上の写真は、2009年11月14日の、米国オバマ大統領の
天皇、皇后両陛下謁見の際の挨拶の時の写真です。
覚えておいでの方も多いかと思います。
この時オバマ大統領は、握手をしながら
腰を90度に曲げて深々とお辞儀をしました。
このことについて、
「米国のプライドが傷ついた」
「外国の要人に頭を下げるのは米国の大統領として不適切」
「米国が日本に屈した」
などという遺憾の報道が沢山なされた一方、
「大統領でもあり大の大人であるオバマ氏が、
当然の礼儀を見せただけ」
「年長者に対する礼儀でしかない」
などといった評論も多数寄せられていたのは、
皆様ご記憶に新しいところだと思います。
韓国では、オバマ氏の日本訪問の直後(18日)に
韓国訪問が予定されていたことから、
「オバマ大統領が見せた90度のお辞儀は
大統領が「東洋式の挨拶」を尊重して行なったものである。
韓国においても当然、同等の丁寧な挨拶が行われるであろう」
といった「期待情報」がずいぶんと流されていました。
面白いのは、こうした報道に関する韓国の過熱性で、
「日本における丁寧な挨拶が『お辞儀』であり、
オバマ大統領はこれを尊重したものであるから、
韓国大統領訪問時においても『当然に』
『韓国式の丁寧な挨拶』が行われるであろう」
などと報じられていた事です。
それが下の絵で、これはオバマ氏の韓国訪問の
前日である2009年9月17日の朝鮮日報に掲載されたものです。
天皇、皇后両陛下謁見の際の挨拶の時の写真です。
覚えておいでの方も多いかと思います。
この時オバマ大統領は、握手をしながら
腰を90度に曲げて深々とお辞儀をしました。
このことについて、
「米国のプライドが傷ついた」
「外国の要人に頭を下げるのは米国の大統領として不適切」
「米国が日本に屈した」
などという遺憾の報道が沢山なされた一方、
「大統領でもあり大の大人であるオバマ氏が、
当然の礼儀を見せただけ」
「年長者に対する礼儀でしかない」
などといった評論も多数寄せられていたのは、
皆様ご記憶に新しいところだと思います。
韓国では、オバマ氏の日本訪問の直後(18日)に
韓国訪問が予定されていたことから、
「オバマ大統領が見せた90度のお辞儀は
大統領が「東洋式の挨拶」を尊重して行なったものである。
韓国においても当然、同等の丁寧な挨拶が行われるであろう」
といった「期待情報」がずいぶんと流されていました。
面白いのは、こうした報道に関する韓国の過熱性で、
「日本における丁寧な挨拶が『お辞儀』であり、
オバマ大統領はこれを尊重したものであるから、
韓国大統領訪問時においても『当然に』
『韓国式の丁寧な挨拶』が行われるであろう」
などと報じられていた事です。
それが下の絵で、これはオバマ氏の韓国訪問の
前日である2009年9月17日の朝鮮日報に掲載されたものです。
上が日本、下の絵が「韓国の一般人」と握手しながら
「頭で地面を叩いている」オバマ大統領です。
因みに、この「頭で地面を叩く」という動作は、
韓国における伝統的な外交儀礼で、
支那からの使者を迎える際に、
これを李氏朝鮮の王族が迎える際に行っていた臣下の礼法で
「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」と呼ばれるものです。
どういうものかというと、「跪(き)!」という号令で、
ひざまずいて、一叩、二叩、三叩の号令で、
「手を地面について頭を地面に打ち付ける」というものです。
礼法では、これを三度繰り返えすので、
都合9回、額を地面に打ち付けることになります。
ある意味、大変に侮辱的な礼法ですが、
これを明や清の「使者」に対して、
朝鮮国王が毎度行わさせられていたわけです。
国王が、明や清の使者に対して、
9度も額を地面にぶつけるという
これを李氏朝鮮の王族が迎える際に行っていた臣下の礼法で
「三跪九叩頭(さんききゅうこうとう)」と呼ばれるものです。
どういうものかというと、「跪(き)!」という号令で、
ひざまずいて、一叩、二叩、三叩の号令で、
「手を地面について頭を地面に打ち付ける」というものです。
礼法では、これを三度繰り返えすので、
都合9回、額を地面に打ち付けることになります。
ある意味、大変に侮辱的な礼法ですが、
これを明や清の「使者」に対して、
朝鮮国王が毎度行わさせられていたわけです。
国王が、明や清の使者に対して、
9度も額を地面にぶつけるという
卑屈な姿をさらして臣下の礼をとる。
そしてその使者がお帰りの際は、
毎年3000人の韓国人美女を
そしてその使者がお帰りの際は、
毎年3000人の韓国人美女を
性奴隷として明、清の皇帝に献上していたというわけです。
一方、その韓国系美女を受け入れた側の明、清の側の記録に、
こうして献上された美女が
