秩父宮殿下による「八紘一宇」の文字(宮崎市 平和台公園)
「八紘一宇」という言葉をご存知でしょうか。
昭和32年9月、衆議院文教委員会で松永文部大臣は「戦前は八紘一宇といって、日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい、よその国は潰れた方がよいというくらいな考え方から出発していた」と発言しました。
また、昭和58年1月の衆議院本会議で中曽根総理は「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった」と発言しました。
これぞ戦後日本を覆い尽くす間違った考えなのです。
この八紘一宇と大東亜戦争という言葉は昭和20年12月15日のGHQの「神道指令」により使うことが禁止されました。以来、この言葉は「戦前の天皇軍国主義が侵略戦争によって世界統一の為に利用したもの」にされ、戦前の悪の象徴のようにされてしまいました。しかし、事実は全く違うのです。
「八紘一宇」は、日本書紀にある神武天皇が橿原宮(かしはらのみや)に即位されたときに、「八紘を掩(おお)ひて宇(いえ)にせむこと」と言われたのに由来したものであり、八紘とは四方八方のことで、一宇とは一つの家のことです。天下にあって人類はみな一つの家にいる家族のようにと、日本の精神を象徴する和の精神であります。以下、ユダヤ人であるモルデカイ・モーゼ著『日本人に謝りたい』より八紘一宇について書かれていますので掲載させて頂きます。
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戦前の日本には、八紘一宇という大精神があった。
これは神道のこれまた類い稀な偉大な思想に基づくものである。西洋の宗教の如き排他性をもたない、傑出した思想であるといえよう。この点を証拠づけるものは、西洋列強の東洋侵略と日本の満州国建設のコントラストであろう。
西洋列強の東洋諸国支配は搾取、収奪、奴隷化に他ならなかった。
英国がインド支配のため最初に打った手は、既存の教育関係を絶滅し、諸民族を相争わせ、言語の複雑化を計ることであった。
オランダのインドネシア支配も同様であった。そこには何ら建設的なものはなく、ただ自己のための搾取があるのみであった。
しかるに日本の満州国建設大事業はこれとは対照的であった。
五族協和を唱い諸民族平等の関係を育て、その投資は建設的なものであった。
当時、欧米でも識者は人口3000万の満州国は十年後には人口1億を有する大近代工業国家として極東の一角にその勇姿を現わすであろうと、称賛と期待をもって見守っていたものであった。
他のアジア諸国で、欧米列強によって近代的工業国家に育てあげられた国が一国でもあっただろうか。
満州の近代化の成果は、現代に至るも中国の工業の心臓部である点をみても分かることである。これを可能にしたのは、八紘一宇の大思想のしからしむるものである。
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この八紘一宇の大思想こそが、日本が戦後アジア諸国から感謝させる源となった精神なのです。この根本にあるのは「公」の精神であり、「私」の精神では決して成し遂げることができないものです。
戦後、「私」と「個人主義」が横行した結果、八紘一宇を正しく評価できず、「日本さえよければよい、よその国はどうなってもよい」とか「戦前、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持ち」と平気で発言し、異論すら出ることのない日本となってしまったのです。
この八紘一宇の精神が今もあれば、シナの民族浄化と侵略からチベットやウィグルを救い、彼らの独立のために日本が立ちあがったことでありましょう。
八紘一宇を正しく理解できれば日本軍の侵略など絶対にあり得ないことなのです。
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