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土曜授業―答えを急ぐことはない
公立校に、土曜日の授業を復活させたい。下村博文文部科学相が意欲を示した。
問題提起はわかる。一方で、学校週5日制は週末を家族とゆったり過ごすライフスタイルをもたらした。土曜も学校となれば、親子の会話が減る。そこをどう考えるか。
結論を急がず、国民的な議論をしたうえで判断すべきだ。学校で土曜が完全に休みになったのは11年前。ゆとりの学習指導要領とともに始まった。教える内容を絞り、全員しっかりわかるようにする。その理想とは裏腹に、公立校の勉強だけでは足りないという不安が保護者に広がった。塾に通うお金がある家庭とそうでない家庭で学力に差がついた。都市部では土曜も授業をする私立に子どもが流れた。そんな批判をうけた文科省は教える内容を増やし、授業時間も小中で週1~2コマ増やした。
ベネッセの調べでは、小学校の半分近くは国の標準より多い授業時間をとっている。増えた内容をこなすためだ。公開授業などは土曜にしてもよいという特例を使い、すでに月1、2回ほど土曜授業をしている自治体も少なくない。
横浜市教委が一昨年とったアンケートでは、保護者の7割が土曜授業に賛成した。
週休2日を変えずに授業を増やした結果、生徒も先生も平日の余裕がなくなった。そんな声もある。大臣が「世論の理解はあると思う」と言うのは、こうした現実をふまえたものだろう。
ただ、やるとしても元のつめこみに戻るべきではない。日本の子に足りないのは、応用力と学ぶ意欲。知識よりも考える力だ。国内外の学力調査で毎度のようにそう指摘される。増える時間は、実験や観察、討論に振り向けるべきだ。
教職員も交代で休めるよう増やす必要がある。でも、少人数学級だって財政難で先生を増やせなくて全学年に行きわたらないのに、容易なことではない。週末のくらしは様変わりするだろう。部活動や地域の子ども向けの催し、スポーツ教室や習いごと、塾は、土曜休みを前提に営まれている。家族の遠出も減るかもしれない。社会へのさまざまな影響がありうる。
土曜を休みにするときも、中教審などで長い議論を重ねた。答えを急ぐことはない。やるべきか。やるとしても毎週必要か、隔週で足りるのか。役所や有識者だけでなく、各地の保護者からじかに意見を聴く場を作ってはどうだろう。(2013.1.21 朝日新聞社説)
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「土曜も学校となれば、親子の会話が減る。そこをどう考えるか。」
土曜日が休みでも必ずしも親子の会話が増えるとは言えないのではないでしょうか。会話のしない親子はいくら時間があっても別々の部屋で自分の空間にいれば会話はないのです。よく会話のある親子は時間が少なくなってもするものです。朝日が思うような心配はないのです。
実際には、ゆとりではない昔の方が親子の会話があったのではないでしょうか。
今や食事の時さえ自分の部屋で食べて、親子の会話がなくなっている現実もあるのです。ですから土曜休みと親子の会話を結びつけるのは無理があります。
大体、男女共同参画を推し進めて、母親をどんどん社会進出させて、家族の破壊を目論んでいた朝日が今さら親子の会話とは片腹痛いものであります。
「結論を急がず、国民的な議論をしたうえで判断すべきだ」
どうして朝日は土曜日を休ませたいのか。授業時間を増やしたくないのか。
朝日の信奉するシナの勉強時間は非常に多いものであります。その一方で日本人には勉強するな、授業時間を減らせ、ゆとりを持て、親子の会話を大切にせよ、というのは如何に日本を弱くしたいのかがわかりやすい朝日新聞です。
「ただ、やるとしても元のつめこみに戻るべきではない。日本の子に足りないのは、応用力と学ぶ意欲。知識よりも考える力だ。」
鉄は熱いうちに打てといいます。学校教育も同じです。頭のやわらいうちにどんどん頭を使わせる。ゆとりや余裕などいらないのです。
ゆとりがあるから余計なことを考えるのです。あれほど陰湿ないじめを考えるほどの余裕があるのです。ゆとりというのは数知れないご苦労と社会貢献を積んだ人が時として持つものであり、何も知らない子供にゆとりを与えてどうするのだ、と言いたい。
そして「日本の子に足りない」のは何より道徳教育であります。これがおろそかになっているからモラルもルールも守らず、一方では個人の権利や自由ばかりを強調して教えるから社会全体が荒廃していくのです。自分よければすべてよし、他人のことなどどうでもよい、となるのです。
道徳心を養い、他人の痛みを知る人間になること。その上での学問でなければ、“仏作って魂入れず”になってしまうのであります。
「少人数学級だって財政難で先生を増やせなくて全学年に行きわたらない」
昔は大人数学級でありました。それでも勉強の出来る子供はたくさんいました。勉強のできる子供はどんな環境にあっても頑張って勉強するものです。
大体、学校の先生を増やす意味がわからない。少子化で生徒が少なくなるのに教師を増やしてどうするのだ。
教師も自分が休むことより子供の学力や人間としての成長を真剣に考えてやるべきであります。それが教師が“先生”と呼ばれる所以であるのです。
休みを何より優先させる人間が教師になるべきではないでしょう。まして自分たちを労働者と位置付けてデモやストに重心を置いているなどもってのほかであります。
「週末のくらしは様変わりするだろう。部活動や地域の子ども向けの催し、スポーツ教室や習いごと、塾は、土曜休みを前提に営まれている。家族の遠出も減るかもしれない。社会へのさまざまな影響がありうる」
日本人の精神は勤勉、真面目、嘘をつかない、約束を守ることなどです。これが日本人のよいところであり、日本人が一番力を発揮するものであります。
たとえゆとりや余裕があってもさらに向上を目指し、時間を無駄に使わないのが日本人の日本人らしいところであります。それが日本の発展を支えてきた大切な要因であるのです。
この良い面を潰すことが反日左翼の目指す日本解体勢力の目的であるならば、断固反対していくべきであります。それによって家族の遠出は減ると書いていますが、本当に行く時はどんな困難であっても知恵を使って時間を有効活用してでも行くものであります。
土曜日の授業といっても午前中だけです。何も特別なことをやるわけではなく普通に戻すだけです。何をそんなに恐れるのか、朝日は。
「答えを急ぐことはない。やるべきか。やるとしても毎週必要か、隔週で足りるのか」
これはすぐにでもやるべきでしょう。なぜなら反日朝日が急ぐなと書いているからです。
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