明国や清国皇帝の皇太子を産んだという記録がみられない事、
及び、献上された美女達のその後の運命についての記録が
みられないところをみると、その献上された韓国美女達が、
支那でどういう扱いを受け、容姿が衰えてきた後に
どういう処遇となったかは、
悲しい現実として想像するにあまりあります。
国内に産業がなく、ただ貧しいだけの当時の朝鮮半島では、
女性くらいしか支那皇帝への献上物がなかったという現実、
そして朝鮮国王の「三跪九叩頭」という卑屈な礼法。
その事は、女性には生涯名を名乗らせなかったという
李氏朝鮮の支配体制というものが、
一体どういう支配体制であったのか、
そしてそのような体制が400年以上も続いたという現実は、
世界史的にも類例のない人権蔑視の無惨な体制であったと
いう事の片鱗を伺わせるものでもあります。
そして長い年月のうちに、いつのまにか
「三跪九叩頭」という屈辱的礼法が、
何の抵抗もない「韓国の常識」となっていた事は、
明治16(1883)年9月に、当時の李氏朝鮮王が
米国に対して派遣した朝鮮全権大使一行の
米国アーサー大統領公式訪問の際の様子にも
明らかなものとなっています。(下の図)
惨めに思えるのは私だけでしょうか。
朝鮮全権大使一行の米国アーサー大統領公式訪問
一方、その韓国系美女を受け入れた側の明、清の側の記録に、
こうして献上された美女が
明国や清国皇帝の皇太子を産んだという記録がみられない事、
及び、献上された美女達のその後の運命についての記録が
みられないところをみると、その献上された韓国美女達が、
支那でどういう扱いを受け、容姿が衰えてきた後に
どういう処遇となったかは、
悲しい現実として想像するにあまりあります。
国内に産業がなく、ただ貧しいだけの当時の朝鮮半島では、
女性くらいしか支那皇帝への献上物がなかったという現実、
そして朝鮮国王の「三跪九叩頭」という卑屈な礼法。
その事は、女性には生涯名を名乗らせなかったという
李氏朝鮮の支配体制というものが、
一体どういう支配体制であったのか、
そしてそのような体制が400年以上も続いたという現実は、
世界史的にも類例のない人権蔑視の無惨な体制であったと
いう事の片鱗を伺わせるものでもあります。
そして長い年月のうちに、いつのまにか
「三跪九叩頭」という屈辱的礼法が、
何の抵抗もない「韓国の常識」となっていた事は、
明治16(1883)年9月に、当時の李氏朝鮮王が
米国に対して派遣した朝鮮全権大使一行の
米国アーサー大統領公式訪問の際の様子にも
明らかなものとなっています。(下の図)
惨めに思えるのは私だけでしょうか。
朝鮮全権大使一行の米国アーサー大統領公式訪問
(News Paper 1883/9/29)
因みに、翌18日には、オバマ大統領が実際に韓国に訪問し、
韓国大統領と面会していますが、この時の模様は、
まるで「忘れ去られたか」のように、
ただその事実があったという事のみの報道となりました。
要するに、ただの握手、
単なる普通の握手しか行われなかったからです。
前日までの韓国の過熱報道ぶりからしたら、
都合が悪くなると「知らん顔を決め込んで、
なかった事にしておく」という
いつもの韓国の行動パターンそのものとなりました。
さて、話が脱線しましたが、当時、色々と書かれた
オバマ大統領の90度のお辞儀について、
韓国大統領と面会していますが、この時の模様は、
まるで「忘れ去られたか」のように、
ただその事実があったという事のみの報道となりました。
要するに、ただの握手、
単なる普通の握手しか行われなかったからです。
前日までの韓国の過熱報道ぶりからしたら、
都合が悪くなると「知らん顔を決め込んで、
なかった事にしておく」という
いつもの韓国の行動パターンそのものとなりました。
さて、話が脱線しましたが、当時、色々と書かれた
オバマ大統領の90度のお辞儀について、
私はこれを、オバマ氏が
「米国大統領として」とった礼である事であると同時に、
世界の差別された黒人種を代表するという
思いをこめた挨拶であったとみています。
どういう事かというと、皆様ご存知の通り、
米国において黒人は、長い間「差別」され続けてきました。
昨今、在日韓国人がいう「我々は日本人に差別されている」
という口先だけのデタラメと異なり、
米国の白人の黒人への人種差別は、まさにホンモノの差別です。
つい3?40年前までは、米国において
「黒人には傷みを感じる神経がない」等と
「米国大統領として」とった礼である事であると同時に、
世界の差別された黒人種を代表するという
思いをこめた挨拶であったとみています。
どういう事かというと、皆様ご存知の通り、
米国において黒人は、長い間「差別」され続けてきました。
昨今、在日韓国人がいう「我々は日本人に差別されている」
という口先だけのデタラメと異なり、
