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高知県護国神社の境内にある歩兵第236聯隊(鯨部隊)の戦没者慰霊塔
戦後間もない頃のこと、支那から引揚げてくる復員兵がよく歌っていた歌がありました。『よさこいと兵隊』とか『南国土佐節』といわれていたものです。
この歌は大東亜戦争の最中、支那の北部戦線にいた支那派遣第40師団歩兵第236聯隊(鯨部隊)の兵隊たちが、故郷の土佐高知を遠く離れた支那大陸で郷愁の念にかられ、土佐出身の兵隊たちが自ら作詞・作曲し、戦地で自然と歌われるようになった歌です。
昭和27年、復員兵が歌っていたこの歌を聞いていた作曲家の武政英策は、復員兵たちによって多少の違いのあるこの歌を採譜し、アレンジして曲を作り上げました。
それが昭和30年になってNHK高知放送局の電波に乗り、レコード化され、後にペギー葉山が歌って大ヒットとなった『南国土佐を後にして』であります。
発表当時は鯨部隊の元兵士から「戦地ではこんな軟弱な歌い方はしなかった」と言われたといいます。
昭和34年、NHK四国テレビ開局記念番組でペギー葉山が『南国土佐を後にして』を歌うと評判となり、4月に売り出されたレコードはベストセラーとなりました。
ペギー葉山は「本来、ジャズやアメリカンソングの歌手である自分は、やや民謡調のこの歌を歌うのは気が進まなかったのだが、担当ディレクターにどうしてもと言われて歌ったところ大ヒットして驚いた」と後に述懐しています。
ちなみに原曲「よさこいと兵隊」の歌詞はこうです。
南国土佐を後にして 戦地へ来てから幾歳ぞ
思い出します故郷の友が 門出に歌ったよさこい節を
土佐の高知の播磨屋橋で 坊さんかんざし買うを見た
月の露営で焚き火を囲み しばしの娯楽のひと時を
自分も自慢の声張り上げて 歌うよ土佐のよさこい節を
みませ見せましょ浦戸をあけて 月の名所は桂浜
故郷の父さん室戸の沖で 鯨釣ったという便り
自分も負けずにいくさの後で 歌うよ土佐のよさこい節を
言うたちいかんちやおらんくの池にゃ 潮吹く魚が泳ぎよる
よさこいよさこい
第40師団歩兵第236聯隊(鯨部隊)の無名の兵士たちによって作られた歌が、形を変えて歌い継がれているのです。「南国土佐を後にして」はそういう曲だということを知ってほしいと思って記事にしました。
土佐の高知の兵士たちが最前線の支那で、この歌に込めた思いを感じたい。
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