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「しらせ」物資30トン空輸 南極・昭和基地 「しらせ」の飛行甲板上でCH101輸送ヘリに物資を搭載する隊員たち(12月21日) 文部科学省の第54次南極地域観測を支援中の砕氷艦「しらせ」(1万2650トン、艦長・松田弘毅1佐以下約170人)は12月19日、搭載するCH101輸送ヘリで越冬隊員が待つ昭和基地に生鮮食品などの「初荷」を運び、航空輸送をスタートさせた。 越冬隊に生鮮食品 厚い氷 今月上旬にも接岸 「しらせ」はオーストラリアのフリーマントルを昨年11月30日に出発し、12月13日には流氷の浮かぶ氷海域に進入。15日に定着氷のエリアに入るとチャージング(船を一旦後進させてから前方に体当たりして氷を砕く)をしながら進み、19日に南緯68度48分、東経38度52分、昭和基地から約60キロの海域に達した。 「しらせ」が氷を砕きながら航行している間、54次観測隊(隊長・渡邉研太郎以下65人)の隊員がヘリで昭和基地に向かうとともに、食糧や観測器材の空輸が行われた。越冬隊のための物資輸送は昭和基地接岸後に行う予定。 今回の協力では全体で約1100トンの物資の輸送を予定しており、事前のヘリ空輸ではそのうちの約30トンを昭和基地へ運んだ。メーンは生鮮食品などで、野菜不足の越冬隊員たちを喜ばせた。 昨年は南極の厚い氷に阻まれ、「しらせ」は18年ぶりに昭和基地への接岸を断念。CH101輸送ヘリ1機のみで、越冬に必要な分の燃料や食糧、観測器具などを運んだ。今回も氷の厚さは変わらず、接岸が危ぶまれている状況だ。 「しらせ」は26日現在、南緯68度53分、東経38度56分の海域、昭和基地まで約50キロの定着氷域に達しており、予定通りに進めば1月の上旬には基地に到着する見込み。チャージングの回数は計約500回に達している。 現地では燃料補給をはじめ、基地設置や野外観測での人員輸送などの支援を行う。 |
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空自初の女性飛行隊長 美保基地 玉越 香苗2佐 飛行隊長としての半年は「あっという間」と話す玉越2佐(美保基地・41教飛隊で) 総飛行時間は2000時間以上。週3日はT400練習機で訓練に臨む(美保基地・41教飛隊で) 「厳しいからこそ達成感ある」 2013年がスタートした。空自美保基地(司令・野中盛1空佐)では輸送機と救難機パイロットらの教育を行う第41教育飛行隊の隊長、玉越香苗2空佐(42)が任務への思いを新たにしている。映画『トップガン』を見てパイロットに憧れ、大卒後、商社勤務を経て一般幹部候補生で入隊。難関のウイングマークを取得し、PKO任務や米国留学などのキャリアを積み、昨年8月、空自初の女性飛行隊長に就任した。 商社勤務から転身、難関突破 鳥取県境港市の美保基地に勤める玉越(旧姓・佐藤)香苗2佐は基地から車で約5分の官舎暮らし。毎日午前6時に起床、出勤する。 玉越2佐はC1輸送機とU4多用途支援機の操縦資格を持つ。一般幹部候補生(86期)で入隊後、飛行時間は2000時間以上。2輸空(入間)、統幕防衛課(市ヶ谷)勤務などを経て昨年8月、輸送機パイロットらを育てる3輸空飛行群第41教育飛行隊の隊長に。 空自の現役女性パイロットは約10人(24年12月現在)いるが、飛行隊長になったのは玉越2佐が初めて。 同隊は玉越2佐以下約40人。週3日は学生教育や練成訓練でT400基本操縦練習機に乗り、日本海の訓練空域などに飛ぶ。書類の決裁や合間を縫い、隊内を回り教官、学生に声を掛ける。5時に終礼。学生の成績評価などを行い、7時ごろ帰宅するのが日課だ。 夫の明3佐(40)は幹候同期のF15パイロットで、現在は横田基地の総隊司令部に勤務。夫婦別れ別れの生活だ。玉越2佐は「着任してあっという間の半年。一パイロットと隊長では責任の重さが違う。でも、学生を育てる仕事にやりがいを感じる」と話す。 昭和45年生まれ。父は会社員で転勤が多く、最も長く過ごしたのは兵庫県神戸市。