米国の白人の黒人への人種差別は、まさにホンモノの差別です。
つい3?40年前までは、米国において
「黒人には傷みを感じる神経がない」等と
本気で信じられていました。
1857年(安政4年)には、米国最高裁が、
「黒人並びにその子孫は、
所有者の財産であって、合衆国の市民ではない」
という判決を出しています。
要するに黒人は、人ではなく「動産」だったのです。
動産というのは、売買し、移動させる事ができます。
そしてオーナーの「所有物」です。
「人」ではなく「物」なのです。
ですから当然に「物」には、「人格権」は与えられません、
そして「人格がない」のですから、
これまた当然に「公民権」も与えられなかったのです。
代々米国に住んでいても、黒人は「米国の市民」ではなく、
米国にある「物」だったのです。
日本では、米国の黒人差別は、
米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが「解放」した、
と信じている人が多いようです。
違います。
リンカーンが「解放」したのは「奴隷制度」です。
彼は「人種差別」に反対したのではありません。
「奴隷制度」と「人種差別」は、
似ているようで、全く異なる概念です。
リンカーンの当時の米国経済は、
1857年(安政4年)には、米国最高裁が、
「黒人並びにその子孫は、
所有者の財産であって、合衆国の市民ではない」
という判決を出しています。
要するに黒人は、人ではなく「動産」だったのです。
動産というのは、売買し、移動させる事ができます。
そしてオーナーの「所有物」です。
「人」ではなく「物」なのです。
ですから当然に「物」には、「人格権」は与えられません、
そして「人格がない」のですから、
これまた当然に「公民権」も与えられなかったのです。
代々米国に住んでいても、黒人は「米国の市民」ではなく、
米国にある「物」だったのです。
日本では、米国の黒人差別は、
米国第16代大統領のエブラハム・リンカーンが「解放」した、
と信じている人が多いようです。
違います。
リンカーンが「解放」したのは「奴隷制度」です。
彼は「人種差別」に反対したのではありません。
「奴隷制度」と「人種差別」は、
似ているようで、全く異なる概念です。
リンカーンの当時の米国経済は、
南部諸州が経済の牽引役でした。
米国の北部、西部には産業がなく、
一方、南部11州は、綿花栽培で大儲けしていたのです。
米国の南部の農園で生産された綿花は、
産業革命を果たして一足早く工業化に成功して
世界の富豪国家となった英国に丸ごと輸出されました。
英国はこの綿を生地に仕立て、
高級紳士服等の工業生産品として世界中に輸出していたのです。
英国製の生地は、世界最高とされ
(今でも英国製生地はそれ自体ブランド品です)、
しかも当時の英国は世界の海を制した大国です。
つまり英国文化が世界を席巻していたわけで、
それだけに英国製の高級生地や、英国仕立ての服は、
世界中で高値で取引されています。
つまり、英国では、生地を作れば作るほど儲かりました。
生地を作れば作るほど儲かるという事は、
その生地の原料となっている綿花も
「作れば作るほど」儲かったわけです。
米国南部では、その為の綿花農園を経営し、
広大な地所を利用して、そこに「農奴」としての
「黒人奴隷」を労働力をして
働かせるという社会制度が確立していました。
南部諸州で綿花農園を経営するのは、白人です。
そして農園は、大規模であればあるほど、儲かったのです。
そして労働力は安ければ安いほど、儲けは大きくなるからです。
意外に思われるかもしれませんが、南部諸州の農園では、
黒人労働者(奴隷)達は、比較的大切に扱われていました。
これは当然といえば当然の事で、
農場が広がれば広がるほど、黒人労働者の人数も増える。
人数からいったら、白人の農園経営者よりも、
そこで働く農園労働者の方が、圧倒的に人数が多い。
どこの会社でも、経営者の人数よりも、
労働者の人数の方が多いのと同じです。
もし、少数の経営者が、
米国の北部、西部には産業がなく、
一方、南部11州は、綿花栽培で大儲けしていたのです。
米国の南部の農園で生産された綿花は、
産業革命を果たして一足早く工業化に成功して
世界の富豪国家となった英国に丸ごと輸出されました。
英国はこの綿を生地に仕立て、
高級紳士服等の工業生産品として世界中に輸出していたのです。
英国製の生地は、世界最高とされ
(今でも英国製生地はそれ自体ブランド品です)、
しかも当時の英国は世界の海を制した大国です。
つまり英国文化が世界を席巻していたわけで、
それだけに英国製の高級生地や、英国仕立ての服は、
世界中で高値で取引されています。
つまり、英国では、生地を作れば作るほど儲かりました。
