前回、「日本人よ、覚醒せよ! 日本国憲法の正体」の記事に対して、daystyle2010 yukariさんからこのようなコメントを頂きました。
「第二十四条のくだりで驚きを禁じえませんでした。家庭を放棄してまでの女性の社会進出が何故必要なのか。日本は元々、共同参画の確立した国家であったと思います。最近の若い女の子の発想は、まず自分の自由確立と個人の権利の主張です。これでは我が身を呈して夫や子供に尽くすといった女にしか出来ない行為も馬鹿げたものに感じてしまいます。こんな事で本当に女は幸せになれるのでしょうか? 」(2012/1/28(土) 午前 8:23)
yukariさんのこのコメントのご指摘は今の日本の家族と女性の在り方を考えさせるものです。
「自由確立と個人の権利の主張」と「こんな事で本当に女は幸せになれるの」。それと「我が身を呈して夫や子供に尽くすといった女にしか出来ない行為」という部分。
ユダヤ人の長老モーゼ氏は日本の男女同権に対してこう書いています。
「人間は自然の摂理として両性は全く異なった天分を持たされているにもかかわらず、これを単純に平等に扱おうというわけである。これは自然の摂理に対する冒涜である。」
また、こうも書いています。
「戦前の日本人には『男は度胸』『女は愛嬌』という言葉があった。これは皆様も欧文に翻訳するとき困った経験をお持ちであろうと思う。この『度胸』『愛嬌』に相当する欧米語が見つからないのである。しかしこれは当然のことである。なぜなら、この両者は欧米人の男女とも持ち合わせていないのであるから・・・」
日本の先達たちが長い歴史の中で営んできた日本の家族の在り方、男女の在り方。これらをどんどん変えていくことが日本にとっていいことなのだろうか・・・。
男女共同参画。昔から女性も働いて社会に貢献しており、それ以上に家族の中にあって家を守っていたわけです。にもかかわらず男女共同参画、それにリンクして保育所を増やして益々女性を家庭から社会に出して働かせようとする。人口減による労働力不足を補うというのはまやかしとしか聞こえない。さらには夫婦別姓、戸籍の廃止、児童虐待など、これから日本はおかしな方向に向かいつつあります。
共産主義的政策、つまりかつてのソ連のように女性を働かせて、子供は国が預かり、そうしているうちに出生率が激減していきました。家族崩壊の先には少子化という問題もあることを日本もその戒めとしなければいけません。
以下、ユダヤ人モルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より掲載させて頂きます。
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我々ユダヤ人の理想のお手本となるべきものに日本が戦前誇った家族制度があった。
面白い話を一つ紹介しよう。
かつて「国際連盟」の労働部長であったユダヤ人、アルベール・トーマが日本の労働事情調査のため来日した。面白い話というのは、アルベール・トーマが来日し、日本へ階級闘争の激化工作をしようとしたとき、その前に立ちはだかったのが、日本の強固な家族制度だったのだ。
アルベール・トーマは、「日本では家族制度が強固なため階級闘争、つまり労働運動の激化を仕掛けることは非常に困難である。なぜならば、労働者は失業しても労働運動などする必要はない。家族が暖かく迎え入れてくれるからである。この家族制度をなんとかしない限り、日本へ階級闘争を持ち込むことは難しい」といっているのである。
アインシュタインもまた来日した時、日光の金谷ホテルからドイツのユダヤ機関へ手紙を書いているが、その中に日本の家族制度の立派さを書いているのである。
かくの如く、日本の家族制度はこれまた類い稀な存在であったのだ。
戦前の日本の家族制度にはとても及ばないが、現在世界中で一番この家族制度というものを強固に有しているのは我々ユダヤ人社会であろうと思う。この点、我々は常にそれを誇りとしている。
ここでまた日本人にお詫びしなければならないのであるが、この日本のすばらしい家族制度を破壊したのは我々ユダヤ人なのである。具体的には、占領改革の時ニューディール派(GHQのマルクス主義者)が行なったものである。
前述のアルベール・トーマの件でもお分かりと思うが、ユダヤ人がマルクス主義的変革を実行するためには、家族制度は国内の君主制といわれる如く邪魔な存在だったのだ。家族制度が「小さな君主制」としてユダヤ民族のマルクス主義的変革事業の邪魔になるということは、何も今日昨日の問題ではなかったのである。
現在のユダヤ人社会では戦前の日本にあったようなすばらしいものではないにせよ、家族制度というものは固持されている。恐らく世界一のものではなかろうか。
親と子は多くの場合同居している。これは決して住宅難のせいではないのである。子は年老いた親の面倒をよくみるのである。特に親孝行という言葉はもっていないが、将来できるかも知れない。また、親類づきあいも密である。安息日には大抵どこかの親類と家庭で交わるのを普通とする。我々は戦前の日本の家族制度を見習いたいのである。
ユダヤ人は福祉ということはあまり考えない。これは家族制度のアンチテーゼ(正反対)だからである。福祉とはただ食わせるだけといえるかも知れない。老人ホームに例をとると、そこでの老人に保証されているのは餓死しないということだけである。生き甲斐というものは何も保証されていない。
然るに家族制度の枠内の老人は子の成長、孫の成長を楽しむという生き甲斐をもつことができる。どちらがいいかは、議論の外であろう。
日本では戦後、ニューディール派の改革で姦通罪というものが外されてしまった。これも家庭の不和を増長させる重大な要素であると考えられ、家族制度の破壊を狙ったものであると私は考える。ユダヤ人の社会では、現在でも姦通ということはまずあり得ないのである。十戒において厳に禁ぜられているからである。
女性の社会への進出というと何か進んだ制度の如く感じるかも知れないが、家族制度という観点から見た場合、これもやはり崩壊へ導く要因であるようである。
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