
他国を侵略したいとか、
その為の戦争をしたいと思う人も、誰もいません。
何とかしてみんなで助け合い、仲良くして、
共に学び、共に笑い、共に助け合い、
手を携えてより良い未来を築きたいというのが、
多くの日本人の本音です。
つまり、大多数の日本人は今でも「日本主義」なのです。
「戦後保守」は、その日本を壊そうとする勢力と、
真剣勝負で剣を抜いて戦いました。
そしてその戦いは、反共、反米、反中、反韓等と、
様々に進化してきています。
けれど、私達が戦い、護ろうとしているものは、
その「戦い」そのものにあるのではありません。
「剣を持って戦い、エデンに回帰しよう」という思考でもない。
私達は、私達の国と歴史と、
そこにある文化と伝統を「学び、活かす」という
日本文化の奥底にあるものを大切にしたいと願っているだけです。
私達は、それを「保守」と呼んできましたが、
どうしても保守主義というと、それが
エデンの園の西洋的保守主義と混同されてしまいがちです。
そこで「保守主義」という言葉にかえて、
「日本主義」という言葉を提唱したいと思います。
そして今の日本に必要なのは、保守の大同団結です。
それは、日本の歴史、伝統、文化を大切に育み、
日本文化の深みを学び、より良い未来を築く、
日本を大切に思う日本人の
「日本主義」の覚醒という事なのではないかと、私は思います。
日本主義というのは、
ご皇室を尊崇し、
祖国日本を愛し、
現代を生き、より良い未来を築く為に
日本の歴史、伝統、文化に学び
和を大切にして、
日々成長し進化していこうとする主義です。
日本主義に「理想の楽園」は存在しません。
あるのは「過去、現在、未来」と続く「流れ」だけです。
現在は過去の結果であり、未来は現在の結果です。
一生懸命勉強し、仕事に励み、
家族を大切にしてコツコツと努力を積み上げれば、
きっと良い未来がやってくると考えます。
けれどそれは、「可能性が高まる」というだけで、
現実に「良い未来」となるかどうかは、わからない。
わからないから過去に学び、
みんなで協力して一層努力し、
少しでもよい未来を「創造」しようとする。
つまり、日本主義は、
家族として過去に学び
現在を努力し改善し
未来を創造します。
この「家族として学び、改善し、創造する」のが、日本主義です。
いま、私達は「日本主義」の旗を高らかに掲げ、
新たな未来の建設の為に大同団結して、
一歩を踏み出すときがやってきた。
私はそう思います。
日心会メルマガより