生地を作れば作るほど儲かるという事は、
その生地の原料となっている綿花も
「作れば作るほど」儲かったわけです。
米国南部では、その為の綿花農園を経営し、
広大な地所を利用して、そこに「農奴」としての
「黒人奴隷」を労働力をして
働かせるという社会制度が確立していました。
南部諸州で綿花農園を経営するのは、白人です。
そして農園は、大規模であればあるほど、儲かったのです。
そして労働力は安ければ安いほど、儲けは大きくなるからです。
意外に思われるかもしれませんが、南部諸州の農園では、
黒人労働者(奴隷)達は、比較的大切に扱われていました。
これは当然といえば当然の事で、
農場が広がれば広がるほど、黒人労働者の人数も増える。
人数からいったら、白人の農園経営者よりも、
そこで働く農園労働者の方が、圧倒的に人数が多い。
どこの会社でも、経営者の人数よりも、
労働者の人数の方が多いのと同じです。
もし、少数の経営者が、
大多数の黒人を圧政下に置いたらどうなるか。
反乱でも起こされて、綿花農園に火でもつけられた日には
全財産がパアになります。
ですから、そうならないように、
ある面、黒人達を優遇し、ある面、
いう事をちゃんと聞くように、厳しくしつけた。
つまりそこには、一定の「共存関係」が成立していた訳です。
映画「風とともに去りぬ」は、
ご覧になられた方が多いかと思いますが、
主人公の家は、昔の中世のヨーロッパの貴族のように、
豪華で多数の部屋を持つ大邸宅です。
が、周囲に城壁はありません。
城壁がないという事は、「争いがない」という事です。
そしてその大邸宅の中には
多数の黒人の農園労働者達が生活していました。
中には、結婚して子が産まれる黒人もいる。
一方、農園は広大ですから、労働効率を考えれば、
そこで働く農園労働者は、
農園主の大邸宅に住むばかりが能ではありません。
優秀であり、かつ責任感の強い信頼できる黒人には、
その者が担当している農園の近くに家を建ててやり、
そこを基点として、一体の農園の管理を任せたりもしています。
黒人と白人が、身分は違うのは当然です。
農園の経営者であり、
オーナーである一族と、そこで働く労働者なのです。
身分の違いは、当然にある。
けれど、それは差別というより、主従関係に近いものであったし、
しかも黒人達は、定年さえない終身雇用で、生涯食うに困らない。
悪いけれど、今時の日本のフリーターよりも、
よほど生活は安定しています。
黒人達は、仕事が済むと、近くの飲み屋に集まり、
そこで、自分達の民族音楽に、
欧米風の楽器をあわせた独自の音楽を誕生させ、
それをみんなで楽しんでたりもしました。
そうです。ジャズミュージックです。
当時の南部の黒人労働者達は、もちろん、
農場主と比べれば生活は貧しかったかもしれないけれど、
決して貧困ではなかったし、
生活にも余裕があったというのが実情です。
★続きます。
日心会メルマガより
反乱でも起こされて、綿花農園に火でもつけられた日には
全財産がパアになります。
ですから、そうならないように、
ある面、黒人達を優遇し、ある面、
いう事をちゃんと聞くように、厳しくしつけた。
つまりそこには、一定の「共存関係」が成立していた訳です。
映画「風とともに去りぬ」は、
ご覧になられた方が多いかと思いますが、
主人公の家は、昔の中世のヨーロッパの貴族のように、
豪華で多数の部屋を持つ大邸宅です。
が、周囲に城壁はありません。
城壁がないという事は、「争いがない」という事です。
そしてその大邸宅の中には
多数の黒人の農園労働者達が生活していました。
中には、結婚して子が産まれる黒人もいる。
一方、農園は広大ですから、労働効率を考えれば、
そこで働く農園労働者は、
農園主の大邸宅に住むばかりが能ではありません。
優秀であり、かつ責任感の強い信頼できる黒人には、
その者が担当している農園の近くに家を建ててやり、
そこを基点として、一体の農園の管理を任せたりもしています。
黒人と白人が、身分は違うのは当然です。
農園の経営者であり、
オーナーである一族と、そこで働く労働者なのです。
身分の違いは、当然にある。
けれど、それは差別というより、主従関係に近いものであったし、
しかも黒人達は、定年さえない終身雇用で、生涯食うに困らない。
悪いけれど、今時の日本のフリーターよりも、
よほど生活は安定しています。
黒人達は、仕事が済むと、近くの飲み屋に集まり、
そこで、自分達の民族音楽に、
欧米風の楽器をあわせた独自の音楽を誕生させ、
それをみんなで楽しんでたりもしました。
そうです。ジャズミュージックです。
当時の南部の黒人労働者達は、もちろん、
農場主と比べれば生活は貧しかったかもしれないけれど、
決して貧困ではなかったし、
生活にも余裕があったというのが実情です。
★続きます。
日心会メルマガより