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[転載]武士道とは(下) 國家の品格

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平成17年11月に発刊された国際的数学者、藤原正彦氏の『国家の品格』(新潮新書)は発行部数265万部を超えるベストセラーとなりました。
アメリカの「論理万能主義」を批判し「だめなものはだめ」と主張。グローバリズムなどを真っ向から否定し、自国の伝統や美意識などを重んじることを説いた著書でした。
国際的数学者として知られる藤原氏は、これらの本で、いま日本に必要なのは、論理よりも情緒、英語よりも国語、民主主義よりも武士道精神であり、「国家の品格」を取り戻すことだと説いています。
藤原氏が武士道に関して述べた意見に焦点を合わせて、21世紀に求められる武士道精神について括りとします。


「広辞苑」では品格とは、、「品位、気品」をいう。「品位」とは、「人に自然にそなわっている人格的価値」、「気品」とは「どことなく感じられる上品さ。けだかい品位」をいいます。
人物を対象にした言葉であり、国家に対しては普通用いません。
しかし、国民一人一人に品格があってこそ、国民全体に品格が備わり、それがその国家に品格をもたらし、国家とは、日本人のことであり、その一員としての一人一人の品格が問われているのです。
藤原氏の父は、小説家、気象学者として名高い新田次郎氏です。
藤原正彦氏が武士道精神を持つようになったのは、氏の受けた家庭教育による。
「私にとって幸運だったのは、ことあるごとにこの「武士道精神」をたたき込んでくれた父がいたことでした」と氏は『国家の品格』に書いています。
「父は小学生の私にも武士道精神の片鱗を授けようとしたのか、『弱い者が苛められていたら、身を挺してでも助けろ』『暴力は必ずしも否定しないが、禁じ手がある。大きい者が小さい者を、大勢で一人を、そして男が女をやっつけること、また武器を手にすることなどは卑怯だ』と繰り返し言った。問答無用に私に押し付けた。義、勇、仁といった武士道の柱となる価値観はこういう教育を通じて知らず知らずに叩き込まれていったのだろう」
氏は、特に卑怯を憎むことを、心に深く刻み、
「父は『弱い者がいじめられているのを見てみぬふりをするのは卑怯だ』と言うのです。私にとって『卑怯だ』と言われることは『お前は生きている価値がない』というのと同じです。だから、弱い者いじめを見たら、当然身を躍らせて助けに行きました」と書いている。
家庭において父親から武士道の精神を植え付けられた藤原氏は、その後、今日にいたるまで、武士道精神を自分の心の背骨とし、武士道に対する理解は、拙稿「武士道とは(中)」でも記述していますが、その多くを新渡戸稲造の名著『武士道』に依っています。
「武士道には、慈愛、誠実、正義や勇気、名誉や卑怯を憎む心などが盛り込まれているが、中核をなすのは『惻隠の情』だ。つまり、弱者、敗者、虐げられた者への思いやりであり、共感と涙である」と・・・

氏は論理だけでは世の中はうまくいかない、論理よりもむしろ「情緒」を育むことが必要だと述べ、また、それとともに、人間には、一定の「精神の形」が必要だと説いています。
氏は、次のように書いています、「論理というのは、数学でいうと大きさと方向だけ決まるベクトルのようなものですから、座標軸がないと、どこにいるのか分からなくなります。人間にとっての座標軸とは、行動基準、判断基準となる精神の形、すなわち道徳です。私は、こうした情緒を含む精神の形として『武士道精神』を復活すべき、と20年以上前から考えています」と。
国際的な数学者であり、歴史家や思想家でもない藤原氏が、このように言うところに、驚きと同時に強い説得力があります。

明治維新によって、身分としての武士は消滅しました。その後の武士道精神の変遷を、武士道精神の中核を「惻隠の情」と理解する視点から、藤原氏は次のように述べています。
「かつて我が国は惻隠の国であった。武士道精神の衰退とともにこれは低下していったが、日露戦争のころまではそのまま残っていた」
日露戦争での水師営での会見で、乃木将軍が敗将ステッセルに帯剣を許したこと、日本軍は各地にロシア将校の慰霊碑や墓を立てたこと、松山収容所では、ロシア人捕虜を暖かく厚遇したことなどを列挙しています。
「日本人の惻隠は大正末期にはまだ残っていたようである」
その実例として、氏は、第1次大戦後、ポーランド人の援助要請に応え、日本人が極東に残されたポーランド人孤児765名を救済したことを挙げています。

先祖であり先輩である明治・大正の日本人は、異国の人々の身の上を、わがことのように思いやり、親切このうえなく心を尽くした。まだほとんど外国人と接する機会のなかった時代であるのに、国際親善・国際交流の鑑のような行動を、人情の自然な発露として行っています。
こうした日本人の精神を、藤原氏は、武士道に重点を置いて、武士道精神と呼んでいます。