読書好きの内気な少女だったが、米海軍を描いた映画『トップガン』(87年)を見てパイロットに憧れた。「読書もパイロットも非日常。そこにひかれたのかも」と。 高校卒業の平成元年は自衛隊の女性パイロット募集がなかった。やむなく航空大学校受験を念頭に東北大に入学したが、航空大は2次試験で肺活量が足らず断念。同5年、東京の商社に就職した。 初の女性総合職として銀座のオフィスで多忙な毎日を送っていた7年1月17日、阪神・淡路大震災が発生。故郷で多くの人たちが復興に努力する姿を見て「何もできない自分がいて、こんな人生でいいのか、と考え直した」。 都内の社員寮から職場に向かう途中、自衛官募集のポスターが目に留まり、女性パイロット募集を知った。資料請求ハガキを抜き取った。志願を母は反対したが、兄が「どうせ落ちる。受けさせればいい」と助言した。 会社の昼休みに東京地連(当時)で説明を聞き、通勤電車の中で国家公務員受験用の参考書に取り組み、5月の一般幹候試験を受験、合格。8年3月、飛行要員で空幹候校(奈良)に入校した。 卒業後は飛行準備課程(防府北)、T7初等練習機操縦訓練(静浜)を経て、10年9月からT400基本操縦訓練を履修。11年7月、念願のウイングマークを獲得、12年にC1操縦資格を得た。「教育中は教官に怒鳴られっぱなしで飛行は苦痛だった。でもソロ・フライトは空が自分のものになった気がして楽しかった」と振り返る。 同じ課程教育を受けていた女性は一般幹候、防大、航学の数人。同2佐がC1パイロットとして2輸空に赴任して約4カ月後の12年6月、幹候同期の藤本あい2尉(当時26歳)が乗る403飛行隊(美保)所属のC1が美保沖で墜落。機長以下5人が殉職した。「衝撃だった。彼女の分まで頑張ろうと思った」。 ゴラン高原派遣輸送隊向けにU4でのイスラエルへの物資輸送や米国空軍大学(アラバマ州・マクスウェル空軍基地)に1年留学、韓国との防衛交流も経験した。 玉越2佐は「自衛官は、素晴らしい日本を守れるよい仕事。楽ではないが厳しいからこそ達成感も大きく、仲間もできる。多くの人に挑戦してほしい」と話す。 |
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露軍機、中国機へのスクランブル相次ぐTu214は初視認 12月17、18日の両日、ロシア空軍のツポレフTu214型電子偵察・情報収集機(RA64511号機)=写真=1機が日本周辺を飛行し、空自のF15戦闘機などが緊急発進して対応した。同型機が空自機によって日本周辺で視認されるのは初めて。 Tu214は双発旅客機を改造したもので、極東への配備を前に試験飛行を行っているものとみられる。17日はハバロフスク州方面から北海道沖の日本海を南下、能登半島沖を経て竹島周辺の山陰沖から朝鮮半島方面に遠ざかった。 18日はハバロフスク州方面から奥尻島沖まで南下後、反転して北上。サハリン南端をかすめて宗谷岬沖からオホーツク海、国後水道を抜けて根室、襟裳岬沖から太平洋を列島に沿って伊豆諸島沖まで南下した。同機は逆のルートをたどってハバロフスク州方面に戻った。 一方、沖縄県尖閣諸島沖では22、24、25、26の各日、中国国家海洋局所属の「Y12型」小型プロペラ機各1機が、魚釣島の北約120キロ付近まで接近してきたため、両日とも空自のF15戦闘機などが緊急発進して対応した。中国機は付近を周回後、自国領方面に戻った。魚釣島付近では12月13日に、同型機による領空侵犯があったばかり。 |
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露艦が宗谷海峡西航 12月17日午後4時ごろ、北海道・宗谷岬の東約200キロの海上を浮上して西航するロシア海軍の「キロ」級潜水艦(水中排水量3076トン)と「ソルム」級航洋曳船の2隻を、海自2空群のP3C哨戒機(八戸)が確認した。 その後、2隻は宗谷海峡を通峡し、日本海に入った。 |
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第2次安倍内閣発足 防衛相に小野寺氏 |