桜町へ行く
「桜町の復興を頼むぞ」
小田原藩主大久保忠真(おおくぼただざね)の命をうけて、金次郎は妻なみと二歳の息子弥太郎、同行の役人たちと、ここ下野国(しもつけのくに)(いまの栃木県)芳賀郡の桜町へもうすぐたどり着こうとしていました。文政六年(一八二三年)、二官金次郎三十七歳のときのことです。
せっかく再興した栢山(かやま)のわが家も田畑も売ってお金に替えました。金次郎は、全てを捨てて桜町の復興に命をかける覚悟でした。荒れはてている桜町を再び興し、苦しい生活をおくっている村人たちを助けることを、亡き両親もきっと喜んでくださる……と考えたのでした。
もうすこしで桜町領三村(さくらまちりょうさんそん)の一つ、物井村(ものいむら)に着くというところに、谷田貝(やたがい)という宿場があります。
金次郎たちはここで二、三人の名主の出迎えをうけました。この名主たちは地にひざまずき、おもねるように言いました。
「私たちは桜町の名主でございます。あなたさまが小田原のお殿さまのご命令ではるばるおいでくださるとうかがいまして、村人一同大よろこびでございます。さぞお疲れでございましょう。お酒の用意などしておきましたので、ここで少しお休みくださいませ」
一行は長旅で疲れていましたのでほっとし、その申し出をとても嬉しく思いました。
しかし金次郎は、
「それは本当にありがとうございます。でもわたしたちは一刻もはやく桜町へ着きたいと思いますので、ごちそうはけっこうです」
と言って、それでも引きとめる名主たちを振りはらって、そこを通り過ぎました。
あてがはずれた一行の者たちが、
「あの名主たちはわざわざ出迎えてくれて感心ではありませんか」
「せっかくの深切を断ったりして失礼というものですよ」
と口々に言いますと、
金次郎は、
「人より先にきげんをとりにくる者はだいたい腹黒い人間です。本当の正直者は呼んでも簡単には来ないものです。今度私たちが着任するときいて、うまく取り入ろうとしたのでしょう」と言いました。
実際、今まで派遣された役人たちは、まずここで彼らにもてなされ、彼らを第一の善人と思いこみ、本当の善良な村人をしいたげていたのです。まるめこまれてしまって、せっかくの資金はかけごとや酒で消えてしまいました。
また、ある役人は農民たちの怠(なま)けぐせをなおそうとしたのですが、やり方がわからずみなにそっぽを向かれてしまいました。こうして、今までの役人はことごとく失敗していたのです。
しかし金次郎は、今は小田原藩の役人にとりたてられておりますが、生まれも育ちも農民です。それに幼い時から苦労していますので人をみる目があります。今までの役人とはそこが違っていました。
金次郎の一行は桜町の陣屋につきました。陣屋の屋根は破れ、柱は腐り、壁は崩れ、のき下から草や木が生い茂っています。
村の中も同じようでした。田地の三分の二はぼうぼうとした荒野です。民家のまわりには、わずかばかりの田畑がみられますが、雑草で作物がかくれてしまいそうです。
人々の暮らしもすさんでいました。貧しいのに昼問から酒を飲み、ばくちをしています。役人や名主は農民をいじめ、農民は役人や名主をうらみ、互いに争っています。正直者は小さくなって暮らしていました。
つづく
財団法人 「新教育者連盟」「二宮金次郎」