氏は、武士道は「昭和のはじめごろから少しづつ衰退し始め」、大東亜戦争の戦後は「さらに衰退が加速された」と述べています。我国の大陸進出については、氏と筆者では大きく見解の相違があり、歴史認識の誤りもみられますが、ここでは触れないでおきます。
アメリカは占領期間、日本弱体化のためにさまざまな政策を行なった。「たった数年間の洗脳期間だったが、秘匿でなされたこともあり、有能で適応力の高い日本人には有効だった。歴史を否定され愛国心を否定された日本人は魂を失い、現在に至るも祖国への誇りや自信をもてないでいる」
「戦後は崖から転げ落ちるように、武士道精神はなくなってしまいました。しかし、まだ多少は息づいています。いまのうちに武士道精神を、日本人の形として取り戻さなければなりません」

皆さんご存じのように、GHQから押し付けられた占領憲法により、主権独立国家として不可欠な国防を大きく制限されています。
憲法上、国民には、国防の義務がなく、「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ」という文言のある教育勅語は、教科書から取り除かれ、国家が物理的に武装解除されただけでなく、日本人は精神的にも武装解除されました。結果、日本人は自ら国を守るという国防の意識さえ失ないました。
武士道とは、本来、武士の生き方や道徳・美意識をいうものです。武士とは、武を担う人間である。武を抜きにして、武士道は存立しえません。
自衛のための武さえ制限され、自己の存立を他国に依存する状態を続けている日本人が、急速に武士道精神を失ってきたのは当然の帰結です。
根本的な原因は、占領憲法にあります。占領憲法が、日本人から武士道精神を奪っているのです。この問題を抜きにして、武士道精神の衰退は論じられません。

氏は、武士道精神の中核は「惻隠の情」だとし、「弱い者いじめ」に見て見ぬふりをせず、卑怯を憎む心を強調し、氏のいうような武士道精神に照らすなら、例えば北朝鮮による同胞の拉致に対し、日本人及び日本国は、どのように行動すべきか、中国のチベット侵攻や台湾への強圧に対し、どのように考えるべきでしょうか。

これらの問題は、単なる道徳論では論じられず、日本という国の現状、自分たち日本人のあり様を、国際社会の現実を踏まえて論じる必要があるだろう。やはり、「この国の形」を決める憲法に帰結する事柄なのです。

市場原理主義について、次のように藤原氏は述べています。
「市場原理に発生する『勝ち馬に乗れ』や金銭至上主義は、信念を貫くことの尊さを粉砕し卑怯を憎む精神や惻隠の情などを吹き飛ばしつつある。人間の価値基準や行動基準までも変えつつある。人類の築いてきた、文化、伝統、道徳、倫理なども毀損しつつある。人々が穏やかな気持ちで生活することを困難にしている。市場原理主義は経済的誤りというのをはるかに越え、人類を不幸にするという点で歴史的誤りでもある。苦難の歴史を経て曲がりなりにも成長してきた人類への挑戦でもある。これに制動をかけることは焦眉の急である」と・・・

本ブログでも再三再四述べてきましたが、我国は誇り高い「道義国家」でした。
氏のいう「品格ある国家」とは、従来、道義国家といわれてきたものに近い。道義国家とは、人類普遍的な道徳を理念とする国家を指します。
力や富の追求ではなく、精神的な価値の実現を目標とする国家です。
氏は、この道義にあたるものとして、武士道精神を提示しています。
かつて武士道精神は、日本人に品格を与えていました。日本人が精神的に向上することは、わが国に「国家の品格」を生み出し、「品格ある国家」は、周囲に道徳的な感化を与える。こうした発想は、武士道に融合した儒教が理想とした王道や徳治に通じるものです。
氏の主張を掘り下げるならば、東洋の政治思想や、それを最もよく体現したわが国の皇室の伝統に思いをいたすことになるだろう。武士道は、発生期から尊皇を本質的要素とし、またわが国の国柄は、皇室の存在を抜きにとらえることが出来ないことを指摘しておきたい。

「政治や経済をどう改革しようと、そしてそれが改善につながったとしてもたかだか生活が豊かになるくらいで、魂を失った日本の再生は不可能である。いまできることは、時間はかかるが立派な教育を子供たちにほどこし、立派な日本人をつくり、彼らに再生を託すことだけである。
教育とは、政治や経済の諸事情から超越すべきものである。人々がボロをまとい、ひもじい思いをしようと、子供たちだけには素晴らしい教育を与える、というのが誇り高い国家の覚悟と思う」と氏は述べています。

「武士道精神の継承に適切な家庭教育は欠かせない」とも、氏は書いています。氏自身が、父親から武士道精神を教え込まれたものでした。家庭における父から子へ、親から子へという武士道精神の継承があってこそ、学校教育、社会教育はその効果を発揮すると願ってやまないのです。









転載元: 美しい国


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